お葬式で納棺や旅の支度を整える際に、死者の首から頭陀袋をかけてやることは、
僧侶が托鉢する時に首からかけているのを模して、出家扱いにしたのだろう。
しかし僧侶が諸方巡遊する際、常に携帯しなければならない道具類は決められていて、
本来、頭陀袋の中にはそれが詰まっていた。
一方、お葬式で死者にかける頭陀袋の中身は…
頭陀袋は全国に様々な呼び名があり、
どだ袋、じゅうざ袋、さんや袋、五穀袋、飯米袋、ぬか袋などと呼ばれている。
もちろん<ズダブクロ>の音便や地方風に訛音となったものもあるだろうが、
袋に詰める中味から呼び名となったものも存在している。
現在の葬祭業務では、頭陀袋の中に六文銭を入れるのが主流であろう。
一昔前は、経本、血脈、数珠、笈(おい)から、お菓子や髪道具や煙草や日用品まで。
さらには、握り飯、穀物、爪や髪…。
送る側の、様々な願いが込められた品々が詰まっていた。
これは本来の頭陀袋とは異なっているので、
私は、宗教から発して習俗に転化したものだと解釈している。
死という異世界の畏敬の念から、人々が迷信・俗信の類に惑わされつつ、
旅立つ人を<案じる想いが形>となったものだろう。
その<案じる想いが形>となるには、六道の中でも地獄の影響が大きい。
ところが、仏教には本来、地獄は存在しなかった。
衆生済度を目的とした布教の過程で生み出されたものだ。
文字が読めない人々のために(ほとんどの庶民)、
中国の善導大師が「地獄変相図」を著す。
これがとても分かりやすくて大ヒット。
利他(他のための利益としてのウソ)は許されているが、簡単に言うとウソである。
相手のレベルに合わせた対機説法だったのだが、
日本では根強く習俗化し残ってしまったようである。(僧侶にも責任有り)
頭陀袋の中身との関係がとても面白いのでいくつか紹介したい。
まずは【六文銭の巻】
僧侶の頭陀袋には入ってないけれど、死者の頭陀袋には必ず入っている。
死者が冥土で三途の川を渡るときに、渡し守に与える渡し賃。
一文銭とは、一個一文の穴開き銭で江戸時代最小単位の通過。
銭形平次が投げていたのもこれでしょうね(ゴメン)
ところが、銭の価値は相場で動きますから一文の価値も安定していません。
ながーい江戸時代の中で、銭貨の価値は下がっています。
(銭形平次は喜んだ…またまたゴメン)
それに三途の川の渡し守も、常識的に考えて独りでは忙しすぎて無理。
もしも独りだったら過労死しちゃいます。
多くの渡し守がいたことでしょうが、サービス合戦の果てに価格を下げたのかも。
(銭形平次の頭陀袋の中身が見たかった…引っ張りすぎ)
または、六文銭が穴開き銭ということから、三途の川の六道地蔵の六体に、
それぞれ紐を通して首から下げたとも言われていますが、
そしたら頭陀袋の中に<紐>も用意しないとね。
この世とあの世をまたぐ三途の川。
いろいろと話があって面白い。(真っ白い犬…これトータル三度目、尾も白い)
♪男と女の間に流れる「川」のようなものでしょうかねえ。
それから、現代では紙銭を使うことが多いですけど、
これは大陸の紙銭を焼く慣習の影響が大でしょうね。
明日は続きを書きます。