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2005年02月05日

2月なのに睦月日記 ~セカンド・オピニオン~(加藤直美)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

今回の病気治療にこぎつけるまで、私は3年近い月日を過ごした。
様子を見ながら治療を進めてはきたが、
最終的には主治医を変えたところから、新たな展開を見た。

始めに診てもらっていたA医師は、寡黙なタイプ。
まず、自分の言いたいことだけを言う。
そして「はい、では又ね!」と、
こちらに質問の余地を与えずに一方的に治療を終える。
薬を出すのにも何も言わない。
おなじ薬を当たり前のように2年間も出し続けた。
言っていることがはっきりしない。
自分の主張もしない。
詳しい説明も無い。
ここまで来ると、こちらから何かを聞こうという気すらうせる。
私は病気が良性ということもあり、少し甘く考えていた。
保険がきかない高額な注射を随分続けた。
「様子を見ましょう」と言われると、様子を見ないわけには行かないし、
こちらには、ある程度先生を信じて着いて行きたいという気持ちもある。
しかしさすがに3年近く、良くなる進展もないと不安になる。
私はナンだか要領を得ないA医師のやりかたに業を煮やした。
そこで、いささか遠慮もあったが
今年に入ってすぐに同じ病院内で、セカンド・オピニオンをとった。

セカンド・オピニオン・・・告知された病気について
別の医師の意見や説明を受け、自分に合う治療を見つけるための行為。
(サード、フォースという場合もある)

新しい医師、B医師は、まず、私の病気の状態について、
はっきりとした自分自身の主張、意見を言ってくれた。
その上私にも意見をゆだねてくれたのだ。
そして一つ一つの事柄について、詳細な説明をしてくれた。
こちらが聞かないことにまで、あらゆる事例を説明してくれた。
A医師は一方的だった。
B医師は双方通行。
B医師は信頼できると直感した。
同じ病気でも症状はその患者によって様々。
そして「患者の想い」によっても、
どう対処するべきかがまったく違って来る筈だ。
医師によって、話の内容も切り口も本当に様々ということに驚く。

私の病気の場合、良性だったので、ここまで時間をかけることも出来たし、
考える余裕もあり決断を急ぐことは無かった。
自分が納得する医師を見つけることが出来て本当に良かった。
人と人の関わりは「信頼」という関係性の上にこそ立って歩んで行ける。
私自身の病気なのだから、
後で誰かのせいにするということだけはしたくなかった。
優れた医師や病院は、最終的には患者に選ばれて行くのだ。
今や病院も医師も生き残りには凄まじい戦いがあると聞いた。

昨年、叔母がもう危ないという時に、
私は従兄妹と共に地元の葬儀社を3件回って見積もりを出してもらった。
これこそ「サード・オピニオン」。
3箇所の葬儀社を回るのは大変なことではあったが、
葬儀社の雰囲気、予算の立て方、社員の応対、様々なことを見ながら、
私たちは少しずつ叔母の葬儀のイメージを作っていった。
その中で1社に決めた理由は、見積もりの料金だけではなかった。
スタッフの一生懸命さや、こちらの融通をどこまで聞いてくれるか、
私たちを尊重してくれるか、そして最終的には信頼しあえるかどうか。
喪家側だって身内の葬儀で失敗はしたくない。
思うように行かないで後悔したり、
後で葬儀社や誰かのせいにしたりすることだけはしたくなかった。

生前相談という形で、いくつもの葬儀社のやり方を比較する時代が来ている。
紛れも無くこれは「セカンド・オピニオン」という考え方。
1社だけの一人だけの担当者の言いなりになって
高額な「葬儀という商品」を買うなどということは、
いずれは古いやり方になって行くだろう。
どの葬儀社にするか、どの担当者にするか、
喪家は多くを比較して決めてもよい自由がある。
そして紛れも無く、
選ばれた葬儀社の選ばれた担当者が生き残って行くのだ。
常に私たちは目には見えない
「生き残り競争」にさらされているということを忘れずにいたい。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2005年02月05日 22:05

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