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2005年03月18日

物事は最初が肝心~2日間の司会研修会を終えて(井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

疲れました。
喉が痛くなりました。
ついでに腰も痛いです。
そんなわけで今日病院へいきました。
マイクロ波と電気と湿布と痛み止めで取り敢えず押さえています。
病院で指摘されたのですが、昨年の暮れにも同様の箇所を痛めていました。
腰痛は持病になりそうです。
(もう年だわ~・・・本当はパソコンのやり過ぎ)

  

さて、15日・16日と司会研修会が開催されました。
初日は[ベーシック講座]28名、二日目は[ナレーション講座]20名。
全国からお集まりいただいて感謝申し上げます。
二日続きでご参加された方も7名ほど。
この講座での参加者は2千名を越えたらしいです。
ありがたいことですホント。
今回は珍しく、いやー初めてのことかもしれないと思っているのですが、
女性より、男性の方が上手かった。
こんな事は今までなかったように記憶しています。
ついに、ついに男性司会者が本気になりはじめたのでしようか?
やれば出来る。
やっぱ男らしかねえー(ここは九州弁でお読みください)。

  

今回の顕著な傾向は、女性司会担当者(プロ司会者を含む)の
「読みぐせ」「葬儀口調」「ねばりグセ」でした。
すでに口調として固まってしまっていると、いくら説明しても、
短時間で自分をコントロールし、矯正していくのに苦労します。
変なクセが定着する前に、真っ白なままで司会研修会に
参加されていたらと思うと残念です。

実は葬儀の司会者でプロとして名を馳せていらっしゃる方々も、
かなりのクセが有り、~ バリューがあれば個性ともとれますから、
それはそれでいいでしょう ~しかし、それを真に理解できないまま、
あるいは自分とのキャラの違いに気付くことなくただ模倣されていると
大きな落とし穴に嵌ってしまうのです。

例えば、髪質も顔の土台も違うのに、「あゆ」の写真を持参して、
『こんな風にカットしてください!』
と美容院のお姉さんをじーと見つめるようなものなのですよ。
これは私が行くパーマ屋のお姉さんがよくこぼしていましたが、
(・・・無理があると)
ね、大きな落とし穴に嵌るでしょ。

  

似たような現象が葬儀司会の研修会でも見受けられます。
司会上達のためには、まず表現方法の理論を学ぶことが大切だと痛感します。
一概に模倣が悪いとは決め付けられませんが、
取捨選択の判断力が出来てからの方がいいでしょう。
まず司会表現の考え方、アプローチの仕方、道筋を知ることです。
そして最低限の基礎体力(発声・滑舌など)を身につける。
基本がどれだけ大切かを知ってもらうのが、[ベーシック講座]の主眼です。
ですから今回も、司会未経験の初心者でご参加された方は、
(真っ白ですから)たったの二日間で見違えるように上達します。
これを私一人が「井手マジック」と呼んでいます。
(嘘です)
ただその場にいらっしゃった方は、ど素人が上達する様を目の当たりにして、
随分と驚かれていました。
しかし、上述のような理由から、私にとっては意外な事でもないのです。
むしろ、クセがついた経験者を矯正することの方が大変です。
クセは長年に渡り染み付いたものですから・・・時間がかかるのです。
因みにフューネラルビジネス4月号・5月号に、[ベーシック講座]
を連載しますので、興味のある方はご覧になってください。

 

そして[ナレーション講座]は、基礎が出来ていることを前提に・・・
のはずですが、あーそれなのに・・・本人は基礎が出来ていると思っていても、
いざ講座が始まると[ベーシック講座]に出た人との差が歴然。
講座そのものが、行きつ戻りつ(ベーシック講座の説明など)しながら
進みますので、その能率の悪いこと。
高い受講料を払って、飛行機で来る参加者を思えば
勉強不足の一言で切り捨てる訳にはいきません。
今回は、ナレーター橘(プロのナレーターです)との各自読み合わせ
という貴重な時間を大量にとりましたが、
それでも私の描いていた講座のストライクゾーンを大きく逸れていました。
アウトコースに大きく外れるどころか、ワンバウンド、もしくは暴投だあ!
やはり物事は最初が肝心・・・今後の課題です。

  

またFUNETのご紹介体験コーナーというのか、
パソコンを3台用意して、昼休みに自由にログインしてもらいました。
ナレーションが嫌になるほど簡単に、
しかも膨大に(選ぶのに困るほど)取り出せます。
さすがに皆さん少し驚かれていましたが、
そもそもテキストに掲載しているナレーションだけでも、
販売しても良い位の量をいつも入れています。
そんなわけで、久し振りに新作の紹介でもいたしましょう。

4月に更新予定の新作50作品の中から、2つほどサービスしまっせ。
FUNET会員の皆様ごめんなさい、
たったの2つだけですからケチケチしないで・・・。
しかも作った本人の好みとしては、評価中位です。
4月になればもっといい作品が大量にアップされますので・・・。

[4月プロローグ:通夜カテゴリから]
静かに咲き誇る闇夜の桜。
別れを惜しむ星のつぶやきが聞こえてきそうです。
精一杯の心を尽くして送る夜・・・。
故人を悼む多くの想いが星空に溶けていきます。
共に過ごす最後の夜を迎えました。

[4月プロローグ:春の雨カテゴリから]
時には冷たい春の雨ですが、
木々の芽吹きを促し育む、恵みの雨です。
草木を芽吹かせ、花の蕾をほころばせる春時雨。
季節は、見る者の心を映し出すのでしょうか、
寡黙に見送る人々の涙雨となりました。

んー、やっぱり結構いいんじゃない。
まんざらでもないねえ、こうやって眺めていると・・・。
(自画自賛)
昨年の9月から毎月更新していますので、もう400作品を超えました。
私の頭の中から一体どれだけのものが取り出せるのでしょうか?
自分でも不思議です。
(またしてもさりげなく自画自賛)

〈井手の割り込み〉
自分で自分に割り込みます。
長崎の参加者からのご質問。
セレモニーの最後に司会者が『合掌、礼拝』を促すアナウンスの是非について。
どの観点から答えるかで違ってきますが、面白い話からいきましょう。

宗旨は真宗だとのことでしたが、宗教上の観点で見れば、
合掌や礼拝を促した時点で「自力」が働くという考え方も存在します。
心の底から湧き上がってきた合掌(お念仏)ではありませんから、
確かにそれは、他力ではなく自力のものである、という考え方であり、
それを(合掌・礼拝の強制を)否定される宗教者の存在も多いですね。
念仏の「念」という字は、「今」の「心」と書きますからね。

次に習俗上の観点から。
セレモニーの演出としては、全員で手を合わせて合掌・礼拝してもらった方が
メリハリも出るし、綺麗に収まるに決まっています。
その場合は、アナウンストーンの妙と言葉遣いがポイント。
強制・押し付けのような感じは好ましくないでしょうね。

宗教的には、合掌や礼拝を合わせる事にほとんど意味は無いでしょう。
私個人としては、仏教心も持ち合わせていないくせに、
あるいはスタイルとして数珠を手に持っているだけのような
(本人はそう思ってないみたいですが)
エセ仏教徒を気取る葬儀屋さんが大嫌いです。
こんな事を書くとまた嫌われるでしょうが・・・。

大切なのは、その演出ではなくもっと他にあるのではないでしょうか?
故人のことが参列者に偲ばれる他の演出が・・・。
司会者はすでに単なる司会にとどまらず、
演出・プロデュースの一部を担っていますから、
各自の発想力・企画力・運営力を養う必要があります。
葬儀司会の取り組み方そのものを、原点に立ち返って考えるべきですね。

それからメモリアルコーナーにしても(話が飛んですいません)、
遺族からお預かりしてきた思い出の写真を、
ただ並べるだけで何の意味があるのでしょうか。
せめて加工して引き伸ばしたり、トリミングして見せたい方向性をだしたり、
それに言葉を添えて表現して初めて仕事の第一歩です。
更には、デザイン・字体(フォント)・ライティング・カラーコーディネイト
etcが総合的にプロデュースされて当然の事です。
(コーディネイトはこうでねぇいと・・・ふるっ)
結局、司会に限らず、仕事に対する考え方、取り組み方の深度が問われます。
ではまた。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2005年03月18日 03:21

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