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2004年12月06日

FUNET追悼文の評判 (井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

今日はビックリするほど暑かった。
午前11時で気温25度 ? とても12月とは思えない暖かさだ。
そのうちナレーション自動作成システムのプロローグ文章に[異常気象]とか[地球温暖化]のカテゴリが必要になるかも、などと考えてしまう。

さてFUNETシステムが緩やかにスタートを切ったが、会員になられた葬儀社様の反応はというと、やはりFUNET追悼文の評判が圧倒的に良い。
これだけは過去のモニターでも外れたためしがないから当然だか・・・。
やはりと言うべきか、「故人らしさ」や「遺族の故人への想い」を、葬送の場でどう表現するかが現代の葬儀トレンドなのだろう。
遺族や参列者の満足感が、この商品をヒットさせてくれると信じたい。
(FUNETから追悼文サンプルがご覧いただけますよ)

12月10日の綜合ユニコム主催[ベーシック講座]のテキストは、これまでの同講座の中で一番多くナレーションが掲載されることになる。
テキストの本質は変わらないが、時代のニーズに併せて有機的に修正を加えた結果、どうしても分量が多くなってしまった。
さらに当日、実際にFUNETを使って、その場でナレーションを作成し課題発表にしてしまうというコーナーも設けた。
それだけハードな研修になるが、内容の充実度も高いということだ。
受講される方は、それなりの覚悟で臨んでいただきたいと思う。

言葉の表現・・・特に「読み」の表現はおもしろい。
リズムが不揃いな文章を読ませると、その人の力量が一発で判る。
簡単に言えば、「どうこなすか」ということだろうが、もっと明確に言うと、不揃いの読みにくい文章を、そこの摩擦熱はキープしたまま「新しい輝きに変える表現」ができるかということだ。

美文は誰でもそれなりに読めるのだ。
美文の欠点は、恐らく美文であること自体だから、そこには摩擦が生じない。
先が読めなくて、予想を裏切って、摩擦熱が発生したときに人の琴線に触れる表現になることが多い。
だから「こなす」ということは、楽々とこなすということではない。
今度のベーシック講座では大いに苦しんでいただこう。
きっとそれが真の力に繋がる。

そしてその後に(12月15日)、新潟での研修会が控えている。
新しいホールの新しいスタッフと、真宗系の宗教儀礼と司会研修の実務に的を絞ってある(当然お経本も使うつもりだ)。
何事も最初が肝心であるから、厳しくやらせていただこう。
間もなくテキストも完成予定だし、とても楽しみだ。
ただ新幹線で直接入ることができないので、一旦福島県の郡山まで新幹線で向かい、バスに乗り継いで新潟市内に入らなければならない。
少し不便だが、往復に掛かる時間はたっぷりと読書に当てよう。

最後は恒例の(徒然拾撰集より)

惜しみても 帰らぬものは 月と日と
       水の流れと 人の命と

よくよく考えてみれば我々は常に、決して戻ることが出来ない過去と言う足跡を刻みながら、知らず知らずのうちに歩いているのですねえ。

だから・・・生きてるだけで、丸儲けだあ !

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2004年12月06日 23:04

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