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2012年02月09日

鎌倉仏教の口火を切ったのは… (井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

昨日も話に出たが、日本における仏教の起こりは当時の百済からもたらされた。
それらが奈良仏教であり、難行苦行の末に悟りを開くというものであろう。
有名な清水寺は、今は単立になったが、元来は法相宗ということである、
また唐招提寺は律宗の総本山である…等など、こやつら年に一度、
今年の漢字を書いてみたり、観光そのものには力を入れるが、
世の中の庶民を救おうという気構えがどれだけあるのか不明だ~
奈良仏教の問題は、修行僧の為だけにあり庶民を救うという感覚が欠落している。
そこへ第一の風穴を開けたのが、歴史上は最澄だ。
最澄と空海(天台宗・真言宗)は唐へ渡り、支配者層の為の仏教を学んできた。
特に最澄は、都の鬼門の方角に寺(延暦寺)を創建した。
所謂、鎮護国家の為の仏教である。
こうして、修行僧本人の為というより、お国の為の仏教に変わっていくのである。

中国天台宗を学んだ最澄が「日本天台宗」という名の下に、
(密教、浄土門、法華経、エトセトラ何でもごった煮)
天台宗以外の教えを沢山広めてくれたお蔭で、今の日本仏教があるのだろう。
比叡山で学んだ、法然や日蓮や道元たちは、やがて気づくのである。
庶民を救わない仏教の奇異さを。
また、仏教の世界観に風穴を開ける時期が来ていた。

本来、宗教とは特定の人物を救うものから、やがて広範な人々を救うようになる。
例えば宗教の始まりを例にとるなら、
アメリカのインディアンが部族の守り神バッファローを
大切にしていたとして、背中の入れ墨にバッファローが彫ってある。
ところが他の部族は、ガラガラヘビの図柄が彫ってある。
このように信仰の対象は、それぞれの部族しか救わない。
この話を少し進めると、神道は日本人しか救わない。
アフリカの部族を日本の神が救わないことはないのだと信じたいが、
宗教的に限界があるのだ。
同様にユダヤ教はユダヤ人だけしか救わないが、
発展してキリスト教になれば、全人類を救うことになる(理論的にね)。
このように宗教にもレベルがあるのだ。

私が中央仏教学院の僧侶養成コース・専修課程で学んだ時、
「真宗」か「宗教」か「寺と教団」だったか科目は忘れたが、
この時、新たな風穴を開けたのは法然である、と書かれていたと思う。
法然は「南無阿弥陀仏」と称えるだけで、誰でも極楽浄土に生まれることが出来ると。
こうして鎌倉仏教の口火が切られた。
難行苦行の上、かなり難しい(宗教上の)教えでは、
とてもじゃないが全ての人々を救うことは出来ない。
衆生済度の為、法然は(自力)聖道門を捨て、浄土門の道を選んだのだ。
※衆生済度(しゅじょうさいど)・・・仏道によって生きとし生けるもの全てを
迷いの世界から救済し、悟りを得させること。
鎌倉仏教に共通しているのは、この<救済性>である。
※鎌倉仏教・・・浄土宗・日蓮宗・曹洞宗・臨済宗・浄土真宗など
ざっくり言えば、この流れが江戸期まで続くのである。

鎌倉時代と云えば、土地を持った民が大きな力を持った時代。
普段は農民だが、有事の際には「いざ鎌倉へ」と馳せ参じ、
名誉のために潔い戦いをする・・・ということである。
ややもすれば「土地にしがみついている」と
揶揄されることもあったであろうマイナス面を、
いざ鎌倉という時は、身を捨てて戦う潔さで補う感覚ではないか。
これが武士の起こりである。
一方で土地にしがみつき、他方で潔く戦い時には命を落とす
という両面があって成り立つのだ。
やがてこの力を持った農民・武士のラインを崩したのが、
太閤検地であり刀狩である。
(口分田や永年墾田私財法や荘園などの話はぶっとばしてある)
結局、この輩が何処へ流れたかというと、江戸期に於いては一向宗、
現在の浄土真宗ということだ。
(思いつくままに書いてあるので、荒っぽくて本当にスマン)

私は、法然が浄土門の道を切り開いたのだと思っていた。
実際の歴史観では、そのように見て間違いではないはずだ。
ところが・・・やや記憶があやふやだけど・・・中央仏教学院のテストでは違う。
確かテストは10段階で評価を受けるだけれど、
上記の様に、法然が鎌倉仏教の口火を切ったと書けば、9点。
十分ではないのだ。
それは何故か?

我々は、大きな力によって生かされている。
法然が説いた「南無阿弥陀仏」と称えれば救われるという尊い教えは、
法然が見つけ出したわけではない。
遥か以前から我々の為に、阿弥陀様が準備してくださっていたものなのだ。
法然は、ただそのことに気付いたに過ぎない。
(この辺りが浄土真宗らしい)
気づいて、浄土門へ導かれたということになるのだ。
信仰の面から考えると、このようになるのか・・・と感心した。
真宗の学校で、近いとはいえ他宗の開祖を褒め称えすぎるのはいけないのか?
そのように穿った見方をしてみたりしたが・・・。
私は試験では10点が欲しいタイプだから、正解とされている通り書いた。
お蔭で高得点である。
が、やっぱり・・・法然は鎌倉仏教の口火を切った、一点返す。
法然は、とてもとても偉いオジサンだ。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2012年02月09日 08:30

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