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2005年12月16日

紅葉の群馬県で、葬儀スタッフ接遇研修会・初開催!(加藤直美)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

11月最終の研修会があった。
紅葉の季節とても美しい群馬県。
温泉好きの私にはたまらない有名なお湯どころ、
草津、四万、水上、伊香保、この四大温泉は、すでに遠い昔制覇している。
高崎の先の軽井沢には大学のセミナーハウスがあって何度となく通い、
遂にひと夏をアルバイトで過ごしたこともある。
私にとってはとても思い出深い上野発の信越線も、
今や新幹線となり時代の流れを感じる。
そしていつも通過するだけだった高崎に、はじめて降りた。

この県の葬儀団体では初めて開催される「葬儀スタッフ向けの接遇研修会」だった。
20名定員のところ30名ほどの参加があった。
スタッフの意識の高さが分かる。
私が到着した時には、午前中の講義が行なわれる法要の部屋には
県内の多くの場所からすでに受講生が集まっていた。
研修会場となったホールそのものは最近建ったばかりで、
まだ葬儀の件数は少ないとのことだが、全体エリアでのシェアは20%近くあり、
まだまだこれから伸びて行く可能性を秘めている。
その為にお客様への接遇をしっかりと教育したいとのことだった。
「厳しくやってください」と、当初から研修会ご担当者に言われていた。

 

最近の研修会では「厳しくしてください」と言われることが多い。
私のことを「今日の先生は、厳しいというご評判です」と言われることもある。
「何をもって人は私を厳しいと言うのかな?」とふと考える。
私は研修会の中で、感じたことをそのまま言う。
講師とは「見たことをそのままをお伝えする役」だと思っているから。
「そういうことをすると、この部分にひずみが来ますよ」
「ここで問題なのは、このことです」
「今、ナニを考えながらそれをしていますか?」
「目の前にいる方は、どういうお客様でしょう?」など等・・・
スタッフ自身の、又は葬祭ホール全体の現実をやんわりと具体的にお伝えする。
そしてこれからどうして行くのかをご提案して考えていただく。
自分たちの問題をはっきりと指摘されるということは、
スタッフたちにとってはキツイことかも知れない。
しかし問題に気付かないでいることがどれだけ危険なことか、私は知っている。
とかくそのような気付きたくない問題は、外部の人間にはよく見えるものだ。
そして、どうしたらいいのかを共に考える。
それが講師としての私の役目だと思っている。
問題と向き合ったところから、接遇上手への道が広がると確信している。
まだまだ私自身も、講師として未達の部分が多い。
私ももっと受講生を通した様々な問題に出会い、
それを越して行く経験をして行こうと思っている。
多くの事例に出会い、私の引き出しを増やして行くのは、
多くの頑張る葬儀スタッフが進む道と同じだ。

 


さてこの数日前、やはり仕事を利用して母と群馬を旅した。
母は桐生の先にある大間々で生まれた。
そして5歳の時家族全員で満州に渡る。
戦後引き揚げてすぐに足尾にあった「いづみ屋」という親戚の旅館で働いていた。
足尾は、命からがら満州から引き揚げて弟と二人暮らした町である。
私もこれまでに何度か足尾を尋ねてはいるが、
大人になって母のその当時の苦労を聞くにつけ、
もう一度きちんと母と2人でこの場所を訪れたいと思っていた。

 

戦争に翻弄された青春時代。
今までは母も、その頃のことを自分から話そうとはしなかった。
しかし、先月の両親の金婚式・お祝いセレモニーで私が作った、
「弊社のFUNET(追悼文)風・(主役は生きている)・金婚式バージョン」の
「慎と久美子の生い立ち~青春~結婚~
子供の成長~孫の誕生~現在そして未来へ」
の文章に刺激されて、ぽつぽつと昔のことを話しはじめたのだ。
心理学的に言えば「その辛かった時代と向き合える自分になった」ということだろう。
人間は、過去の辛いことに向き合うには、
その体験を越せる心の力を得ないと無理なのだ。
そして必ず自身の悲しみ、辛さを越す時期は、やって来る。

桐生駅で1日フリーパスを買って、わたらせ渓谷鉄道に乗り換えた。
紅葉は山に入って行くにつれてきれいになって行く。
列車はわたらせ川の渓谷に沿ってどんどん登って行く。
列車の右に左に川が迫るとても楽しい景観だ。
車内は紅葉狩のお客さんも多くほぼ満員だった。
母と私は足尾の一つ手前の通胴駅で降りた。
すでにそこに旅館の建物は無い。
その当時は足尾銅山の景気がよく、町も人もとても勢いがあったらしい。
終点の間藤駅にあった古川製鉄関連の施設も
その当時としては素晴らしかったということ。
しかし、胴の精錬の煙が公害となり山肌の木々は枯れてはげ山になった場所も多く、
最近の地元住民の運動で緑が蘇えった場所もあるが、
まだまだ昔の自然に戻るには時間がかかるということだ。

 

母が若い頃に暮らした町を一緒に歩いた。
町役場、電器屋さん、食堂、お寺・・・。
そこには当時のそのままの町があった。
母はその頃の自分と静かに向き合い、何を思ったのだろう・・・。
私も、苦労した当時の若い母と向き合った。
年老いた従兄妹とも再会を果たし、
母は笑顔で「もう、足尾に来ることは無いわね」とつぶやいた。

その帰り、私がずっと以前から行きたいと思っていた
「星野富広美術館」へ足を伸ばした。
この春新しくリニューアルした、草木湖畔の素敵な建物だった。
その奥には日光の山々が臨み、紅葉は真っ盛り!
赤や黄色の葉っぱが湖に映えてとても美しかった。
久し振りに母と色々な話をした貴重な群馬の旅だった。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2005年12月16日 18:14

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