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2005年09月11日

病院接遇の実践レポート その1(加藤直美)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

暑い夏が終わろうとしている。
この夏、念願だった病院ボランティアとして、病院の接遇を体験した。
目的は、「ホスピタリティ分野スタッフの接遇体験」である。
私自身が研修講師として、葬儀スタッフ教育を深めて行く上で、
もう随分以前から様々なサービス現場に興味を持っている。
デパート、コンビニ、銀行、レストラン、航空会社、保険、ディーラー、
テレアポ、セールス、レジャー施設、福祉施設・・・。
実際に飛び込んでみたものもあれば、興味深くじっくりと観察させて戴いたものや、
これから現場体験を望んでいるものもある。
そして今、最も興味があるのが「医療機関」だった。
私自身の入院手術、病気療養という機会を得て、
患者として病院に感じた様々なことを、
今度は医療スタッフ側になって検証してみるという絶好の機会だ。
ボランティアの審査があって決まった時から、内心とてもワクワクしていた。


この病院は、この春、クリニック(外来)と入院部分を分離した。
クリニック用の建物を新たに増設し、外来の患者様向けにより地域に
より良い医療を提供することを目的としたのだという。
新しいクリニックは、ガラス張りの綺麗な近代的建物。
患者さんと医療スタッフの導線を分けて、
患者さんにとって落ち着いた雰囲気作りをしたのだと思う。
ただ、患者さんがまだ場所に慣れていないらしく、
様々なご案内が行き届いていないとのこと。
そこをボランティアスタッフがカバーできればということで、
そのスタッフ育成に力を入れている。

私は病院のスタッフは初体験。
人を案内誘導することには慣れているが、それが患者さんだということに、
少しの戸惑いを感じていた。
ボランティア用の部屋で、アイロンがかかったエプロンをして、
少しドキドキしながら病院内に入って行った。
初日は、内科のエントランスに立って、1階の総合受付を済ませて
2階にある「内科」に見えた患者さんを迎えるという仕事だった。
「今日は、ただ、そこに立っていてください」とだけ言われた。
「ただ、そこに立っている」ということが、
どれほど大変、かつ難しいかは、葬儀式場で充分に体験している。
何かをして欲しいと頼まれる方がよっぽど楽であり、自分の存在感を感じるものだ。

最近の病院は、ものすごく進化している。
IT化は驚くほどのスピードで進んでいて、電子カルテは当たり前の世界。
さらに個人情報保護法の影響か、診察の順番が来ても患者さんの個人名は呼ばない。
入院病室の入口にも個人名は出さないし、
誰が入院しているかという問い合わせにも答えてくれないという。
診察前での待合室では、テレビのような電子掲示板が「ピンポ~ン」と鳴り、
受付番号だけが浮かび上がる。
患者さんは、自分の番号が浮かび上がったのを見て、診察室に入って行く。
よくある、「○○さ~ん。診察室へお入りください」という呼び出しはまったく無い。
慣れていない人、特にお年寄りには不便らしい。
さすがにいつまでもその患者さんが気付かないと、看護師さんが出てはくるが・・・。

初日のこの日私は、ただひたすらエントランスに立って、患者さんを迎えた。
病院で患者さんを迎えるのと、葬祭ホールで遺族や会葬者を迎えるのと、
何が違い、何が同じなのかを体験するための初日だった。
病院の患者さんは、身体の痛みを抱えたお客様であるということ。
葬儀式場の遺族は、心の痛みを抱えたお客様であるということ。
患者さんには「治る」という希望があり、
遺族には「二度と生き代えらない死」という厳しい現実があるということ。
そして、どちらも比較することは出来ない「人としての悲嘆」が存在する・・・。
などということを深く考えながらの、緊張した3時間半だった。
病院のサービススタッフとして、
患者さんの気持ちをどこまでサポートすることが出来るのかを
さらに考えて実践して行こうと思う。
次は1週間後の水曜日だ。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2005年09月11日 13:24

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