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2005年07月25日

研修後記(井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

大阪へ行って参りましたが、それはそれは暑うござんした。
葬祭ディレクター2級受験予定の、関東以西から南は熊本まで20名のご参加。
これが意外と優秀なメンバーで、期待がもてますな。
2日間研修でしたが、初日が終われば夜は当然・・・飲みました。
暑いとビールが目茶ウマッ!
生のキャベツにニンニクと唐辛子の入った味噌をつけて・・・。
食欲じゃなくて、ビール欲をそそります。
夏バテどころかどんどん太ります。
何食ってもウマイと感じる、ステキな私の胃袋。
誰かどうにかしてちょうだい。

そして翌日、新宿から特急あずさに乗って長野(松本)にも行って参りました。
先頭車両はなかなか眺めがよろし。


こちらも葬祭ディレクター2級受験予定者が対象でした。
県内から16名のご参加でしたが、勉強県長野にしては・・・、
珍しく少しばかり苦しんでいましたかね。
長野はホール葬中心で分業が進んでおり、試験にはそれが災いします。
普段は司会実技をまったくしない人や、
幕張業務そのものが存在しないケースもあるようです。
が、これから本番当日までに猛烈に追い込んでくれるでしょう。

面白かったのは、研修を予定していたホールでご葬儀が入り、
急遽会場が変更になりました。
それがこのカラオケ・スタジオのような部屋です。
マイクテストをしたら、初期設定が強烈なエコー。
思わず唄いたくなりました。
どうだ!



もし加藤が講師だったら、研修会がカラオケ大会に変わっていたでしょう。

今日は説明実演の問題からヒントを得て、
僧侶への謝礼の表書きは・・・「お経料?」それとも「お布施?」
これをテーマにいたしましょう。

さて、結婚式のスピーチの定番と言えば・・・人生で大切な三つの袋。
[三]という数字は何かと語呂が良いようで。
その昔は、給料袋・お袋・堪忍袋。
そして現在は、胃袋・お袋・堪忍袋。
受け狙いは、買い物袋・玉ブクロ(下品でゴメン)・ゲロ袋(汚くてスイマセン)。
ただ、この話は良く聞くとちゃんと意味があって、簡単に言えば
買い物袋は地球の資源を大切に(使い捨てのビニールではなく昔のように持参)、
玉ブクロは、もちろんアレのことですが、現代ストレスの影響による精子減少、
そして少子化傾向を嘆き、翻ってその家の繁栄を願います。
ゲロ袋とは、突き詰めれば究極のエチケットのこと。

さらに捻った受け狙いは、4つの大切な袋の喩え。
(4という数字を出すのも凄い)
牛は、一つ目が胃袋、二つ目も胃袋、三つ目も胃袋、四つ目も胃袋・・・。
(これ、ただの馬鹿ですね・・・でも私はこの喩え大好き)
牛の反すうのように、人生の酸いも甘いも夫婦で仲睦まじく、
何度でも噛みしめて味わえ・・・ということですか。

もう一つが、人生で大事な三つの坂の喩え。
上り坂、下り坂、そして・・・まさか。
ちょいと語呂合わせに無理があるかも。
このあたりの三つの話は、この年になればもう聞き飽きています。

で、やっと本題に入りますが、お布施も大きく三つに分かれるのです。
(前振り長過ぎ、スイマセン)
ここでも三という数字のバランスが良いようです。
(長島さんの永久欠番も3だしね・・・無関係)
さてその分類は、
1.法施(ほっせ・ほうせ)
2.財施(ざいせ)
3.無畏施(むいせ)
(その他、無財の七施もある)

1.[法施]とは、お経を読んだり法話を伝えたり、
思いやりのこもった言葉・微笑み・眼差し、他人の悩み苦しみを、
慈しみの心をもって対処する等の精神的な施し。
2.[財施]とは、お金・食料・衣食・お花などの物資による施し。
3.[無畏施]とは、さまざまな不安や怖れを抱いている人々を解放し、
その人々に対して安心の施しをすること。
これらはどの一つをとっても全て「お布施」なのです。

ですから理論上は、通夜・葬儀と[法施]の施しをいただいた僧侶に対して、
こちらも[法施]あるいは[無畏施]の施しでお布施をしてもいいのでしょう。
仏教は、お互いに布施の精神ですからね。
お勤めいただいたお坊さんに対して、心からその労をねぎらい、
優しい眼差しと、暖かな言葉を掛け、酒とお食事で御もてなしをする。
これだけだって立派なお布施でっせ。
但し、いくらこちらが施しをしても僧侶は決して帰らないと思いますが・・・。
あくまでも喜捨として[財施]での施しをしないと、成り立ちませんかね。
現実はそんなもんです。
限りなく「お経料」に近いのです。(こんなこと言うと怒られますか)

お布施の原語はサンスクリット語(古代インド語)のダーナと言われています。
ダーナとは「与える」というような意味らしいのですが、
日本語では檀那・旦那と音写され、その意味から「布施」と漢訳されています。
なるほど「檀那・旦那」は、飲みに行っても支払ってくれますからね。
但し「布施」は、他の人に何かを与えることに意味があるのではなく、
自らの所有物を他人に分け与え、その執着心を取り除くことに意味があります。
ですから、いつ、誰が、誰に、何を、いくら、という拘りがあれば、
それはダーナ、つまり布施ではありません。
母の通夜の日に、喪主である私が、菩提寺の住職に、現金を、三十万・・・
という拘りがあれば、本来それはお布施の意味をなさないようなのです。
困ったものですな。

そう言えば、葬祭ディレクター試験も実技は三科目(司会・説明実演・幕張)。
それぞれバランス良く勉強しましょう。
では今日から宮城に行ってきます。

<割り込み>
布施という言葉で思い出したけど、
20年位前都内の互助会の結婚式場をお借りして、
2時間ドラマの撮影をしたことがあります。
そのシーンでの私は新郎の役でしたが、衣装のシャツが妙にお洒落で、
ボタンのところが全てカフスのようになっていました。
(袖だけでなく、全てのボタンがです)
着慣れていないものだから(誰でもそうだと思いますが)、
衣裳部屋で四苦八苦していたら、そんな私を見かねた布施明さんが、
「井手くん、俺が留めてあげるよ」
と全て一人でやってくれました。
私はとても恐縮したのですが、その時の布施さんの言い分がカッコイイ。
「俺は歌い手だからさ、こういう派手なの着慣れてるのよ」
気を使って言って下さったのでしょうが・・・。
どうしてこんな話を今まで忘れていたのでしょう。
[布施]について書いているうちに、その時の光景が甦りました。
人間の脳内の記憶、刺激のレセプターは一体どうなっているのか。
折り重なった記憶の底で、澱が一枚剥がれたみたいです。
・ ・・もう歳ですね。





古いアルバムを引っ張り出しました。
その時の撮影のものではないのですが、当時のスナップからです。
痩せていて若い自分がいます。
この写真を見ていたら・・・
10年ほど前に可愛君が亡くなって、封印していた記憶が・・・。
今度、思い出しながら書いてみようと思います。(合掌)

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2005年07月25日 00:27

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