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2011年05月09日

葬儀司会初級講習会を終えて (井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

今年も葬祭初級講習会が始まった。
春は3回、秋は1回の計4回である。
東日本の震災の影響で参加者は少なくなったが、例年通りに実行された。
2泊3日の講習会の最終日に、私は葬儀司会を担当している。
これから皆さんがどんなキャリアを進んでいくのか分からないが、
今現在の社会状況と照らして考えると予想はできる。
20年前の新人と10年前の新人では、やるべき事の方向性が違っていた。
20年前は、型にはまったマニュアルを覚えることで取り敢えずは良かったが、
10年前は、マニュアルではもう古く、状況に応じての司会が要求され始めていた。
だから、流行の家族葬だけでなく、現在の新人に求められるものは・・・となる。
そのあたりを意識しながら、テキストは毎年マイナーチェンジをしている。


(もうすっかりお馴染みのMP3での音声教育)

例えば弔電の読み方。
そこに書いてある原稿を読むだけでは不快感を及ぼすこともあるのだ。
何の練習もしていない素人同然の人に読まれて不快になる人。
オーバーに節を付けて、抑揚が付いているだけの司会に不快になる人。
正確に読めばそれでいいとだけ思っていて、読点(、)もついてないのに、
勝手に切って読まれて不快になる人。
上手な司会者気取りで、これ見よがしに悲しく読まれて不快になる人。
その他、枚挙に暇がないと言ったらオーバーか。

だって「書き言葉」で書いてあるから、それを見る人は黙読する人がほとんどのはず。
敢えて声に出して、マイクを通して読む(代読)ということは、
その弔電に込められた意味を伝えることであり、それは読む事と同義語ではない。
簡単に言えば、「・・・お元気で・・・」と原稿に有るなら。
意味としては「元気だったら良かったのに」という場合が多い。
だって葬式に弔電を送るのは、故人となってしまったことを知っているから。
あくまで、希望や願望を述べ、その気持ちを哀悼の言葉に変えているのだ。
そもそも「書き言葉」と「読み言葉」の間には、大きな開きがあるのだ。
国語の時間に、読み言葉の授業はない。
だからこそ、現在の学校の音読はプロがCDで代読している。
人前で、読む、喋る、話す、ということは訓練が必要なのである。
そこのところに力点を置いた講座を展開している。

今回集まった皆様、大変お疲れ様でした。
2泊3日の研修は皆様に何を残したでしょうか。
この業界の出発時に学んだ事がらはずーと記憶に残ります。
いずれまたお会いする時まで。
お疲れ様でございました。

では、約束の夏。
第29話の前半・後半です。どうぞ。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2011年05月09日 08:30

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