« 芸術の秋!(藤田 順子) | メイン | 愛媛研修報告とおやじの会 (井手一男) »

2005年10月30日

私の病、そして大病院の現実 (関谷 京子)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

よくエッセイの端々に軽く触れてきた私の病は、
実は、とても難しく、ややこしく難儀で、10年単位の、
もしくは一生付き合わなければならない病で、病名がつけられないものである。
病状も、ありとあらゆる発症の仕方をし、まるでモグラたたきのように何種も
伴うものである・というより症状は、日本で初めての症例ではないかと思う。
それほど珍しい症状で非常に苦しみを伴うものだった。

何処の病院もたらい回しさえもしてくれないで、暗黙に私を見放した。
病名がわからないから、治療法もなく、
したがって、入院さえどこもさせてはくれなかった。
大病院の偉い医者と称する方々に次々見て貰ったが、
医者自身にエリート意識が強いのか、自信があるため、
何かわからず治せないという事が原因でなのか、反対にキレられたこともある。

明らかに不快な表情を浮かべ、その感情をむき出しにした医師もいた。
そんな・・・こっちにとばっちりを受けさせられても・・・。
勿論、そんな病院は二度と行くことはなかった。
何軒も有名とされる大病院を、夫の車に横たわり回った。
そしてその度に同じ苦しみを伴う検査やレントゲンを繰り返し、
貰ったのは被爆だけ。
結果は言うまでもなく、いつもと同じだった。

そしてどの医師も私を見放したのだった。
もう私には、頼る病院も医師も、どこにもいなかった。
私はこのまま死んでゆくのだろうか・・・
いや「死にたい」と夫に何度訴え泣いただろうか。

苦しみ抜いた最悪の2年間は漸く去った。
私は自分で、ネットで調べに調べた先生の所に通って、
薬で9割方症状を抑え、的確なコントロールをして頂いている状態により、
今では人並み近くに暮らせている。

私は音楽屋なので、医療のことはさっぱりわからない。
しかし大病院の医療体系や大先生と呼ばれる人たちの人間性等に、
大きな疑問を待たずにはいられない。
私のように体中触れることさえ出来ない激痛や、起きている限り一分も休まず
喘息の発作状態が続く呼吸困難、焼いた鉄を気管支に当てて、
摩擦されているかのような辛さ、背中に痰のかたまりと
胸に言いようのない重い何かに圧迫されてる感覚等、
他にあげればきりがないような、息も絶え絶えの患者が、
自力で、這うようにしてパソコンにしがみつき、
万とある病院のどの医師が私を救ってくれるのか、
何一つ手がかりのない中から、医者を捜さなければならなかった。

それは過酷で、また異常なことのように感じた。
私のホームドクターは、それは親身に一生懸命看て下さる方だったが、
あまりの症状に大病院へ紹介状を書いて下さった。
そしてもうこれ以上出せる薬はなく、最後の手段といわれる薬を大量投与され
でも状況は悪化するばかり。
こうして私はモルモットのように病名もわからないのに、
片っ端から薬を投与され、そして見捨てられた。
勿論、院内での横のプロジェクトチームを組んでくれることもなく。

こんな事を思い起こすたび、一日も早く
大病院の構造改革を行って貰いたいと切に願う。

田宮二郎さん主演の“白い巨塔”という、
あの有名なドラマが放映されてから何年たつのだろう。
なのに、依然として現状は何も変わってはいないのだ。
お化けのように巨大な病院の体質、一体何者なのであろうか。
患者の一番の負担が、病気以前に医者選びとは。
非常に嘆かわしいことである。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2005年10月30日 16:22

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.mcpbb.com/blog/mt-tb-funet.cgi/159

(C)MCプロデュース 2004-2013 All Rights Reserved.