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2008年02月21日

昔懐かしい葬儀社様へ (井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

2月のとても寒い日、都内のとある葬儀社様へ。
人材をしていた若い頃には随分と通い、また大変お世話になりました葬儀社様。
駅のすぐ側で○○街道沿い、場所は昔のまんまです。(懐かしいかー)
数年前に建てられたホールを見学に、ついでに遊びに行ってきました。


元の店は住居スペースも同居していましたが、
今はすっかり綺麗になって、5階建ての立派な葬祭ホールです。
私は少し敷居が高くなったように感じて…ご無沙汰していました。
施行件数は確実に伸びているようで、ホール建設に踏み切って良かったですね。
スタート地点に立てたわけですから。

ここの社長には随分とお世話になって、また付き合いも長いものですから、
あだ名のように「センム」と、つい呼んでしまいます。
それはここでお世話になり始めた頃、現社長は「専務」だったものですから。
因みに私らの仲間内では、「何にもセンム」と言っていました。(失礼な…笑)
私が芝居をしていて舞台に立っている頃は、ライカのカメラで撮ってもらったり、
(社長は写真が趣味でした)FUNETを始めた頃は写真をご提供いただいたり、
事務所の東京支店にと、倉庫の2階に居候させてもらったり…。

もう昔の話ですが、笑えるようなとんでもない失敗も幾度となくしています。
祭壇を飾るのに、天板を全部忘れたり…どうやって飾るのよ、
あるいは輿をすっかり積み忘れたり、輿の屋根だけ忘れたり…。
幸い設営場所が近場ばかりだったので大事には至らずにすみましたけど。
遺族から遺影写真の元にお預かりした写真には、故人を含む3人が写っていた。
引き伸ばされた写真は、故人の隣のお婆ちゃんだったり…(全員集合かよ)
それが、ほんとに全員集合!のメンバーのご親戚だったのです。(笑)
存命中のお婆さんが、人間が出来てないひとで、
「私じゃない!」と遺影写真を見て言うものですから、
通夜の終わりにはパニック状態に近かったですよ。

さて、式場が2ホールということで、2階と4階です。
大きめのホール「さくら」(福山雅治のヒット曲「さくら坂」に由来するらしい)と、
家族葬対応のホール「うめ」…現在は弔問客がかなり少ない傾向にあるとかで、
家族葬対応ホールは、葬儀社の必須定番になっているでしょう。
大は小を兼ねるではなく、専門的に特化する必要があるでしょうね。
ここでは、かなり以前からエンバーミングを推奨していることもあって、
遺族控え室の様子などが、若干他社様と違っていました。
私見ですが、全国の火葬のタイミングは大きく3種類。
①通夜の前にすでに火葬する地域、②葬儀の朝早く火葬する地域、
③そして葬儀後に出棺して火葬する地域です。
一般的にエンバーーミングは、この③番目だけではないかな。
確かに全国の中で一番比率が高いけど、どうかなあ…と思います。
それから日本のエンバーミングは、極論すれば10日前後持てばいいのでは。
どうせ火葬が主流なんだし、湯かんという方法だってあることはある。
もう一つ追加すれば、担当者として受注に伺って、
いきなりエンバーミングの説明からというのも…どうかなあ?
まあ、個人的な意見ですから気にしないでください。
と言いつつ、○○社葬祭研究所で編著した、
「新しい葬送の技術 エンバーミング」という本をいただきました。
うぉーす勉強します、ありがとうございます。

ホールはとても綺麗です。
今は何処のホールへ伺っても、ホテル並みですからね。
少し時間があったので、司会席も弄らせてもらいました。
とても大きなモニターが式場内にありましたので、
許可を貰って簡単スライドショーなどの実演も試してみました。
好いですね、とても好いです。
今度しっかり営業に伺いますので、考えてください。

帰りに、近所の懐かしいお店で「カキピラフ」をご馳走になりました。
その名の通り「田園」という店なんですが、逆に読めば「園田」となり、
私の父の苗字と同じであったことも、懐かしく感じられました。

都内の葬儀事情は、全国の中でかなり特殊だとは思うんですが、
やはりというか徐々に、変わりつつあるようでした。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2008年02月21日 09:00

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