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2004年09月27日

現場スタッフは、誰もが「営業マン」(加藤直美)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

何年か前までは、葬儀という仕事はどちらかと言えば社会に認知されない部類の仕事であったらしい。しかし私が思うには、それは世間の人が言ったというよりもゴク一部の葬祭業者自身がそのように思っているといった方が正しいような気がする。誰もやりたがらない仕事、人が嫌がる仕事・・・という定義を自分達が作り甘んじていたような(失礼!)気もする。だって中には燃え上がるような強い意志を持ち、葬儀という仕事に人生をかけて取り組んでいる葬祭業者もたくさんいるのだから。いつも声を「大」にして言うのが、「葬祭業!これほどまでに素晴らしい仕事を私は他に知らない」という言葉。

私の葬儀接遇研修会の対象者(受講生)は、100%近くが現場スタッフである。
今、葬儀社で「葬儀の現場」こそが最前線の場所であり、そこで戦うスタッフたちは言ってみれば「花形営業マン」である。全員が葬儀社の看板を背中に掲げお客様の目の前でやりとりをする。良くも悪くもお客様の評価をまともに受ける。厳しいがそれだけにやりがいがある。私自身接遇講師になるために7~8年の現場修行の日々があった。葬儀の仕事をはじめたいという相談を受けると「きつい仕事です」「辛いことの方が多いです」「我慢すること、山ほどあります」「孤独な仕事です」とはっきり答える。そして「でも、それだけにやりがいのある仕事、私は好きです」とも付け加える。

先般の研修会では葬儀スタッフに混じって、もう一つの現場である会員勧誘の営業スタッフたちがいた。主婦のパートであってもそれは紛れも無く「葬儀という商品を売る営業レディたち」その葬儀社の様々な営業方針にのっとってお客様を獲得するということが彼女たちの「ミッション(使命)」である。そこには何の言い訳も通用しない。結果がすべて。勧誘できるか出来ないか。「葬儀」を売るということは、世間的には招かざる客かも知れない。しかし誰でもが一度は通る「親の死」や「身内の死」という現実の中で避けては通れない「葬儀」である。そして最期には自分もお世話になる。決して「人の死を商売にする」ということではなく、万が一のときにその周りの人々を支えお世話するというスタンスで、堂々と胸を張って「葬儀という商品」を売って欲しい。親を見送る年代に入ってきた私自身も「葬儀」を前もって心積もりすることは正しいことと思っている。そして前もってある程度の準備ができたときに余裕を持ってその後の人生を楽しむことができると確信する。

「葬儀の現場」そして「葬儀のお客様を獲得するための現場」それぞれのステージは違っても人の悲しみを支える仕事。自分の仕事と己を信じ、それぞれのマウンドで思いっきりのフルスウィングが出来るよう、心から祈りたい。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2004年09月27日 00:46

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