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2006年01月27日

2006年度プランを練る (加藤直美)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

毎年、年明けから2月位までは、接遇研修会はOFFになる。
葬儀社様は繁忙期に入り研修会どころではない。
その間私は、頭のスイッチを切り替えて、
来年に向けた研修会やミュージックセラピー活動のプランを練る。
プランなので、最初は白い紙に色を塗るように、
出来ることも、出来そうにないことも、
取り敢えずは、心に浮かんだことを書いて行く快感が大好きだ。

接遇研修会は、今年度も様々な場所へ伺い、
葬儀スタッフである受講生の皆さんと葬儀の接遇について考えてきた。
この2~3年で研修会の様子も大きく変わってきている。
さて、来年度はどのように切り込もうか・・・。

葬祭ホールが増えて、ホールの接遇に焦点を合わせた研修会が望まれはじめた。
そして、今までのやり方を変えようとする葬儀社様が増えて、
現場の最前線を女性が仕切るパターンが多くなった。
それに伴い、異業種から葬祭業界に入ってくる若いスタッフが増えた。

異業種から、又は、学卒で葬儀業界に入ってくる方々は、
男女を問わずそれなりにこの業界に新しい風を吹かせてくれる。
その会社に旧態依然としたしがらみがあった場合、
それを気分的にも変えてくれるような気がする。
そして本当にいい意味での変化が伴う場合も多いだろう。
しかしながらその逆もあることは確かだ。

「新しいこと」と一言で言っても、相手は儀式性を伴う葬儀である。
そこに何がナンでも新しい風を吹かせることなどは簡単には出来ないことだ。
葬儀という儀式を軽く見ることは出来ない。
儀式性を尊重し、なおかつお客様のための接遇を創造して行く・・・。
言葉で言うことは簡単だが、なかなか難しいことである。
それを担うスタッフには、荷が重い。

葬儀の場合、その現場にいるお客様は、喪主様も親戚の中心になる方も
どちらかと言えばお年を召した方が多い。
人生の様々な経験をしてきた先輩方をリードして行く立場の葬儀スタッフは、
葬儀のプロとしてはもちろんのこと、
人間としても成長していることが望まれる。

葬儀の仕事は現場での経験がモノを言う仕事だ。
現場にも不慣れ、人間的にも若い・・・となると、
接遇研修会に来たからといって、急に接客上手になるとは言えない。
そのようなスタッフが増えて来た昨今、
研修会内容も様々なことを思考錯誤して行くことが求められている。

はっきりと言えることは、これからの時代の葬儀の接遇は、
形ばかりではない中味の充実だ。
形などの見た目はすごく大事だ。
しかし相手は人間。
そのやり取りは技術だけではない「心」が伴う。
お客様への気持ちを、接遇を通して伝えるためには
「人間力」を強化して行く必要がある。
葬儀という仕事は、スタッフとお客様との距離がとても近い。
あらゆる意味で、相手の心の中に踏み込んで行くことが多い。
だからこそ、人を大事にできない人には、無理な仕事だと思う。
そしてこれはベテランスタッフにも言えることだ。

どんなに素晴らしいホールが出来ても、
その器に魂が入っているか入っていないかは、そこにいるスタッフ次第である。
「仏作って魂入れず」という言葉があったが、まさにそのとおり。
「ホールが出来ればそれでいい」というものではない。
出来てからこそが勝負だ。
そして、お客様を大事に出来るスタッフとは、
スタッフ自身も何らかの形で大事にされている人だ。
「人は人によってのみ、満足するのだ」と思う。

とりとめもなく書いてきたが、来年度の研修会は
「葬儀接遇の形を極めること」と
「サービス業者としての人間力を磨くこと」
この両面から切り込んで行こうと思っている。


<井手の割り込み>
加藤と2人で、30日から2日間研修へ行って来ます。
(やっと最終テキストが決まったぜ)
葬祭ホールのオープンを控えた研修ですから、まさに実践トレーニング。
一ヶ月ほど間隔が開きましたが、その後の皆さんの様子がとても気になります。
上達しているでしょうか?
本番ではミスや甘えは許されない世界ですから、
しっかりやらせていただこうと思います。

と書いてたら・・・加藤からメール。
「乗り過ごしたらしい」(今12時10分です・・・アホだ)
今日研修の最終打ち合わせを事務所でして、
その後、事務局の方も含めて飲んでいました。
きっと、電車で寝過ごしたのでしょう。

<井手のお知らせ>
昨日FUNETに新システム(イメージボードシステム)を追加しました。
完成するまでに、狭い事務所の中が、日々繰り返されるテストパネルで一杯。
フォトボードシステムの完成例は、昨日紹介した石川の遺影写真です。
是非ご覧になって、写真修正技術の進歩をご確認ください。(笑)
次は2月初旬をメドに、人生パネルバージョン(仮名称)を完成させます。
「ますます充実FUNET」・・・このキャッチどう?

<井手の反省>
タイトル…クジラさんごめんなさい。

年末年始と、九州の親戚からクジラが大量に送られてきた。
おいしくて食べ続けたが、少し反省したい。
というのも、クジラの事を調べてみたからだ。

豪快に潮を吹き上げる海の覇者クジラは、
元はオオカミくらいの大きさの哺乳類で、水辺で暮らしていたそうです。
生物は水の中からスタートしてますから、進化の過程で苦労して上陸を果たし、
陸上生活に適応したものの、なぜクジラの祖先は再び海をめざしたのか。
(昔、空飛ぶクジラっていう歌があったね・・・懐かしい)

生物が海で生活するには、圧倒的にエラ呼吸が有利。
しかしクジラはご存知の通り哺乳類、つまり肺呼吸なのです。
哺乳類というのは乳で子供を育てる動物で恒温性。
そして脳が発達しています。
それなのに、肺呼吸のまま水の中の生活へ・・・謎だ。

クジラの祖先はオオカミほどの大きさの肉食性哺乳類。
当初は浅瀬を「犬かき」ならぬ、「オオカミかき」で泳ぎながら
水中の餌をとっていたのだろうと思われる。
その後、後ろ足が退化して、尾びれを発達させ、
体型もまるで魚のように水の抵抗が少ない流線型に変えた。
6000年前のことだ。

クジラは私たちと同じように、鼻から空気を吸い込む。
肺で酸素を取り入れ、再び吐き出す。
いわいるクジラの潮吹きは、鼻から勢いよく吐き出す息に水蒸気が混じり、
外気に触れて一気に冷え、まるで潮を吹き上げているように見えるのだという。
ただ、クジラが可哀想なのは、鼻の穴の位置が頭のてっぺんについている。
進化とはいえ、同情を禁じえない。

新鮮な空気を目一杯吸い込んだマッコウクジラが、水中でどれ位息が持つか。
何と1時間以上だというではないか。
それでは、1日に24回呼吸をすれば足りてしまう。
ここにも進化の秘密があって、海中深く潜ると水圧で肺が萎む。
そこでクジラは、酸素を筋肉と血液の中に蓄えることができるそうだ。
進化というのは素晴らしい。

キリンだって、あの長い首とカモシカ?のような長い足を持つ。
そこに血液を循環させるためには血圧が上がってしまうのだ。
そこでキリンは、血管を保護するために皮膚がやたらと硬いのです。

因みに哺乳類の首の骨は決まっていて(例外もある)7本なのです。
当然クジラも7本です。(首は動かせませんが)
人間も7本、首が短いカバも7本、長いキリンだって7本。
(サルやゾウも一緒だよ)
哺乳類は、哺乳類同士仲良くしましょうよ。
クジラの苦労を知るにつけ、元々先祖を辿れば一緒だ、食べちゃいけません。

因みに・・・
くるっと首が回ってしまうフクロウは、14本ですよ。(どうでもいい)
次はふくろう・・・食うか。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2006年01月27日 21:22

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