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2005年03月04日

追悼文を読ませていただいて(工場長)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

その日は確か、一日に二十回電話のやり取りをした翌日だった。
疲れ目に(タタリ目…とは言いません)、
社長からFUNET追悼文を読んでおいてくれと言われた。
今度使うから、と。

私は機会があれば、モニタリング可能な追悼文を読ませていただいている。
文章のつながりに不整合が無いか、新しい文章の必要性が無いか、
などを再三確かめるためだ。
今のところ、大きな修正が必要とされる文脈は無いが、
様々な人生に対応するため、文章を追加することは時折ある。
(最近では再婚時の文章など。)

それでも、FUNETでは内容の充実以上に、
変な文章が無いことに意識が回る。
葬儀でミスがあることに対して、敏感になっているのかもしれない。

私事ではあるが、私は中学のときに父を亡くしている。
で、父の葬儀に関して良い思い出はない。
その頃ちょうど反抗期で、本当に父の死というものの意味が、
わからなかったと言うこともある。
しかし、悪い印象の主要な部分は、葬儀社のミスにあった。
開式の時に、葬儀社の司会者が父の名前を言い間違えたのだ。

腹の中が煮えくり返った。
何を言っているのだ…。絶対間違えちゃいけないところだろ。
その当時は、葬儀司会と言っても、
(今思えば)学級会の進行のような低いレベルで、
その上、この司会者は名前を間違えた。
もちろん、追悼文のような偲びを深める演出も無く、
お経のみ流れる無機質な儀式葬儀の中、
(だいたい、無機質な葬儀施行自体がミスである。)
その上、この司会者は名前を間違えた。
…何度も。

重要な儀式の思い出は、例えそれが悪い思い出でも、一生残るものだ。
それゆえ、葬儀ではミスのないことは大切だと考えている。
もちろん、チャレンジや努力を控える、ということでは無い。

バットを振らなければ、ヒットも打てない。
打席に立たなければ、得点すら入らない。

追悼文は、ヒットを打てる商品ではあるが、
同時に葬儀社が抱える“ミスのリスク”もあるだろう。
そのリスクを限りなく0に近くする必要がある。
そのために、可能な限りモニタリングを繰り返している。

幸いなことに、現在のところ大きなミスは無い。
しかし、油断こそ大敵。ひとつひとつを、大切に。

先日の追悼文は、九州の方で使われた。
喪主の長男の方は、その追悼文を読まれて涙を流されたそうだ。
良かった。


《井手の割り込み》
人間ですから誰でも間違いを犯すことはあるでしょう。
私なんか、間違いだらけの人生かもしれません。
ただ、敢えて言うならば、
「正しい間違い」と「正しくない間違い」がある。
大切な人を送る儀式の場で、ちょっとしたミスが、ちょっとした油断が、
その人の思い出の扉を汚してしまうことだけは避けたいものです。
言葉は心を映す鏡とも言いますからね。
もちろん自分自身に言っていることですが・・・。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2005年03月04日 03:32

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