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2015年03月10日

道徳教育も様々 (井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

私が小学生の頃に受けた道徳教育は、多分、現在のそれとは随分違う。
同じように、私の父母の時代の道徳教育もまた、少し違うのだ。
じゃその上の世代も…きっと違っている。
道徳って、時代に応じて少しずつ変わっていくのだろうか


(春が待ち遠しい) 

大人になって驚いたのだが、それぞれの国によって道徳は違うということ。
だがその反面、人種や民族を超えて共通している点も多いということ。
その二つが、時として相反しながら共存する。
つまり、道徳心には普遍的な部分と多様性の部分が共存しているのだ。
殺人・盗み・騙しなどは、世界のどの国に行っても不道徳とみなされる。
しかし、文化や習慣の違いによって、道徳心が大きく異なるものもある。
具体的に云うと、日本人は食事の際、左手で茶碗を持って食べるが、
韓国では茶碗は持たない、というより、持つと乞食のようだと云われる。
アメリカでは、我が子であっても同じベッドで寝ることは幼児虐待とみなされるが、
日本というよりアジア全般では、むしろ逆で、子供と寝るのが当然である。
インドでは、叔父の死後10日以内に肉を食ったり髪の毛をカットしたりするのは不道徳。
私なんぞ、叔父の通夜の前に髪の毛がグチャグチャで、あまり見っとも無くて
叔父に恥を掻かせるわけにはいけないと思い、髪の毛を切ったこともある。
そうやって考えてみると、国の文化や習慣の違いで、
多様性を持った道徳は大いに異なるのだ。
(だから一口にお葬式と云っても、全国でその行われ方は様々。)

また文化や習慣からくる道徳で面白いのは、時代を反映しているということだ。
日本の女性でさえ、和服で正座をするようになったのは400年程度前からではないか。
それ以前は、片足立膝が主流である。
大陸の影響をかなり受けていたと思われる。
時代・歴史の影響はとても大きく、私事だが、私の小学生時代はGパンを穿く子は不良。
ロン毛も不良…我が町に限ったことではなかったであろう。
大袈裟な話でも何でもなく、同性愛者が堂々とテレビに出て喋っている現代…なんて、
死んだオヤジが生きていたら間違いなくテレビを壊されるだろう。
中世ヨーロッパでは、同性愛は犯罪であったが、今では結婚を認める国もある。

時代によって大きく様変わりをする道徳。
国や地域によって、当然異なる道徳心…しかも、それが変化していくのが普通なのだ。
だから、自分の価値観を皆が共通に持っているとは言い難い。
道徳も不変ではないのかもしれない。
道徳って様々なんだね。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2015年03月10日 08:30

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