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2011年04月28日

風評被害は心の被爆か (井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

今回の原発の問題・・・確かに酷いと思う。
この50~60年の間であろうか、日本に50数基の原子力発電を生み出したのは。
それは独占的な電力会社と政府(政治家)である。
そして、その政府(政治家)を選択してきたのは日本人だ。
だから我々一人一人に責任がある。

そもそも日本列島はユーラシアプレートと北米プレートに乗っている。
これらは太平洋プレートにより東から、フィリピン海プレートにより南から押され、
太平洋プレートとフィリピン海プレートは海溝やトラフをつくって潜り込んでいる。
こうして、日本は3つのプレートが1カ所で接する三重点(トリプルジャンクション)
が近くに2つもあるという極めて複雑な様子を示している。
世界の地震と活火山で解放されるエネルギーの約10%は、
日本とその周囲でのものになっている。
世界的に見ても、地質活動が非常に活発な地域である。

こんなところに50数基の原発を建設して危険が伴わない訳がない。
だからこそ電力会社はメディアに相当気を遣い、味方には援助も惜しまなかったようだ。
政治家は、本当に日本に原発を拵えて危険がないと思ったか。
きっと、そんなはずはない。
だって、全国の原発の位置を確認すると、都市部には殆どないからだ。
福島の原発問題だって、首都圏の問題なのだから。
今回の地震が、仮に200年に一度であろうが、千年に一度の大地震であろうが、
国造りというのは、そういう長いスパンで考えてしかるべきだろう。
安全が証明されない限り実施してはいけないのだとしたら、
許容量や基準値というのは、人体に被害が出ていないからやってよい、
ということにはならせないのではないだろうか。
結局、どんなに努力しても原発は安全にはならないのである。
このことに政治家が気づかないはずはないのだ。

ある学者によれば、地震の研究は成果があまり出ないという。
そして、研究として取り組むべきであって、政府がやるべきことではないともいう。
地震の余地が出来たとしても予知だけだから、
被害を最小限に食い止めることは評価すべきことだが、
本来なら、地震が起こらないように手を打たなければならないはずだ。
出来ないのなら、出来るようになるまで、そんな地域に原発はおかしい。
そんな地域とは、3つのプレートの上に乗っかっている日本の事である。

今、日本の他の地域で地震が起きても何ら不思議ではないのだから。
我々の国がエネルギーを将来に亘ってどうするのか、早急な問題であったのだ。
そのことに我々がハタと気付いただけなのである。

ところで、放射性物質による被爆が殊更メディアで騒がれ、
高じて風評被害を巻き起こしているようだ。
だが、1950~1960年の冷戦時代(私が生まれた頃)、
米ソが繰り返す核実験によって日本に降り注いだ放射能物質は、
今回の被爆と比較しても相当に大きかったらしい。
具体的には、東京における放射性セシウムの降下量が、
今回の福島原発のそれと比較して、1万倍の数値というから逆に怖い。
更には九州では頻繁に起こる黄砂の現象。
中国の土壌に含まれる、かつての核実験で放出された放射性物質が飛来している。
まだ他にもたくさん例はあるけれど、あまり書いても意味がない。
要するに過度な反応は控えましょう。
だって原発における放射能の物理的影響より、
心理的影響の方が遥かに大きいのだ。
心の被爆である。

心まで被爆しないように。
誰かの生活が風評被害を受けて、それが各々に巡り巡ってくるから。
今までも、いや今までだって、実は知らされていないだけで、
放射性物質は浴びていますから。
色々と考えると、僕の年ではもう今更の気分です。

本日は第26話の前半・後半です。
どうぞ。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2011年04月28日 08:00

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