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2010年06月16日

裁判員制度からおよそ1年(工場長)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

「葬儀」が一般市民の日常生活と関わりが薄いように、
「裁判」も一般市民の関わりが最も薄いものの一つです。
そもそも、日本では裁判(民事裁判)自体が少ない。
日本人は調和を大切にする農耕民族の傾向がありますので、
争いを起こすこと自体が非日常として避けられてきたのかもしれません。

それが昨年、裁判員制度が施行されて変わりました。
一般市民が、積極的に裁判に関わらるような状況が作られました。
先月の5月で、裁判員制度が施行されて1年になります。
この1年で、裁判員総数2,565人、補充裁判員総数1,029人、
合計3,594人が裁判の判決に関わりました。
(裁判員候補者数は、41,047人。)

この1年の裁判員制度の大きな成果は、
多くの一般市民が「裁判を経験したこと」にあったと思います。
裁判員に対して行われたアンケートの内容を見てみると、
【裁判員に選ばれる前の気持ち】として、「(裁判員を)やりたくなかった」
「あまりやりたくなかった」と答えた人の合計が、全体の55.7%。
一方で、【裁判員として裁判に参加した】感想として、
「非常に良い経験と感じた」「良い経験と感じた」と答えた人の合計が、
全体の96.7%でした。

裁判員の多くが、当初は不安はあったものの、良い経験として受け入れています。
さらに、「自分を見直すいいきっかけになった」
「様々なことの背景を考えるようになった」といった意見もあります。
裁判を通じて、裁判員自身の人生に良い影響を与えていることも、
現在の裁判員制度が上手に回っている要因の一つと思います。

裁判員制度を見ていると、
葬儀においても、一般市民が関われるような制度ができないものかと思います。
かつて、特に田舎の地域では、近隣の葬儀の際に、
近所の人で協力しあう互助意識が強かった。今も、田舎ではそうかもしれません。
一方で、都市部の多くの葬儀はサービス業化して、
一般市民の日常生活から離されたところにあります。

日常生活における葬儀への関わりの薄さが、
葬儀や人の死に対する意識の薄さを招いている。
そう考えると、一般市民がより関われるような「社会における葬儀」を、
改めて考えてみる必要があるかと思います。

PS.
現時点で、裁判員制度には改善されるべき問題点もあります。
例えば、強姦致傷罪で検察が起訴しようとしたところ、被害者である女性が、
「事件を知られたくない。裁判員裁判だけは嫌」と訴えたため、
強姦罪のみの起訴になったそうです。
他に、起訴猶予になったケースも。
プライバシーの配慮が必要な案件では、
裁判員裁判か裁判官裁判かを選択できることも必要かもしれません。

尚、昨年の裁判員裁判の判決の傾向は、
・殺人事件では、軽重の幅が広がっている。
・強姦致傷や強制わいせつ致傷などは、厳罰化傾向にある。
にあったようです。

強姦致傷等が厳罰化している一方で、
その種の犯罪の起訴自体が、躊躇されている。
繊細な問題だと思います。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2010年06月16日 08:52

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