« 東日本大震災記録 当日(加藤直美) | メイン | 東日本大震災記録 4日~5日(加藤直美) »

2011年03月23日

東日本大震災記録 2日~3日(加藤直美)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

地震2日目の早朝、携帯電話の地震速報で、目が覚めました。
外が明るくなってきていて、それはとても嬉しかったです。
昨日買っておいたペットボトルのお水で、歯磨きと洗面をしました。
河北新報という地元紙が、こんな状況の中でも頑張って届けてくれた新聞には、
すごい災害の写真が載っていました。テレビが見られないという状態に、
新聞はありがたかったですが、写真を見て怖かったです。
その後ホテルから、「今夜は、当初から予約がいっぱいで、もしその人たち、
もしくはその人の関係者が来たら泊めてあげられない」と言われました。

歩いて10分の場所に「まほろば」という
「ふれあい文化創造センター」があります。
そこが広域の避難所になっていました。
朝はそこまで行って、おにぎりをいただきました。
暖かい白湯が美味しかったです。
ここでは、消防団の方々がすごく活躍していました。
地震発生後すぐに交通整理をしていたのも消防団です。
自分のことを差し置いて、人のために、
世の中のために働いているこの気持ちは、すごいことだと感じました。
私も出来ることが無いかを探しました。
すると飲み終わった湯のみが山のようになっていたので、
それをトイレの洗面台で洗うお手伝いをしました。
震災にあっても、誰かのために何かをすることが、
今の自分を元気づけることだと思いました。

このセンターには、会議室、和室、ホールなどがあり、
多くの住民が避難していました。
しかし私が行った時には、もう人であふれていて、
「これからやってくる避難民を受け入れる余地は無い。毛布も無い」と、
言われました。
ここに来ても、床に座るしかないようです。外よりはましですが・・・。
すると、館内アナウンスが流れて「災害用の電気もガスも、
多分今日中に底をつくので、皆さんのご協力をお願いします」と言われました。
この時に、母から携帯に電話があったようでしたが、出られませんでした。
心配そうな母の声が留守電に入っていました。
その留守電を聞くと急に寂しくなってしまいました。

その後、ご自身も大変な中、葬儀社のI氏が様子を見に来てくれました。
その日の宿のことを心配してくれて、
「他のホテルや旅館に聞いたが、全部断られた」と言いました。
そして、「もう1件、山の中に宿があるから、
飛び込みで頼んでみよう」と言ってくれました。

15分位車に乗って到着したのは、人里から離れた、
昔は湯治場だった宿でした。気温も1~2度は下がったでしょうか・・・。
飛び込みの私たちに、宿の人はいい顔をしませんでした。
「食事といってもおにぎり位しか無いし、
温泉も停電してポンプが動かないので入れない」という話でした。
しかしここを逃すと私たちも避難所送り・・・。
粘ってみようかということで頑張り、やっと部屋に入れてもらえました。
取りあえず、今夜の落ち着き所が見つかりました。

この宿に入ってすぐ、携帯はメールもつながらなくなり、心には応えました。
この頃が、一番私がブルーになった時期です。
ちょっと寒気もしていました。頭痛もして、セツナイ気分が襲いました。
「何か食べなければ・・・」と、
持っていたドラ焼とおせんべいをペットボトルのお水で流し込みました。

でもすぐに、気持ちを切り替えて、部屋の中を歩きました。
「あるこ~ あるこ~ わたしは~ げんき~」
お隣に迷惑にならない程度に300歩位歩きました。
次は、ラジオ体操をしました。
木造の宿で、停電で暖房も無いので、ホテルに比べるととても寒かったです。
持っていたヒートテックシャツ3枚全部と、タイツ2枚、ストッキング1枚を
重ね着して、それに洋服を着て、コートを着るとちょうどいい位でした。

地震当日から書き始めた記録メモは、自分の気持ちを吐き出すために、
とても有効な手段でした。書くことは、カウンセリングの役目を果たしました。
しばらくして、持っていたiPodに入れてある「正信偈」を
一緒に唱えました。声を出すことが気持ちとカラダを楽にして行きました。
この時、地震以降、やっと大きく深呼吸することが出来ました。
腰痛の治療で行っていた「ヨガ」もしました。
たまたま持っていた「仏教の本」も役立ちました。
宿の部屋が南向きで、午後の太陽がとても暖かかったです。
これはすごく有り難いことでした。

浄土真宗本願寺派中央仏教学院通信教育課で学んでいる私は、
つい先日学んだ「宗教の存在理由」をこの震災になぞって考えていました。
イギリスの人類学者マレットは「宗教は危機に根ざす」と言いました。
生きることは常に危機の連続だと言います。
この震災がまさに私自身の最大の危機であり、
生きる限界にかかわる問題でした。
どうしようも出来ずに、自分の無力を感じさせられていました。
苦しかったです。
その中で、「南無阿弥陀仏」と唱えることは、私に落ち着きを与えてくれました。
「南無阿弥陀仏」とは、「阿弥陀様にこの身をゆだねます」という意味があり
「もうジタバタしてもしょうがない」と、私に気づかせてくれました。
去年から仏教を学んでいて、とても良かったと感じた瞬間でした。

 

夕方、葬儀社のI氏が何本かのろうそくを持ってきてくれて、
それは宿に寄付しました。
葬儀社さんも甚大な被害を受けたそうです。
その中で度々来てくださることが、本当に申し訳なくて
「もう、私たちのことは気にしないでください。
私たちでどうにかしますから・・・」と伝えました。
言いながら少し後悔しましたが、後は自立の道を歩む覚悟でお伝えしました。
「南無阿弥陀仏」生きていれば、どうにかなります!

つづく。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2011年03月23日 08:00

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.mcpbb.com/blog/mt-tb-funet.cgi/2090

(C)MCプロデュース 2004-2013 All Rights Reserved.