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2005年11月07日

「20××問題」とFUNET (井手 一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

日本中がミレニアムと大騒ぎしたのが数年前。
最近は何やら「20××問題」というのを良く耳にするようになった。
いろんな統計があるけれど、一説には日本の人口は2006年をピークに
その後は減少に転じると言われている。これは先進国では初のケースらしい。
減少の度合いは最初緩やかに、そして2030年団塊の世代が寿命を迎えると
その後は加速度的に減少するとのこと。

年平均でどれ位減少するのかという予測は、ナント61万人。
鹿児島市(61万)や旧浜松市(61万)、相模原市(63万)、岡山市(67万)クラス
の都市が、毎年1つずつ日本から消滅していく計算になる。(凄いね)
因みに秋田市(34万) 長崎市(45万) 松山市(51万) 新出雲市(15万)・・・。
こうして見てみると人口が日本の社会や経済に与える影響は甚大です。
(俺、その頃生きてるのかなあ)

先日の石川のエッセイでも触れていたシルバー人材派遣の会社。
急成長を遂げているようですが、日本の成長を支えてきた団塊の世代が、
ごっそり大量退職する時代が2006年以降に迫ってきました。
これが「人口の2006年問題」。

団塊の世代とは、大体1947年~1949年頃にかけて生まれた人達のことで、
1976年に堺屋太一さんが小説「団塊の世代」を発表したことがきっかけで
一般的に使われるようになった言葉です。
総務省によれば日本の人口の約5.4パーセントを占めているようですね。
これを労働人口に換算すると11パーセント位になるらしいです。
日本はこれからかなりの労働力を失うと言えるでしょう。(これも痛い)
そして何より、今までの終身雇用制で、長年培われたノウハウや
技術継承・伝承の問題が円滑にいかなければ、
企業活動に大きなダメージを与えるのではと様々な業界で懸念されています。
(技術継承の危機と声高に叫んでいる人もいるようですよ)
シルバー人材に大いに期待しましょうか。
(将来私もお世話になりそうですし)

しかし一方で、ビジネスチャンスが広がっていると見る事もできます。
団塊世代の一斉退職は、趣味・健康・旅行などのビジネス分野では
期待されていますし、退職金(80兆円規模らしい)目当ての金融機関は、
あの手この手の顧客争奪戦を展開しそうですね。
また農林水産省が近々農村の空き家の紹介や田舎暮らしのアドバイスをする
「定住フェア」を始めるともお聞きしました。
何々フェアと聞くと、私はまたかと思いますね、他にネーミングはないのかな?
どこの業界でもフェアだらけ・・・のような気がします。

もう1つ「教育の2006年問題」というのもあります。
新学習指導要領の世代、学校週5日制で「ゆとり教育」を受けた世代が
大学に入学してきます。円周率が3で、台形の面積の公式を知りません。
(大丈夫かあ、これで !)
「ゆとり教育」の効果がどれほどのものなのか、いずれ答えが出るでしょうが
確かに個性は豊かになっても、基礎学習能力の低下は否めません。
「ゆとり」が本当に「応用」を培うのでしょうか?
高校を卒業して社会に出てくる人達も沢山いるはずです。
彼らの中には(留年・浪人は除く)、平成生まれがかなり要るはずです。
(1~3月生まれ)
2.3年もすれば平成生まれの社会人がウヨウヨでしょう。
ちょっと恐ろしいですな。
また当然「2010年問題」として、この世代が大学をアウトプットしてきます。
そしてこの一連の流れを改めて見れば、2003年にスタートした「ゆとり教育」
世代が社会へ大量にアウトプットされる時期と、団塊世代の技術者が
一斉退職する時期が重なることが、最も懸念されているようです。

とにかくこの世代はユニークというか・・・。
先日の珍回答でも紹介しましたし、また過去にも同様の事を記したのですが、
こういうのが大好きな私はまた書きます。
<社会の問題>
時は紀元前。ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が言ったとされる言葉。
(クレオパトラの夫です)ライバルたちを蹴落として独裁者となったカエサルが、
共和主義者に暗殺されます。最も信頼していたブルータスもその仲間にいたこ
とから、最後に発せられた言葉として有名です。
さて、暗殺されたカエサルのその最後の言葉を書きなさい。
<答え>
「グヘエーッ」(面白すぎて正解にしたい)
<正解>
「ブルータスお前もか」
ね、ユニーク過ぎて言葉を失くすでしょ。
こういう世代と一緒に仕事をする時代が来るという事です。
大問題ですね。(楽しみですね)

そして弊社でのみ問題にされているのが「FUNETの2006年問題」。
葬祭業界にも早くパソコン世代が増えてくれよと祈るように待っていますが、
この業界のサービスクオリティがもっともっと上がることを期待しています。

一人一人の故人やその遺族に対応し、画一的でない、流れ作業ではない、
遺族の想いを大切にしたパーソナルな対応を心がけています !
と大義名分を謳った葬儀社が多いけど、その現実は口先ばかりで追いつかず、
祭壇の果物1つをとっても毎回同じ。遺影写真もいつも縦型。
相変わらず自分たちの都合が優先しているようです。
そんなご提案内容の何処にオリジナリティが存在するのか?
疑いたくなるような現実を目の当たりにすればとても寂しい気持ちになります。

先日聞いた噂では、ある大手互助会さんは展開する全てのホールから
白木祭壇をなくしたと聞きました。(英断でしょう)
これくらいやらないと、担当者は動かない、育たない、では悲しいですね。
遺族の悲しみに寄り添い「プロデュース」「演出」を本当に理解する担当者が
その企業にどれだけいるかが問われてくるのが「FUNETの2006年問題」
あー、頭が痛い !
<愛されていない命は一つもないし、尊ばれない命は一つもない>はずです。
2006年こそ、葬祭担当者の意識改革を期待しましょう。

でも今日は・・・私の46回目の誕生日。
Happy birthday to me ~Happy birthday to me ~・・・

ところで仏教的な物の見方で良くお話をさせてもらうのですが、
誕生日の「誕」という字は、「言」と「延」で出来た合わせ文字です。
その意味は、話を大きくする、オーバーにする・・・突き詰めれば、
少し事実を曲げてでもホラに近い話をする、と取れなくもない。
そうしなければ生きていけない「この世」に生を受けたので、
苦が前提である、仮の「この世」に生まれたので、
戒めのような感覚で「誕生日」と解釈することが成り立ちます。
仏教的に死因を探るならば、癌や高血圧や心臓病ではなくて、
死因は「生」そのものであり、死亡率は100パーセントとなるわけですから・・・。
だからこそ仏様の誕生日は特別な言い方で「降誕会」(ごうたんえ)。
真実の世界から、仮の世界(この世)に<降りてきた>・・・となるのでしょう。

誰かが、誕生日は母親に感謝する日と言いました。
(悪くはないけどその発想は少し西洋的ですかね)
私の場合は年を取るに連れて、
当たり前と思っていたことが、有りがたいと気付かされる日のようです。

それでもやはり・・・しつこいようですが・・・
Happy birthday to me ~Happy birthday to me ~・・・

何処まで行っても、悟りきれない私です。
そう生きてるだけで丸儲け !
命は有り難いですな。(合掌)

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2005年11月07日 15:45

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