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2011年08月15日

汚染土、寺へ(工場長こと古家寛)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

少し前の毎日新聞のニュース
福島県で、自宅や田畑の土壌の放射能汚染に不安を感じる住民が削り取った表土を、
引き受けている寺院があるという。
汚染土はおそらく低レベルの放射性廃棄物扱いになるのだろうが、詳細な法律は無い。
ただ、本質的な問題は、放射性廃棄物としての汚染土の処理とりうより、
住民の気持ちの面にありそうだ。

原発事故の直後、政府は「直ちに影響の出るレベルでは無い」という言葉を連発した。
現在その言葉は聞かれないが、原発事故による放射能汚染の影響が、
どれ程なのかは公表されないままである。調査しているのかすらわからない。
また、マスコミもかつて程報道しなくなっている。

情報が出てこないから、かえって住民が不安になるのは当然である。
行き場のない現地の人々が、日々拡散されている放射性物質に対して、
不安を募らせるのも無理は無い。
少しでも放射能を遠ざけたいと思う気持ちもわかる。
住民の不安な気持ちに応える寺院も、大変であろう。

仏教では、不安やおそ惧れを抱いている人に対して、
安心の施しをすることを「無畏施」または「施無畏」という。
汚染土を引き受けるということも、
寺院側にとっては「無畏施」の一環なのだろうか・・・。
檀家関係の深さにもよるのだろうが、
寺院があまり無理をしすぎないように祈るばかりである。

「土砂加持」という言葉がある。
密教で、光明真言を誦して土砂を加持する事により土の穢れを成仏し、
土にかえった亡者を光明の力で罪を除き、極楽浄土に導くという。
人が死んで、埋葬されて、「土にかえる」という言葉もまだ残っているが、
土葬の頃は、人の死と土は密接に関係していた。
(ちなみに、明治29年の火葬率は約25%で昔はほとんどが土葬だった)
土砂加持法要は真言宗にしかないが、
福島県の一部の住民には、気持ち的な面で土砂加持を求めているのかもしれない。

宗教儀礼で、科学的な放射性物質が取り除かれる訳ではない。
それでも、日本人の最後の心の拠り所の一つには、寺院があるのだろう。
宗教離れが叫ばれて久しいが、決して宗教が不要な訳ではない。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2011年08月15日 08:25

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