« 救急隊員のテクニック(石川 元) | メイン | 乙女の尻(関谷 京子) »

2005年01月17日

タコ社長の右ストレート(井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

その昔、私がまだ20代の頃のことです。
芝居で食べていけないので、葬儀専門の人材派遣会社で働いていました。
痩せていて、今より数段動きが良くて、白髪もまだ少なくて、
ウエストのサイズが76で、50メートルが6秒3で、
寺の階段を軽く2段飛びで登り、ベンチプレスが80キロで、
焼肉のカルビが大好きで、でも貧乏で滅多に食えなくて・・・(懐かしいなあ)
そんな若かりし頃の、忘れられない思い出です。

川崎のとある葬儀社さんに、ちょこちょこと呼んで頂いては、
葬祭のお手伝いの仕事をしていました。
といってもかなり本格的に、葬祭の仕事をこなしていたわけで、
祭壇の飾りつけはもちろんのこと、幕張、テント設営、納棺、司会、
火葬場の案内など、なんでもやっていた・・・やらされていた・・・わけです。

朝はいつも8時頃出勤し、お店のシャッターをバイトの私が開けて、
お店の前をビックリするほど簡単に、形だけの掃除をして、
社員や(といっても社長と奥さん以外は一人だけ)、
社長が出社してくるのを、煙草を吹かしながら待っていました。
時には一人で詰め将棋に興じたり、一度は座ってみたいと思っていた、
少し大きくて立派で、社員のよりは明らかに高そうな社長の椅子に座って、
たまにグルッと回したりしながら、時間をつぶす毎日でした。

社長は、元々は土建業界の人で、その昔葬儀社のひとり娘と恋仲になり、
婿養子に入ってこられたということでした。
とても無口で、少し赤ら顔、お酒を飲むと一気に赤銅色に変色します。
そこからついたあだ名が「タコ」、しかしそれではあまりにも失礼なので、
私は「タコ社長」と丁寧に、陰では呼んでいました。

その日は・・・
神奈川にしては珍しい大雪で、チェーン無しでは走行不能な程雪が積もり、
こんな寒い日は自宅葬にあたりたくないなあと思っていたら、
案の定、大雪の中での自宅通夜の担当になってしまいました。
(やっぱりね)

取りあえず『納棺して来い』と言われ、
恐ろしく寒い倉庫の中から、柩・棺台・佛衣セット・ドライアイス
・脱脂綿・忌中額・予備の線香・蝋燭などを軽トラックに積み、
『寒いよ、寒いよパトラッシュ』
なんてブツブツ言いながらすっかり準備を終え、
いざ納棺に行こうとしたら、一人だけ雇われている不良社員が、
『俺は雪が苦手だからさあ、井手ちゃん一人で行って来―い!』
などとコーヒーを飲みながら、軽く開き直っていました。
確か夏には、太陽が苦手だと言っていましたが・・・。
まあ完全にエスケープ状態なのですが、それでもタコ社長は何も言いません。

この不良社員がなかなか面白い兄ちゃんで、毎日会社から頂く昼食代の千円を、
つまり彼と私の二人分で二千円を貰って、俺が倍にしてやるからと、
いつも自分のポケットに、あっさりとねじ込むのです。
その手口はまったく鮮やかの一言で、
この人詐欺師になればよかったのに・・・と、本気で思うほどでした。
行く先はパチンコ屋でしたが、一度も勝った試しがありません。
つまり倍にしてもらったことはないのです。
あんなにパチンコの弱い葬儀屋さんも滅多にいないでしょう。
(でも随分かわいがっていただきました)

まあ、自分一人で納棺出来ないこともないし、
(一人で柩を担いで納棺に伺うことは、当時めずらしくありませんでした)
ごちゃごちゃ言っても始まらないので、出かけようとしていた時です。
のっそりと現れたタコが、いやタコ社長が、
『俺も一緒に行くからよお、井手ちゃーん』と、
気を使ってくれて優しいのか、私のお目付け役なのか良くわかりませんが、
とにかくタコ社長と初のコンビを結成することになり、
いささか緊張しながら雪道を運転し、ご葬家へと向かいました。

一通りの挨拶を私が済ませて、納棺の準備に取り掛かり、いざ6畳の和室に
遺族・親戚一同お集まりいただいて、旅支度が始まったのです。
お目付け役のタコは少しばかり緊張してか何も言いません。
一つひとつの作業に丁寧に説明を加えながら、静かに納棺を行っている最中、
5メートル位先のほうで急に怒鳴り声が聞こえました。
「あれ?」
怒鳴り声は段々と近づいてきます。
最初は、納棺している私に対して何か怒鳴っているのかと思いきや、
どうもそうではないらしく、奥の部屋から現れた若い男と、
それ以前から和室で納棺に参加していた若い男が、
(どうやら二人は兄弟らしく)何事が揉めているのでした。
諍(いさか)いは一気にヒートアップして、すぐに掴み合いになりました。
親戚の人も呆然として、ただオロオロとするばかり・・・。
私は取り敢えず、この場だけでも収めなければと、
『故人様のご納棺の最中ですから・・・』
と、2度ほど強く言ってはみたものの、
興奮した二人の怒鳴り声に掻き消されてどうしようもありません。
やがて本格的な殴り合いが始まり、これは腕ずくで止めなければと思った矢先、
私の背後で何かが素早く動いたのを視界の隅で捉えていました。
良かった、親戚のおじさんが止めに入ってくれるんだ・・・
次の瞬間、
《グキッ!》
大きな肉の塊が内部から砕けるような音がしました。
タコ社長が・・・私の背後霊のように後ろにいたのですが、
強烈な右ストレート一閃 !
それも故人の下半身を跨いで・・・。

部屋中が凍りついたのは、外の寒さのせい?
私はこのまま記憶喪失になるのかと思いました。
いや出来ることなら透明人間になりたいと・・・。
「いったんコマーシャル」・・・そんな気分です。

テレビの寺内貫太郎一家じゃあるまいし、
おまけにお客様殴ってどうすんのよ?
お客様ったって相手は遺族だろうが!
(これらは心の声です)
訪れたのは5秒ほどの沈黙だったと思いますが、とても長く感じました。
頭の中では次の一手を考えるのに必死で、でも良いアイデアが浮かびません。
超難問の詰め将棋のようです。

『馬鹿やろうっ!』

沈黙を破ったのは、又してもタコでした。
それを言うなら、殴る寸前のセリフだろうとは思いましたが、
5秒後でも効き目はあるんですね。
『故人の目の前で、みっともないことするな・・・』
最後のところは、諭(さと)すように言っていました。
(草野球のキャッチャーか・・・みっとも ないなんて・・・冗談です)
すごい、緩急自在だっ !
それは見事な[負]の呼吸。

急にしおらしくなった兄弟は、故人の周りに並んで正座して、
最初は「シクシク」、次第に声が大きくなって、
最後は「ワアワア」と仲良く泣き始めました。
少しばかり大きな声で泣いていたのは、右ストレートを食らった兄の方でした。
(喧嘩両成敗で、殴るんだったら平等に二人共だろうと思いましたが・・・)
タコ社長は右手が痛むのか、しきりにさすっています。

その後、どうにかこうにか無事に納棺も済んで・・・。
帰りの車中、『かみさんには、これな』と、
口に、痛む人差し指を当てているタコ社長の姿が忘れられません。
そして通夜・葬儀の二日間、タコの右手には常に軍手が・・・。

この一件は、なんと感謝すらされ、問題にされることはなかったのです。
タコ社長の、熱い思いがこもった渾身の右ストレート !
でも私は喰らってみたくない。
私の数ある納棺経験で(サブ的なものも勘定すると千件くらい)、
あんなに見事に遺族を殴ったのは、これ一度きりです。

その日以来、当然タコとのコンビは解消しました。

《おまけ》
納棺って、どうしてあんなに汗をかくのでしょうか。
不思議です。
しかし、冷や汗をかいたのはタコ社長とコンビを組んだこの時だけです。
私は人材派遣にいた頃、割と中心的にやらせていただいていたものですから、
(簡単に言えばベテランという位置づけ)
東京・神奈川・埼玉・千葉の葬儀社及び付帯業者合わせて、
200社位とお付き合いがありました。
ほぼ毎日、葬儀の仕事に携わっていたわけです。
納棺にまつわるエピソードだけだって他にもたくさんあります。

ところで悲嘆の遺族の悲しみは、様々な形で表出します。
死別の悲嘆の心理は、衝撃・否認・パニック・精神の混乱など様々です。
時に笑ったりもします。
しかし現場にいると、遺族のその笑いは一時的な精神の平静を求めるもので、
決して不謹慎なものではなく、心の奥底では悲しんでいるのが理解できます。
そして精神的に動揺している遺族を対象にして、
葬祭の業務が進められることを体験から学びました。

[グリーフケア]という言葉がこの業界に定着したのは、
タコ社長の右ストレートが繰り出されてから随分経っていました。
この遺族の間で、この事件が一切問題にされなかったのは、
本来親戚の方が負うべき負担をタコが代行したのだと、私は理解しています。
(そう思うしかありませんので)

納棺の現場で、怒りと怒りがぶつかり合うケースは珍しくはありません。
しかし、さすがに故人の前での殴りあいとなると、滅多にみられないでしょう。
しかも、それを葬儀社がまた殴るなんて・・・。
(止めに入った葬儀社が殴られるケースはありますが)
私は納棺というと、真っ先にこの時のシーンが頭に浮かぶのです。

さて、現代の葬儀ではちょっと考えられない事件ですね。
ここで、[現代]とは何か?
20年前も現代と言えなくもないですが、まあ厳密にはちょっと昔です。
[現代]を考えるに、今・此処・主体という三つの要素が考えられます。
「今」とは、時間のこと。
「此処」とは、場所のこと。
「主体」とは、自分であったり企業体であったりでしよう。
さらに突き詰めると、時間とは歴史であり、場所とは社会のことですね。
ですから、「現代の葬儀では・・・」と一言でいいましたが、それは、
その歴史、その社会の中における、自分あるいは企業体にとっての
「葬儀」の在り方という意味です。
自分を主体として、今居る地域社会の葬儀の在り方というのが、
これからのキーワードの一つでしょうね。

今日はこれくらいでまとめましょう。

世の中の人は何とも言わば言え、我が為すること我のみぞ知る

by 坂本竜馬(&タコ)
(それほどでもないか)

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2005年01月17日 22:25

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.mcpbb.com/blog/mt-tb-funet.cgi/805

(C)MCプロデュース 2004-2013 All Rights Reserved.