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2008年02月19日

善人なおもて往生をとぐ… (井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

今日は24節気の雨水(うすい)ですね。
まあ雪が溶け始めるという意味でしょうか。
すでに立春が過ぎ、この後啓蟄で、そして春分の日がやってきます。
暦の上では、とっくに春なんですけど…まだ寒いわ。

築地本願寺で開催される中央仏教学院の専修過程に通っていた頃、
事ある毎に「歎異抄を持ち歩いてみなさい」と、先生から教わった。
続いて「すぐに眠くなるから…」とも付け加えられた。(笑)
何度でも読み返していかなければ、理解しづらいとも。
そしてそれは、決して間違いではなかった。
私は地方へ出張する際、結構、眠り薬として持ち歩いている。
残念ながら、難解なとこも、眠り薬も、効果覿面です、はい!(スンマセン)

禁断の書とも呼ばれる歎異抄は、
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」に代表されているが、
悪人こそ逆説的に救済されるという悪人正機説…これが明治以降インテリには受けた。
ただ親鸞の真意は、大分ちがっているようだ。(きちんと伝わってないのです)
善人や悪人というのは、社会の現実的な善悪の倫理観では計り知れないものである。
極論すると、人殺しは悪だが、戦争でたくさん働けば英雄になったりもする。
また以前にも話したけど、戸籍の中の年齢の表記方法に、
数え年を採用していた時代から、満年齢に変えたりはしないのが宗教的と言います。
社会のモノサシは、近年だけ見ても、戦後大きく変わりました。
社会秩序のためのモノサシは絶えず変化しているけど、変化しないのが宗教的な考え方。
つまり軸が、絶対的にブレないということでしょう。
この話は突き詰めると面白いけど、面倒くさいのでカット。

私は不勉強者で、眠り薬を必要とするときまで滅多に歎異抄を読まないが、
その読まない歎異抄から今日のテーマ…親鸞が示してくれた浄土観の面白さ!
それは「天国」「地獄」に対比されるような単純な話ではないのです。
いかにも浄土真宗らしいというか、屁理屈好きといおうか(怒られる)、
判断が単純じゃないところに人間味が感じられる。

浄土真宗の浄土は、阿弥陀如来が担当している西方極楽浄土なんだけど、
(他宗派の浄土は、原則、担当者がそれぞれ違います)
その浄土に往生するのに二通りあると、歎異抄の17条で述べているのです。
えっ二通りって??どういうこと???
一つは「真実報土(しんじつほうど)」、もう一つは「方便化土(ほうべんけど)」。
普通の考えだと、単純に浄土に往生することを願っているだけなんだけど、
浄土往生にも二通りあるのかよ…となってしまいますよね。
そうなんです、方便化土(ほうべんけど)とは、地獄ではありません。
「方便の浄土に生まれる者は、地獄に堕ちる者」という世間の理解に対して、
親鸞聖人は激烈にこう言いました。(訳してます)

「かたほとりの土といわれる方便の浄土に生まれる人は、
結局地獄に墜ちることになるということについて。
このことはどこぞにその証拠となる文言があるのでしょうか。
おそらくこれは、学者ぶった人々の中から言いだされたことと聞きますが、
あきれた話です。そのような人は、経典や祖師方の書かれたものを、
どのように学んでいるのでしょうか」

くーっ、親鸞言うねえ…強烈ですなあ。
実は私、この章のときだけは眠くならなかったんですね。
で方便化土(ほうべんけど)というのを後日調べてみました。
「かたほとりの土」って何ぞやと。
すると真実の浄土に対して、仮に救われる浄土ということらしい。
浄土の中の、辺鄙な場所というわけだ。
別な言い方をすれば、拘置所みたいなものだとか。
犯人と決定しない者を、一時的に拘束して置く場所のこととも。

信心が不十分な人でも、阿弥陀如来は何とかして救ってやりたいので、
浄土にも色々とご用意されたらしい。
それでこそ、一人残らず(摂取不捨)救うという意思の現われということか。
皆さん、浄土真宗に地獄はありませんぞ…ってか。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2008年02月19日 09:00

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