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2005年10月31日

愛媛研修報告とおやじの会 (井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

<研修報告>
愛媛で超少数精鋭の司会研修を終えました。
司会単独開催としては、本年度最小参加人数。(記録だあ!)
当日仕事によりキャンセルがあったとはいえ、最終的に5人。
マン・ツー・マンに少しばかり毛が生えた程度の濃密研修。
この人数だと、テーブルはコの字型で充分。
いゃあ、膝を突き合せるような、受講生の息づかいが分かるような、
逃げも隠れも出来ない、アットホームな研修でした。
もちろんイントラネットでFUNETの音声ライブラリから
「司会音声」の実演をたっぷりと流しました。
耳から刺激して、耳で覚えこむ ! これが一番。
確かに評判も良かったですよ。
最近はどの地方に行っても癖のない人が増えてきて助かります。
ただし、これも全国的に言える事ですが、基礎はまったくダメ。
皆さんウィークポイントは同じですかね。
今後の研鑽を怠りなく、頑張ってください。

面白い話は、死化花(四華花などと書く)を手作りしていたこと。
枕飾りのご遺体の周りを手作りの死化花(四華花などと書く)6本で飾るらしい。
(4本の場合もあるとうかがいました)
手作り方法は、やはり大根の桂剥き。
それを串に刺したり、柊に刺したりと様々だとか。
そして極めつけは、障子紙で一枚一枚作ることもあるようで、
是非拝見したかった、というより写真に収めたかったです。
愛媛は思っていたより、寒かったですねえ。

さて今日から第2回目の1泊2日研修です。
北は青森から、南は宮崎までの23名の予定。
また色々な地方の話を伺いたいと思います。

<おやじの会>
娘が通う中学には、「おやじの会」というのがある。
文字通り生徒の父親有志の集まりだ。
時代の趨勢で薄れてきた父親の威厳を復活させるべく、
またPTAとは一味違った形で学校をサポートしようという趣旨で結成された。
昨年、おやじの会主催の市内中学8校合同で開催されたソフトボール大会に
無理やり駆り出されたのがきっかけとなり、今では私も会員となっている。
(・・・ただの飲み会という認識の人もいますけど)
仕事を抱えているのでフルメンバーが揃うことは滅多にないが、
毎回集まった人数で精一杯のことをやっている。

 

この秋・・・これがなかなか忙しい。
夏休み明けの学校周りの草むしりから始まり、運動会のお手伝い。
先週の土曜日には中学の文化祭があり、会場作りスタッフとして
テントの設営から、椅子、テーブル等の運搬。
(テント設営には、葬儀社の経験がホントに役立ちました)
そして焼きそばを300人前作って (もう見るのも嫌になったけど) 、
綿菓子の実演販売を3時間ほど・・・。
腰が・・・痛いと思う間もなく、今週の土曜日は市民会館での合唱コンクール。
(中学校、行事多過ぎ)
おまけにその日は小学校の授業参観と重なり、2歳の天使を抱えたまま右往左往。
足腰だけじゃなく、今では腕もだるくて仕方がない。

 

そんなわけで、今時の中学校についてレポート。
遥か昔の自分の中学時代と比較してみた。

服装は今の子供の方が、どうもだらしがない。
(そりゃ昔もだらしがないのはいたけど、今とは違った意味だね)
特に男子の制服、流行なのだろうが、腰パンがみっともなくて笑える。
ひどい奴は、ズボンが下がりすぎてモロにパンツが見えていた。
私から見ると、間抜けにしか見えないのだが(どこがカッコイイのかね?)
男子生徒の3分の1がラッパーに見えた・・・(私がおじさんだから)
女子生徒は、高校生ほど超ミニにしている生徒はいないが、ごく少数茶髪。
着こなしなのかもしれないが、やけに制服がラフに見える。
(ボタンきちっと留めんかい)
それから先生に対するフレンドリーな対応には驚く。
冗談半分にしても、「○○クーン」とか「○○ちゃーん」とか、
あるいはニックネームでそのまま呼んでいたりして、唖然 !
先生との壁がなく友達感覚なのだろう・・・私には奇異に映ったが。
先生も先生で怒る風でもなく、これがコミュニケーションなのか?
(何か間違ってない?)
時代が違うと言われるに決まっているが、これではとても社会には出れまい。
(中卒で社会に出る人も滅多にいないだろうけど、義務教育の最終段階だからね)

そんな中、ひと際目立ったのが野球部だ。
何より坊主姿が凛々しい。
(自分が野球部だったから贔屓目に見ているとは思います)
規律がしっかりしていそうで、先輩・後輩、そして監督にも敬語を使っていた。
(先生も強面で厳しそうだ、よしよし)
テントの撤収や机、椅子の撤去も手伝ってくれたし、服装にも乱れなし。
これが中学生だ ! という感じでした。
(昔はそんな奴がゴロゴロいたけどね)

ただし、自由な校風から生まれてくるものに「個性」がある。
我が子を見ても思うが、昔に比べて個性だけは豊かになったようだ。
価値観が多様化し、履き違えた自由を満喫しているからだろう。
よりアメリカナイズされたのか、間違いなく「個」の時代である。
個性ということになるのかどうか、話しは少しばかりヨソ道に逸れるが、
娘から聞いた試験の珍解答に下記のようなものがある。

英語
■次の英文を過去形にしなさい。
「I go to Tokyo.」
正解は当然「go」を過去形の「went」に置き換えて
「I went to Tokyo.」なのだが・・・
珍回答では、
「I go to Edo.」
(江戸 !? )タイムスリップかあっ !
こんな手があったとは、この発想は素晴らしい。
私たちの頃にも、「Does」を「ドエス」と読んだ爆笑者がいたけれど、
(お前は京都出身か?だって)
上記の回答は、私の中では正解である。

社会
■次の中から誤っているものを3点選びなさい。
という問題で、2つまではすぐに分かったのだが残る1つが分からない。
そこでハタと気付いたらしいのだが、彼が出した回答は、
「1つ目は○○、2つ目は□□、そして3つ目は問題が間違っている」
これ、クイズ番組の見すぎだろう。
試験とクイズの違い、境目が分からないのかなあ。

■理科
図に示された広葉樹の葉っぱの「すじ」のようなものを何というか。
答え・・・「すじ」
馬鹿、これじゃ問題が成立してないじゃん。(でも面白すぎ)

とまあこんな具合で笑えるのだが、豊かな発想は大いに歓迎したい。
学生時代には分からず、大人になってから学んだことだが、数学で習った
「一本の直線に対して、常に直角を保つ異なる2本の直線は並行である」
これが本当は正しくないということを証明するのは容易い。
中学で学んでいる数学は、2.000年前のものを未だにやっているようである。
<ヒント>
地球を思い浮かべてください。
<答え>
緯度零度である緯線(赤道)を一本の直線に、そしてこの赤道に対して
常に直角を保つ適当な2本の経線を思い浮かべれば・・・
この2本が交差することは直ぐに想像がつくでしょう。
何にしても柔軟な発想が大切だね。

<井手のおまけ>
合唱コンクールでも出た話ですが、
野口雨情作詞・中山晋平作曲の「シャボン玉」について

シャボン玉 飛んだ
  屋根まで飛んだ
  屋根まで飛んで
  こはれて消えた

シャボン玉 消えた 
 飛ばずに消えた
 生れて すぐに
 こはれて消えた

風 風 吹くな
 シャボン玉 飛ばそ 

「シャボン玉」は大正11年、雨情41歳の時に発表された歌だが、
雨情の身に何が起こったかを知れば、この歌の意味合いが違ってくる。
確か生後7日間程度で我が子を亡くした頃ではなかったか。
直ぐに壊れて消え失せるシャボン玉の球体が魂に思えたのだろうか。
子を持つ親になれば、この唄は限りなく悲しい。
特に2番の歌詞は堪らない。
大正時代の乳幼児死亡率は高い。
多くの共感を呼んだことだろう。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2005年10月31日 15:51

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