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2005年07月22日

お盆の法要(藤田 順子)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

毎年7月のお盆にお坊様にお越しいただき、仏様のご供養をしていただきます。
今年は16日の土曜日と連絡をいただきました。
休日で、久しぶりに主人も同席できたので、写真を撮ってもらいました。


宗派は高野山真言宗。
お坊様は平塚からお越しいただいています。
いつも、年配のご住職がお越しになり、
今は亡き義父の思い出話を色々と聞かせてくださいます。
ところが、今年は若いお坊様がいらっしゃいました。
35歳の息子さんです。
お父様の具合がお悪いのかと心配しましたが・・・
「違う方面を回っています」とのこと、安心しました。

確かにこの時期お坊様は「檀家宅のはしご」状態でお忙しでしょうから、
大変ですよね・・・!
特にうちは相模原なので、
平塚からお越しいただくのは大変だといつも申し訳なく思っています。
義母が53歳という若さで無くなったときに、
葬儀社さんからご紹介いただいたお坊様を、
義父が気に入らず自分で探したお坊様らしいです。
そのときからのお付き合い。
お坊様も律儀な方で義父が亡くなり15年経った今でも、
義父の事をよく覚えてくださっています。

義父は新潟出身。
戦後祖父の知人を通じて東京世田谷の豆腐屋に勤めました。
昭和28年独立し、ここ相模原に移り住んだ当初は、
おか持ちに入れた豆腐を、天びん棒でかついで売り歩き
「一心太助」と呼ばれていたことも・・・(なんだか葬儀ナレのようですね!)
相模原市技能功労者として紹介された新聞の記事のコピーから、
当時の義父の苦労が伺えます。
最終的には神奈川県豆腐油揚商工組合の理事を任されるまでになり、部屋には、
そんな義父への表彰状や感謝状が額縁に収められ所狭しと飾られてあります。
義父が亡くなり2年経った頃、私は嫁ぎました。
それまで空家になっていた主人の実家で新生活をスタートした私たち。
商売をしていた義父は顔が広く、
また人通りの多い場所に自宅兼豆腐屋を構えていたこともあり
「長男がお嫁さんを連れて帰ってきた」と、すぐに広まったようです。
早々に入会したスポーツクラブでも
「越後屋のお嫁さんね~お父さんにはよくお豆腐をオマケしてもらったわ~」
等、義父の評判を聞き、人当たりのよい優しい人だったんだと、
嬉しく思ったことを覚えています。
なんだか長くなりましたが、義父自慢でした。

ところで、私達夫婦は結婚するときに
「3つのお願い♪」ではなく「3つの約束」を交わしました。
① 結婚する時、既に亡くなっていた主人の両親のお墓参りに毎月行くこと。
(車で約30分のところにあります)
② 主人が出勤するとき、急行が止まる駅まで車で送って行くこと。
(朝早いと電話もならず仕事がはかどるとのことで、5時45分に家を出ます)
③ 毎月、私の実家に遊びに行くこと。
 (車で一般道利用だと約2時間。高速を使うと1時間少しで行けます)

① ②は結婚13年目を迎えた今も、きっちり守っています。
しかし残念ながら、③は守れていません。
これは、仕事を持ってる私達以上に母のスケジュールが忙しいというのが、
理由の一つです。
まぁ便りのないのが元気な証と言いますからね!

とりとめのないエッセイになってしまいました。
最後まで読んでいただき有難うございます。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2005年07月22日 00:30

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