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2012年10月01日

虹ノ松原…の思い出 (井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

観光地として有名な虹ノ松原の近くに、唐津シーサイドホテルがある。
虹ノ松原は日本三大松原のひとつだが、中学生の頃、その虹ノ松原を目指して、
佐賀市内から6時間ほどかけて自転車でキャンプに行った。
4人グループで行く予定だったのに、3時間ほど走ったら高島君がリタイアした。
それぞれテントやら食料やらを各々に分けて持っていたから、
一人抜けただけで自転車に積む荷物は重くなる。
とても残念だったが、残された3人はこのまま虹ノ松原に向かうのか、
それともここで諦めて帰宅するかの迷いに迷った。
(高島君は、母親が恋しくなったのか…それは未だに不明である)
結局、残された3人で虹ノ松原に向かうことになる。
中学2年の夏休みの小事件だ…このことが、一瞬にして頭の中を巡った。
もうとっくに忘れ去られていたのに、その時の光景がフラッシュバック…
この機会が来なければ思い出すこともなかっただろう。
この機会とは、唐津での司会講習会に呼んでいただき、
前日、その思い出の唐津シーサイドホテルに宿泊したことである。


(筑肥線の車内から)

佐賀県唐津市は、佐賀県内第二の都市だが佐賀駅から電車の直通もなく不便である。
私も福岡空港から、直接電車(地下鉄からの乗り入れ)で向かった。
海沿いを延々と走る筑肥線は眺望も素晴らしく、もっと宣伝すれば良いのにと思う。
目指す駅は、虹ノ松原駅を一つ過ぎた東唐津駅。
夕方到着だが、まだ明るいのに人気がない。
しかも、恐ろしいくらいに、何もない。
タクシーに乗ってコンビニによってもらい、それから唐津シーサイドホテルへ漸くin。

あの日…
中学生のガキがワイワイ騒ぎながら虹の松原にキャンプを張り、夜の浜辺へ出てきた。
さあ、これから花火大会だ…と盛り上がった頃…ふと見上げると、
隣のホテルのベランダに男女の人影がうごめいている。
最上階のベランダであった。
馬鹿な中学生は、一斉に「ヒューッ、ヒュー!」と口を鳴らす。
人影は部屋に消え、カーテンが閉められた。
こんな些細なことがどうして思い出されたのか。
多分、中学生にとっては些細なことでは到底なかったからだ。
そして今回、当時見上げた最上階のベランダ付の部屋に泊まったからだ。
縁とは不思議なものである。


(景色も良いし、のんびり出来る部屋でした)

何かの拍子に、人は偶然のように往事を思い出すことがある。
歳を取れば悪いことばかりではなく、思い出も多いのだ。
そんな思い出に浸りながら…実は酔っぱらいすぎてZZZzz…

翌日、天気は快晴。
気温は高くなく過ごしやすい。
それにしても眼前に広がる海はいいなあ。
しかし残念なことに、本日は朝食を取る時間がなく、
ホテルで用意してもらったサンドイッチとジュースで取り敢えず腹ごしらえ。
今日伺う予定の葬儀社様が、大きな葬儀が入ったとかで終了予定を早めて、
変わりに開始時刻も早めて欲しいと連絡が入っていたのだ。
やはり、私は死神講師なのさ。
ホテルで呼んでもらったタクシーに乗る。


(南国の雰囲気あり)

話しは逸れるが、佐賀の鍋島藩と唐津藩の関係は芳しくなかったのだろう。
(それを今でも引きずっている?)
江戸時代は唐津藩と鍋島藩とに分かれていたから、
佐賀県は、唐津を中心とした北部と、
県庁所在地の佐賀市(鍋島藩)を中心とした南部に大別できる。
私の見解では、唐津は博多に近く、利便性がある。
よって佐賀市の人間のタイプと少し異なるのだ。
「武士道とは、死ぬことと見つけたり」の葉隠は、佐賀市の文化ではないだろうか。
私は唐津の人とあまりお付き合いはないが、どうやら博多の人々に県民性は近い…感じがした。
同じ県でも、その特性はまるで違うようだ。
一筋縄ではいかない…どうなることかな。
本日の会場に到着した。

続きは明日。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2012年10月01日 08:30

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