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2007年07月25日

○○先生の旅立ちを見送る会の司会を終えて  (石川 元)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

やばいね…と言うか3回も噛んでしまい申し訳ない(-_-;)です。
何だか、開式直前までバタバタと慌しく、気持ちが浮き足立っておりました。
疲れも溜まっていたし、バイオリズムが悪かったのかな!?
だいたいマイクを持った第一声で、今日の自分の調子って分かるものです。
慎重にいつもよりゆっくり読んだつもりだったのだけれど…。(―_―)!!

 

葬儀の司会に関わらず、どの分野の司会でも、
「今日は調子が悪くてまずいわ!」と思う日がたまにあるものです。
集中力が散漫で、活字が目に入っていかない時があるのです。
こんな調子の時には“先読み”もほとんど出来ません。
とにかくミスを防ぐために“慎重に”これしか方法がないのです。
本当に申し訳ないと思うのですが、人間ですもの、こんな日もあります。

今日のこの見送る会は、「エンディングノート」ではないですが、
生前に故人が考えた式次第進行に基づき、ほぼその通りに再現されたお式です。
「私の最期のイベントは、私らしく演出したい」
「客入れの曲は、旅の歌がいいなぁ」
「実行委員長は、○○さんに頼みましょう」
「メモリアルコーナーには、鉄道写真と模型を3,4台」
「献花のときのBGMは息子が演奏してくれたら最高だなぁ。」等。
この他にも詳細に書き残されておりました。

 

故人は、「千の風になって」の歌詞通り、風になって皆の傍に居る事を前提に、
「旅立ちを見送る会」というタイトルをお考えになり、
この会を立案しながら死の「恐怖」や「寂しさ」を紛らわせていたのかもしれません。
出来る限り、故人が思い描いた見送る会に近づけてあげたい…。
家族だけではなく、関係者が皆、願った事です。
しかし、打ち合わせの際には、この会の立案者はいらっしゃらない訳ですから、
曖昧な部分は喪主様との打ち合わせで埋めていかなければなりません。
また物理的に無理な事もあり、打ち合わせは結構大変でした。

しかし当日を迎え、祭壇やメモリアルコーナーには“故人らしさ”が溢れていました。
“汽笛”の音もポイントポイントで4箇所、音響効果として取り入れられ、
シンセサイザーの生演奏やCD、息子さんたちの生演奏と…。
常にBGMを有効に活用していたのもこの会の特徴だったと思います。
“汽笛”の音と共に祭壇のプラズマテレビならぬトンネルから汽車が現れそうでしょ?
献奏の「千の風になって」や息子さんたちのバンド演奏「いい日旅立ち」も素敵でした。

 

そして、私を動揺させた理由の一つ、メールの代読。
私が代読をさせて頂いたのは、
「教え子代表よりのメッセージ」
「学生さんよりの弔電」
「故人が家族に宛てた、タイトル=誕生日に思うこと」
以上でしたが、通常と違っていたのは、
すべてがメールをプリントアウトした文章だった事です。

よくお手紙の代読はありますが、長々と書かれたメールの代読は初めて…。
メールは、手紙より気軽に書ける利点がありますが、文章が軽くなりがちです。
ましてや若い方のメールは、否定的な文章の後に(^.^)笑顔の顔文字でフォローが入り、
口頭では伝わりにくいニュアンスが秘められているように思います。
葬儀の現場でのメールの代読は、キツイですよ。
おちゃらけて説明する訳にもいきませんからね。
ただ、今後、時代の流れに伴い葬儀の現場でも、
司会者のメールの代読が増えてくるように思います。
文章に惑わされず、葬儀に相応しい代読を心掛けなくてはなりませんね。

さて、私の司会は「イマイチ」でしたが、
担当者さんやスタッフのチームワークのお陰で、滞りなく会が終了しました。
奥様の喪主様は会を終えてから、泣きながら感謝の言葉を下さいましたが、
私には何だか清清しいお顔にさえ見えました。
やり遂げた充実感があったからかもしれません。
看病疲れの中、気丈に頑張ってこられた奥様には、心からエールを贈りたい気持ちです。
故人は、私の父が亡くなったのと同じ52歳。
何だか、人事とは思えなくてね~(._.)

故人のご冥福をお祈りいたします。

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投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2007年07月25日 09:29

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