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2014年03月12日

漢字の書き順について (井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

時代が違うと教科書が変わるように、
当然、「漢字の書き順」も違ってくる。
しかし、何故だろうか。
他の分野なら、例えば歴史的な新たな発見があったりとかして、
推定年代を大きく変えたりするのは理解できる。
あるいは英語だったら、云うのも恥ずかしいけど
僕らの頃は「This is a Pen」からスタートした。
この英語、会話で使う事ある?
勿論無い、だから困る、それで良い方向へと変わるのが当たり前。
しかしながら、事は漢字である。
漢字の書き順が変わる、
それもイメージ的にはコロコロ変わっているのだ。
果たして、良い方向へと変わっているのだろうか。
何をもって、良い方向という判断になるのだろう。


「右」と「左」は、そもそも書き順が違う。
「ナ」の部分の書き順が逆なのだ。
「右」は「ノ」から書き、「左」は「―」から書く。
と、確かに学校ではそのように習った。
が、そもそも書き順って、強制すべきものなのだろうか。
単純に言えば、字が整って美しく書ければ良いのであろう。
極端に言って、どんなに書き順が正しくても、下手は下手である。

中国の書き順と違うとか、言いたいことは他にもあるが、
一番腹が立つのは、書き順の試験だ…どれほどの意味があるのか。

そうこうしているうちに、
素晴らしい解答が見つかりました。

いわゆる「正しい筆順」の幻想
リンク先のラストに書いてあります。

正しい筆順とは、 「正しい」という形容は、筆順には馴染みません。  私たちが「正しい筆順」と考えているのは、前掲の『筆順指導の手びき』という基準書に示された筆順ですが、同書では、あくまで指導上の配慮から基準として提示するにすぎないとの立場をとっています。しかし、この点についての理解が欠けて、基準としての筆順はいつしか「正しい筆順」として教育現場に浸透していきました。結果、記憶の正誤判断を強いるだけの筆順テストがまかり通るようになりました。  機能性を根拠とするという考え方が主流の今日においては、筆順を暗記させることよりも、文字を書く過程において、「整え易さ」等の機能的要素を子供たちに実感させることが肝要です。文字によっては、そう実感できる筆順が複数あっても不思議はないのです。

 プロフィール
(まつもと・ひとし)
◇一九六四年生まれ 千葉県
◇千葉大学大学院教育学研究科修了
◇広島大学附属中・高等学校を経て、一九九五年より学校教育学部言語教育講座勤務。講師。
◇専門は書写・書道教育。広く文字・文字教育に関心を持っている。

良いですねえ。
私より年下なのに、適いません。
(当たり前だー!!)

因みに、漢字の筆順で面白い話はないかと探していたら、
こんな苦い話を見つけました。
リンクを貼らせていただきます。

河野美代子のいろいろダイアリー

明日は、綜合ユニコム様の【ベーシック講座】です。
頑張ります。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2014年03月12日 08:26

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