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2008年01月18日

映像の世界 (井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

我々の世代はテレビ世代である。
それまでの映画全盛期(暗闇で見る大画面は迫力があった)から、
家庭で手軽に見ることが出来るテレビへと移行した時代である。
皇太子ご成婚や東京オリンピックという時代が後押ししたのも事実である。

その昭和40年代頃から、将来の未来テレビをイメージすることは研究がされていた。
人間の視覚性や心理効果を研究して、本当に見やすい画面・映像を求めていた。
暗闇で見る映画は、それ以外が視覚に入ってこない、しかし家庭の中にあるテレビは、
四角い枠で囲まれていて、枠の外までもが視覚の中に飛び込んできている。
映画とテレビでは、そもそもの視覚性と心理効果がまるで違うのだ。
そして現在のテレビは、立体画像など様々な選択肢の中から、
結局高精細テレビに方向を定めて、その後ハイビジョンと命名した。
それは、人間の視覚性から導かれた横縦の比率…アスペクト比率が16:9に決定したり、
走査線の数が大幅に…従来の日本のテレビは525本、ヨーロッパは625本、
そしてハイビジョンは1125本に増えたりした。(走査線って分かるかな)
今では大型テレビのモニターが、液晶かプラズマかの特性の違いなどである。

先日のニュースで、立体画像テレビが2025年に実現と出ていた。
2025年とは、団塊の世代が後期高齢者(75歳以上)となり、
医療費や社会保障費の急増が懸念される時代らしい。
へえー、いよいよそんな時代が来るのか。
かつての映画「SFナインティーン」のアルバムの立体映像シーンが目に浮かぶ。
アルバムを捲ると、アルバムの上で立体映像が動き出すのだ。
今では美術館やアミューズメントパークで、たまに目にする。(そんなに珍しくない)
主演の少年隊が、まだ本当に少年隊(今は中年隊だからね)だった頃のことだ。(笑)
1987年の映画だけど、康珍化さんの脚本は面白かった。
ついでに、私の友人の山下賢章監督にもお世話になった…そのSFの時代が間近だ。
例えば、遺影写真が立体画像だったり、思い出のコーナーの写真が動き出したり…。
いやあ考えただけでもゾクゾクする。

葬祭業界も、いまや映像無しでは考えられない時代である。
映像の使い方に、もう少し工夫が必要であることは否めない。
この分野での、しっかりした勉強が必要になってくるであろう。
一般に映画ならば、1秒間に24コマの写真である。
つまり24枚の静止画であって、動画というものは何処にもない。
まあ1秒間に24コマは、仏教で言うならば「刹那(せつな)」に近い。(豆知識)
1秒間に24枚の連続した静止画を見て、映画といっているのだ。
トドのつまり、嘘である、錯覚である、視覚効果である。
リアリティという言葉は、こういう嘘を言っているのだろう。
本当のように見える嘘…動いてないのに、動いて見える映画という世界。
実像以外は、すべて嘘の世界で成り立っているのですよ。
だからこそ…学ぶべきことは多いのです。(後は秘密)

少し前のテレビコマーシャルに衝撃を受けた。(youtubeより転載)

明治安田生命CM「たったひとつのたからもの」篇

言葉、音楽、映像、それぞれに精査して考えなければならないことが多い。
映像という表現の感覚的な力、圧倒的な説得力、感情を刺激してくれる。
人の琴線に触れてくる映像の力…良いものには、良いだけの理由が存在するのだ。
このコマーシャルは、1分30秒のスライドショーである。
つまり静止画を見て、人生を切り取られたその一瞬に感動し、
圧倒的な文字表現を目の感覚で追って、心を揺り動かされる。
たったの1分30秒で綴る人生だが、静止画の中に文字がとても効果的だ。
文字のテロップが連続することもあるし、言葉のインパクトは際立っている。
1秒に24コマの静止画は、動画のように動かない代わりに言葉の力で埋め尽くしてある。
同じことが、FUNETの追悼DVDを使えば出来るのだ。
音楽は著作権の問題があるので、別バージョンになるのは仕方ない。
課題は山積みだが、FUNETで目指す映像のヒントも詰め込まれている。
そしてFUNETでは、もっと簡単に、誰にでも出来る、すぐに出来る、
追悼映像DVDの新バージョンが間もなくアップするだろう。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2008年01月18日 09:00

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