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2004年12月28日
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私の司会歴の中で、結婚式の司会をしていた時期は約10年間。 その後葬儀の仕事に転向して以来お葬式一筋にやって来た。 葬儀の仕事をはじめたはいいが、すぐに「葬儀司会」は出来なかった。 何故か・・・。 葬儀の世界は全てのことが普通ではない。 それが司会者側のキャラクターと言えども、出過ぎることを嫌う。 出しゃばってはいけないことが山ほどある。 私はそれが何なのかを理解するまで、 葬儀司会者としての活動ができなかった。
つい先日、本当に久し振りに仕事として結婚式の司会をさせて戴いた。 この数年結婚式の司会をしてはいたが全てが親戚縁者友人知り合いで、 気持ち的には楽な婚礼司会だった。 今回は仕事として、それも都心の有名ホテルの大きな宴会場。 私は武者震いをした。
結婚式は、とにかくお目出度い空気の中、お客様すべてが喜んでいる。 新郎新婦という主役も有頂天。 少し興奮気味で晴れ晴れとした顔つき。 夕べまでの準備の疲れも何のその。 大変だった数ヶ月のこの日のための準備も 今日の晴れ舞台ですべてが報われる。 親御さん親戚縁者、友人のすべてが祝福しているし、 いつもとは違った自分(主役の二人)がそこにいて、 永遠にこの幸せは続くと周りの人すべてが信じている。 緊張する祝辞が終ると祝宴の開始。 乾杯があってフルコースの食事が始まってお酒も入る。 笑い声、にぎやかさ、華々しさ、テンポのある展開。 すべてが私達人間の日常感覚の中で進められる。 その中で喋る司会者はそのままの楽なノリでいい。 その場の雰囲気でアドリブを入れる。 シラケそうな時は少し大きな声で盛り上げ、率先して大きな拍手をし 「おめでとうございます~!」と飛びっきりの笑顔で閉めればよい。 祝辞、歌、余興・・・。 次から次へとスピーチ者を紹介し、時間が余れば歓談を入れる。 歓談が入った途端にお客様は新郎新婦の元へと走る。 写真攻撃、乾杯攻撃、胴上げ・・・。 何をしてもいいし何をしてもお祝い事に免じて許される場合が多いし、 それがよい披露宴の構図のようなもの。 司会者の私と言えばその間のんびりと祝電のチェックをし、 時々ウーロン茶をもらって喉を潤す。
結婚式の司会は、 大体が自分のそのままのキャラクターでいいという利点がある。 自分自身の気持ちを抑えなくていい。 ある程度は思ったそのままを言葉にして行動して表現すればいい。 あまり派手なわざとらしいことさえしなければ、私の普通の状態でOKだ。 声のトーンも地声のちょっと高いあたりの楽な音で、 時々は少し早口で喋るくらいが丁度いい。 人間の生理にマッチした喋り方が出来るという点で、私はすごく楽に感じた。 葬儀司会で苦労して勉強を重ねたお陰で、 以上のようなことが手に取るように分かるようになったのだろう。
葬儀の司会は、大体が自分のキャラクターを押さえたものになる。 自分の感情や出したい声を抑え、 思ったままのアドリブを入れるなどは一切ない、計算された言葉たち。 声のトーンも低い位置を選び、 ゆっくりと活舌よく深い発音で喋ることが求められる。 人間の生理にマッチしないからすごく難しい。 それは何故か、悲しみに沈む人のリズムは、ゆっくりとして重い。 悲嘆という感情はそれだけ人間にダメージを与えるものなのだ。 婚礼司会が出来たからといってすぐに葬儀司会が出来ないというのは、 この非凡なリズムに要因があるのだろう。
そういえば婚礼司会者の時代も、よくお祝いに歌のプレゼントをさせて戴いた。 「愛の讃歌」「ハワイアン・ウエディング・ソング」・・・。 今回も久し振りに映画タイタニックの 「My Heart Will Go On」を歌った。 大きな宴会場で思いっきり感情の赴くまま歌い盛大な拍手をもらった。 「チョウ、気持ち良かった!」
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投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2004年12月28日 22:45
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