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2006年04月25日

悲嘆の自助グループへの参加 (加藤直美)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

今年度から、地元にある悲嘆自助グループに参加することになった。
参加の目的は、私自身の悲嘆経験を何かの形で生かしたいという気持ちと、
自分自身未だにその悲しみから立ち直っていないのかも知れないという、
漠然とした不安からだった。

このグループは、発足してから何年かは、あるNPO団体の援助を受けていたらしい。
しかし援助する側とグループメンバーの思いの違いから、
今年度からは、自助グループとして自分たちだけで歩きはじめるということだ。

ご縁あって、私がそこに参加するようになったからには、
何かのお手伝いをしたいと思っている。
しかし悲嘆のサポートなどという大げさなことではなく、
あくまでも経験者としての立場から「悲嘆」や、
それを「サポートする側」の現場を見つめたいと思っている。
1ヶ月に1度だけ伺いながら、様々な悲嘆の形に思いをめぐらしていこう。

昨今、悲嘆についての講演会や書籍など、
以前に比べれば「悲嘆」そのものを語る場所は増えて来たのかも知れない。
しかし、まだまだ認知されるまでには至らないという。
認知されるもされないも、それは悲嘆を抱える方の問題であり、
「支えます」「サポートします」「どうぞ泣いてください」と言われるのは叶わない。
泣くか泣かないかなんて、私の勝手だもの・・・。

先日の会では、これからの方向性を話し合った。
そしてこの場所では、それほど専門的なものとしてではなく、
区民が普通に「つぶやける」自由な場所を目指そうということになった。
何よりも私たちが欲しいのは、自分の想いを自由に「つぶやける」場所だ。

何を話そうと、どんな順序で話が出てこようと、
それはその人の自由であり、許されるべきものであるはずだ。
しかし時としてそのような場所ですら、
「それは違う」とか、「その答えは、○○です」とか、
「そんな言い方はしない方がいい」などと言われることがあるらしい。
私たちは、自らの悲しみに答えを与えて欲しいのではない。
歩いて行く道を聞いているのでもない。
ただただ、その悲しみに涙しながら、
今の思いを言葉にしながら、越して行きたいだけである。
そしてそれらの話に、ただ耳を傾けて欲しいのだ。
悲しみについて、何を発言してもそれを否定されない場所が欲しいのだ。
「そういう会にしたい」と意見も一致した。

少しずつ悲しみを見つめながら、私らしい活動を模索して行きたい。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2006年04月25日 00:00

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