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2012年04月09日

心のこもったお葬式?(工場長こと古家寛)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

こういうことを書くと反発食らうと思うのですが、
「心のこもったお葬式をします」と標榜している葬儀社があると、
どういうことかな?どうやって心を込めるのかな?と疑問です。
生前に故人や遺族とお付き合いがあるのならまだしも、
亡くなってから間もなく葬儀が依頼されるケースがほとんどなのに、
そんな短いお付き合いの中で、よく「心をこめる」ことができるなと思うのです。
いや、もしかしたら、一見さんお断りの葬儀社かもしれない!(画期的だ)
しかし、そうでない場合は、単なる空虚な宣伝文句か、
独り善がりな「心のこもり方」になってしまう場合が多いのではないでしょうか。

「心を込める」ってのは、「お付き合い」のことだと思うのです。
「はじめまして」から始まって、折に触れて挨拶などをして、
徐々に相手のことが分かり始める。
「こういうことをすれば、喜ばれる」
「こういうことは、敬遠される」
そういうやって、相手の人柄や趣向、好き嫌いなどが少しずつ汲み取ってゆく。
逆に、そういう「貴重な情報」は、一朝一夕で分かるはずがありません。
ましてや、電話をもらって翌日や翌々日、遅くとも1週間以内には施行という、
お葬式の短い期間の中では、ほぼ無理と言ってよいでしょう。

短い期間で心をこめるなんて、ゆめゆめ出来ることではないからこそ、
「心をこもったお葬式」というキャッチフレーズに、一見、惹かれるのかもしれません。
価値観は人それぞれですが、
個人的には「丁寧な葬儀をします」や「ミスの少ない葬儀をします」などの
誠実・堅実な感じの言葉の方が、断然好感が持てます。
なぜなら、ミスを減らすことは、事前に自社で準備しておける事だからです。
むしろ、そういう準備に余念がない葬儀社の方が、
相手のことを考えた、「心がこもっている」ということになるのではないでしょうか。

決して、固い感じの、システムティックな葬儀を推しているわけではありません。
言葉として、「心をこもったお葬式」というものが引っかかっただけなのです。
そもそも、葬儀において心を込めるのは、
葬儀社ではなく、遺族や親戚や会葬者の方でしょう。
結果として「心がこもったお葬式」になるかどうかの要因も、
遺族や親戚、会葬者に依るところが大きいです。

だから、葬儀後に、遺族から「お陰さまで心がこもったお葬式ができました」
と御礼があったとしても、それは決して葬儀社が心をこめた訳ではありません。
葬儀社は、単に適切な施行をしたにすぎません。
しかし、それが葬儀社にとって尊いことです。

・・・と、ここまで勢いで書いて、
「心のこもったお葬式」とGoogleで検索しました。
結構引っかかるものだなと・・・恐縮です。
上位に検索された皆様、私は決して嫌われたい訳ではありません。
できれば、来週の司会研修にご参加いただきたいと思っております。
心のこもった司会表現に関して、その技術・方法論をお伝えします。

悪しからず。

司会研修の情報は、こちらから!

 

 

 

 

 

 

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2012年04月09日 08:29

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