« 葬祭ディレクター受験者対策を見学して(工場長) | メイン | オンセイ☆エッセイ#62 (Teacher☆KIMIKO & Shacho- & Kojocho- ) »

2008年08月01日

親戚の葬儀での、残念だったこと…(加藤直美)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

6月に、親戚の葬儀がありました。父方の叔母が亡くなりました。
私は、従兄弟にもお悔やみが言いたくて特急電車で駆けつけました。
式場は、従兄弟の実家そばの小高い丘にある斎場でした。
菩提寺の住職に読経をあげてもらい、叔母の兄弟姉妹、甥っ子姪っ子たちが集い、
全体には、しめやかな葬儀でした。
でも、大事な場面で私はがっかりさせられました。

 

最後のお別れでの出来事でした。
身内だけが集められて、しめやかに最後のお別れが始まりました。
遺族や親戚がそれぞれにお花を手向けて、永遠のお別れをしました。
入院中に最後まで付き添った長女は、涙を流しながら別れを惜しんでいました。
多くの人が順番にお別れをしました。

柩の蓋が閉められて、そこにいる全員が釘打ちの真似事をします。
石が渡されてゆっくりと、ゆっくりと…まるで時間が止まってしまったような感覚でした。
名残を惜しむかのように柩覆いがかぶされて、静かに位牌と卒塔婆が置かれました。
「ご一同様、合掌…」と、一通り悲しみの儀式が終わったときです。
故人の長女が「あっ、忘れた!」と叫びました。
「何を?」と誰かが聞く間もなく、長女は小走りで何かを取りに行きました。
中に入れる愛用の品物を、柩の中に入れ忘れたそうです。

私は目と耳を疑いました。
これまでに目の前で、すすり泣く声と共に、
悲しみの中にも穏やかな雰囲気で行われていたことは、いったい何だったのか…。
周りの親戚は、苦笑する人、ため息をつく人、ワケが分からなくてポカンとする人。
一瞬にして部屋全体は、あきらめムードが漂いました。
まるでお芝居のワンシーンのようです。私は、呆れ果てて言葉を失いました。
叫んだ従姉妹にではありません。
そのことを確認、準備していなかった葬儀社にです。

 

その後、最後のお別れはどうなったか。
遺族や親族のいる前で、まるでビデオの巻き戻しのように、
位牌や卒塔婆がはずされて、柩覆いがはがされて、普通に蓋が開けられたのです。
私は怒りと落胆で、その後のことは見ていません。
担当者が、どのように対応し、また弁解をするのかまでを見届けたかったのですが、
到底無理…私は部屋を出ました。
叔母達は「どうしたの?」と私に聞きました。
「棺に入れるものを忘れたみたいですよ」と説明するのが精一杯でした…。
これは正真正銘、叔母の葬儀での出来事です。
やり直しがきかない叔母の最期の儀式でのことです。

そのことだけで、今回の葬儀社にはガッカリでした。
その先のことはよく覚えていません。
それに、今回の葬儀社の言動を「見ない、聞かない、感じない」と、
心にバリアを作ってしまったように思います。
これ以上何かがあったら、必ず私は苦情を言ったでしょう。
でも、大事な叔母の葬儀の中で、そういう自分には耐えられません。
だから、感性を麻痺させました。あらゆることに、感じない私を作りました。
…私にとっては、叔母が亡くなったこと以上に辛く嫌な経験でした。

今回の葬儀社社員は、葬儀の仕事とは何か…。
最後のお別れという儀式が、どういうものなのかを、
もう一度きちんと考え直さないと、また同じような失敗をするでしょう。
遺族の誰かが、このことについて問題視した様子はありません。
むしろ長女は私に「私って天然なのよ。やっちゃったわあ…」と言っていました。
私はその時、言いたかったです。
「違うのよ、あなたは天然でも何でもいいの。こういう時は葬儀社から、
 『柩に入れてあげたいものはありますか?ありましたら事前に準備いただけますか?』
 という、一言を伝えるべきでしょう?」と。
敢えて私は、それを従兄弟たちに伝えていません。
言ったら傷つくことは分かっています。

葬儀社には、もっと気付いてほしかった…。
大切な叔母の葬儀なのです。
そう、強く思いました。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2008年08月01日 09:00

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.mcpbb.com/blog/mt-tb-funet.cgi/1389

(C)MCプロデュース 2004-2013 All Rights Reserved.