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2006年01月15日

命日だ、お勤めしなきゃ (井手 一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

1月15日・・・今日は父の命日です。
毎年の事ながら、父が亡くなった35年前の光景が今でも忘れられません。
というより、この日は私の中では、ある意味「父の日」みたいなものなのです。
カレンダーとしての「父の日」よりも、父の命日が「父の日」、
母の命日が「母の日」、そんな感覚・・・皆さんはどうですか?

脳溢血で知人に担がれて帰宅した父を見たときの動揺。
これは「ただごとではない」と直感し、救急車を呼ぶため電話を掛けようと
10円玉を握り締めて近くの店まで走った時の、耳元の風を切る音と自分の息。
その日の内にポックリと亡くなる父の命の虚しさ。
少年時代に心臓を鷲掴みにされた衝撃は、古い傷跡として残されたままです。
ヤクザな父と二人暮しだった私は当時小学5年生。

私の中には、私の意思とは関係なく、私の人生をリセットした時期があって、
そのキッカケとなる父の死は生涯のエポックメーキングです。
それまでの「園田一男」の人生から、養子先の「井手一男」の人生へとレールを跨ぎ
ガラの悪い北九州から、穏やかな佐賀へと1人移り住むことになったのだから。
(北九州の人ゴメンね)

教室の後方に貼り出された、忘れ物グラフが私だけ常にダントツで、
どの学年の通知表にも「忘れ物が多い」と書かれていたものです。
宿題なんかやったことがないし、水筒なんて端から持ってないので
校内で禁止されている生水を堂々と飲んでいました。

ノミ行為で、数日父が捕まった時は親戚の家から学校へ通いました。
急な出来事で、あわてて荷繕いをしたものだから、算数と国語の教科書を紛失し・・・
後日、自宅にあったが・・・しかし、紛失したと思い込み、只でさえ忘れ物王の我が身、
それが言い出せないので毎日忘れた理由を考えるのが日課でした。
(これが私の宿題みたいなものです)

朝教室へ入ると、同じ班の班長が
(当時は班の連帯責任でした・・・班長は大体女の子)
「園田君、国語と算数の教科書持ってきた?」と必ず聞くのです。
数日は「ゴメン、ホントごめん、今日は忘れた」とか
「あれ、入れたはずなのになあ・・・」とかで誤魔化しも効きますが、
さすがに一週間続くとなるとこれは苦しい。
学校をズル休みしたくなるほどのプレッシャーでした。
そこで思いついた名案は、子供心にも計算高く、こちらから先手を打つというもの。
「おはよう、ごめん今日は算数の教科書忘れた。でも国語は今日ないよね!」
と班長に堂々と宣言するのです。(昨日までとキャラも変わっています)

この日の事だけは、妙にはっきりと記憶しています。
班長は、福本幸子さんでした。
絶望していました。(アハハ)
後日、大人になってから彼女には笑い話で真相を話してあります。
もっとも、本人はケロッと忘れていたようですが・・・。

男二人の気ままな暮らしぶりは、時代もあったのでしょうが凄まじく、
子供たちに思い出話をしては昔を懐かしんでいます。

その頃の私の1日は、朝起きてまずお湯を沸かす。
当時はマッチでガスコンロに火を点けますので、大人になった気分でした。
一度失敗して、眉毛と前髪を焦がしたことがあります。
発売されたばかりのチャルメラというインスタントラーメンが朝食。
しかも、鍋で作るのが面倒くさいので、袋から取り出した麺をそのまま丼に入れ、
お湯を注いだ後は皿で蓋をしていました。(子供ながらの生活の智恵です)
それから数年後にカップヌードルが世に出るのですが、
(浅間山荘事件の自衛隊の食事でブレークします)
あの時・・・特許を取っていれば・・・(アホ1)
余談ですがカップヌードルが世に出たとき、思春期の私は「ヌード」という言葉に
敏感で、暫くは「カップル・ヌード」と誤読していました。(アホ2)

それから玄関の土間掃除と父の靴磨き。
ヤクザな人の共通点は2つ。
手に荷物を持ちたがらないのと、靴だけは絶対ピカピカ。
これだけは譲れません。

実は、私は幼稚園にも通っていません。(学歴がないのだ・・・アホ3)
入ることは、入ったらしいのですが、父と離れるのが嫌だったのか、
父の職業(?)である、ボートレースのノミ行為についていくのが楽しかったのか、
うっすらと記憶にあるのは、幼稚園の先生の手首に噛み付いて放さず、
(何があったか不明です)それ以来、幼稚園には行きませんでした。
親から、わざわざ高倉健さんと同じ幼稚園に入れられた・・・にもかかわらずです。
(正確には、首席中退というところかな・・・笑)

幼い頃の私の夢は、競艇の選手になること。(憧れていました)
ボートレース(競艇)、オートレース、競輪、花札賭博と、とてもとても教育に悪く、
(でも楽しい)いろんな所へ連れて行ってもらいましたが、
何と言っても一番カッコ良かったのがボートレース(競艇)の選手でした。
片膝立ててハンドルを切りながら、ボートをしゃくりあげる時の姿がたまらない。
波を捌き、潮風を孕んだフードの膨らみが、戦っている姿を象徴していました。
手本引きの親も、手品師のようで捨てがたかったけど、それは映画で観てたからね。
インパクトが弱かったのかもしれません。
(藤純子がカッコ良過ぎた・・・壷振りの方じゃないよ、手本引きの方ね)

もちろん小学校に入ってからは、キチンと給食を食べに行ってましたよ、毎日。
(アっ4.・・・これが使いたかった、フリ作りに苦労したぜHG)
ということで、昼飯の心配はいらないのですが、夕食が困ったものなのです。
出たら最後、目を離したら鉄砲玉、いつ帰るとも知れぬ無責任な父親を待ち続け、
時には夕食にありつけないこともしばしば・・・。
それでも毎日が自由気ままで夢のように楽しかった。
お金だけは、神棚の小さな茶箱に入っていましたので、
お菓子を買ってきては夕食代わりに食べていました。

ある時、夕暮れ時の寂しさからだったのか、観たいテレビも特になかったからなのか
近くのゴミ捨て場(当時は残飯を捨てる所)で、電柱に凭れて父を待っていたのです。
(たしか小学校の2年生だったと思いますが)
すると夕食後に残飯を捨てに来た近所のおばさんが近づいてきて・・・こんな時間に
子供が1人で立っていたら、さすがに声を掛けないわけにはいかないよね・・・

「かずお君、お父さんまだね」
「うん」
「ごはんは、食べとらんやろ」
「・・・」
近所のおばさんは、私の事を不憫に思ったのでしょう。
「握り飯かなんか、作ってきちゃろうか」
「・・・(えっ、なるほど、こういう手があったのか)」
しかし私の答えは、何となく気恥ずかしくて
「うんにゃ、よかけん」(否定しています)
「・・・」

否定したことで、かえっておばさんの同情心に火が付いたようでした。
数分後、私は握り飯をパクついていましたが、
以来ちょくちょくと、ご近所の方々のお世話になった記憶があります。
昔は、近所の子も自分の子と同じように接してくれ、
子供が1人で留守番をしていても、今のような危険はなかったのです。
あーそれにしても、木の電柱が懐かしい。

とはいえ、父の素行が悪いからか、
私が1人で寝ている夜中に泥棒に入られたり、
(ナント土足のまま私の布団を跨いで・・・クッキリと足跡がついてました)
足元の蚊取り線香から自分が寝ているマットレスに火が移り火事を出したり、
(ボヤです・・・自分で気づいて消火・・・よく表彰されなかったな)
真夜中、ガラの悪い人に玄関のガラス戸を叩き壊されたり、
(これは怖い・・・さすがに警察を呼びました)
まあ、無茶苦茶な思い出ばかりですが・・・。

授業参観には一度も顔を見せなかった父ですが、
運動会だけは、咥えタバコに両手をズボンのポケットに突っ込んで観戦してました。
土日は仕事柄稼ぎ時だから、全部は見れませんでしたけど、
リレーの時だけは、何処からか煙と共に顔を出して

「かずお、2人抜け!」
「・・・(訳が分からん)」
もしかしたら、誰かと賭けていたのかもしれません。
普段近所の子と遊んでいても、
「お前ら今から、田んぼ一周のレースをしろ」と言い出し、
1着100円、2着50円、3着10円と賞金を出していました。
子供たちは大喜びなのですが、ご近所さんからはどう思われていたことか。
とにかく、レースと名の付くものが大好きだったようです。

私のナレーションの父親編の一部に
若き日…。
妻と繋いだ手、
子供を抱き上げた手、
叱られた手、
大きな手、
ゴツゴツとしたその手、
父の手、
その温もりを、人は忘れない…。

というのがありますが、実は父がモデルです。
拙い文章で、視点も移動しているのですが、それでも心地良くて使っていました。
その他にも、(これはFUNETにもまだ掲載していませんが)
ヘルメットに首からタオル、長靴を履いて、咥えタバコのまま濁声で指示を出す
そんな若き日の故人像の描写は、やっぱり想像の中の父がベースにあるのです。

人生は人それぞれ違っても、思い出とは、自分の中で膨らむものなのでしょう。
「思い出とは、人に預けるものであり、人から預かるものなのかもしれません・・・」
以下企業秘密ですが、これも追悼文の一説です。
自分の感じた事を、いろいろな形で言葉を変えて表現しているわけです。
ですからFUNETには、私の人生が一杯詰まっているとも言えるでしょうね。

では、命日ですし、父を偲びながらお勤めでもしますか。(さくさく・・・とね)
で、家内からお布施をいただきましょう。(ごっつぁんです)

※「さくさく」とは、僧侶間のお勤めの打ち合わせで使われる言葉・・・
テンポ良く、あるいはアップテンポ・・・そんな意味です。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2006年01月15日 16:50

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