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2012年11月27日

葬儀司会研修会in新潟 (井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

新潟県の某所で葬儀司会研修会の初級編が行われました。
本当に今年就職したメンバーや長くても2年以内の業務キャリアしかありません。
しかも葬儀司会の経験はといえば、0の人が半分、後は1年以内がほとんどです。
葬儀司会を学ぶのに、業務キャリアも大切ですが、
どれだけ経験を積んでも司会は一向に上達しません。
そして技術系を学ぶのに、近道というものはありません。
しかし、遠回りならいくらでもあります。
正直申し上げて、「マニュアルだけを貰ってやる」「司会を習うことなく独自にやらせる」
あるいは「先輩の見よう見真似から入る」「とにかく度胸を付けるためにやる」等、
私から見ると、とても危険な行為が横行しているのが実情です。
これで司会が巧くなる人は、天才だけ…ほんの一握りがいいとこでしょう。
その他の多くの人たちは、気の遠くなるような、果てしない「遠回り」をしています。
あるいは、残念ですが…遠回りどころか…元には戻らないでしょう。

理解しやすくするために、例えば方言を例にとりましょう。
人は生まれて、話し言葉を覚えて、いつの間にかその地方の言葉を覚えます。
その人が10代なら、「明日から標準語を喋りなさい」と命令してそれに従うとすれば、
しばらく時間が掛かるでしょうが…半年から一年もすれば…標準語を喋れるか、
標準語に近いレベルまで到達するでしょう。
しかし、40代や50代あるいはそれ以上の年齢になると、
とてもじゃないが今さら標準語なんてと、不可能な人が沢山出てきます。
これは、長年の身に付いた習慣がそこから抜け出せないように、
使う言葉も修正が利きにくくなるということでしょう。
(誤解しないでいただきたいのは、方言はあくまでも例に取っていますからね)

この例で分かるのは、まだ若いうち、すなわちスタートしたばかりは、
色々な可能性を秘めています。
それは長年の習慣で固定化される前だからこそ、変化に対応しやすいのでしょう。
だからこそ、私は新人に教えるのが楽しい。
マイナスをゼロに戻してからスタートするという無駄な時間が省けるからです。
今回、12名の入社したての方々に対して思うことは、
やはり「いきなり司会をやらせるのは無理がある」ということです。
たった半年、司会を自分でしていただけで修正するのに多少時間が掛かりました。
最初の段階で、司会のルールを教えてあげるだけで良いのに…と非常に残念です。

残念ながら、講師の中にも司会のルールを知らない人が大勢いるでしょう。
葬儀司会が巧くても、どんなにキャリアがあっても、レッスンプロとは違います。
あまり敵は作りたくないのですが、講師の中にも…私の目から見てですが…
下手な人はたくさん居るということです。
それが本当に残念で仕方ありません。

そういう事を改めて感じた新潟研修でした。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2012年11月27日 08:30

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