付き合い方といっても、今の技術では放射能と仲良くすることはできず、
いかに放射性物質を近づけないかということになる。
「肉牛を全頭検査をして、管理を徹底する」ことに尽きるのだろうが、
自治体規模で人や検査機器を揃えるのは難しいようだ。
県や国で広域的な流通管理体制の構築が必要になってくるだろうが、
どの程度の時間が掛かるのやら・・・。
また、今は牛だけに注目がいっているが、
今後は豚や鳥、魚、また米や野菜を含めた、
「食」全般の管理体制問題が問われるようになるだろう。
特に、日本食を代表する米は、
収穫の秋を過ぎた頃から敏感になるのではなかろうか。
国の基準値を超えた米は、「汚染米」などと呼ばれるのだろうか。
改めて考えると、この「汚染○○」という言い方は差別的な印象を受ける。
牛にしても、好んで放射性物質を多く含む稲わらを口にしたわけではないし、
畜産農家も、故意に与えたわけではない。
地震があり、津波があり、原発事故が起こり、
その影響で目に見えない放射性物質が浮遊して稲わらに付着し、
それをいつの間にか食べていた(食べさせられていた)・・・ということになる。
その肉牛が流通して、知らずに食べた全国の消費者も被害者であろうが、
そもそも牛や畜産農家も被害者の一人である。
むしろ彼らの方が精神的にも金銭的にもダメージは大きいに違いない。
これまで私たちの食を支えてきた彼らを決して責められないし、
「汚染○○」などの言い方で、いかにも「排除しなければならない」という
暗黙のコンセンサスを作ることは大変失礼な気がする。
せめて「被曝牛」が良いのか。・・・言葉は難しい。
人においても、(内部)被曝者との付き合い方、
また、その遺体の扱い方は、考えておく必要があるかもしれない。
遺体に関しては、3月末に厚生労働省が自治体に発信した通知、
「東京電力福島第一原子力発電所災害に係る避難指示区域内の御遺体の取扱について」
が、参考になるかもしれない。
これによれば、汚染検査の基準を【10μSv/h】とし、
除染を実施するか判断することになっている。
火葬、土葬ともに、環境への影響は問題ないようだ。
内部被曝の場合は、また違うガイドラインが必要になるだろう。
それも、除染できれば問題はない。
むしろ放射性物質におかされたことによって、
周囲の人が不安に思い差別的に見られること、
差別的に扱われることの方が心配である。
そのような副産物的な影響も含め、「放射能との付き合う」ことになるのだろう。