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2015年04月14日

イメージは刷り込まれたかも2 (井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

昨日からの続き。
徳川時代の庶民の暮らし振りをもう少し見ていこう。

 

徳川時代は265年間も続くのだから、そりゃ天変地異もあるだろう。
確かに大地震も津波もあった。
だから当時の津波の後に建てられた神社は、ある意味「境界線」でもあった。
それは偶然にも東日本大震災で被害を被った「境界線」と、
あの地域に存在する神社の位置は不思議とマッチする。
わざわざ階段を登った所に建てられた神社は尚更だ。
後世の人々にも分かるようにと、そういう政策を執っていたのが徳川時代である。

またバブルの前には人口が増加している。
ごく当たり前な「人口ボーナス期」を2度も経験しているのだ。
そして江戸の町は世界でも有数に人口が膨れ上がるが、
それでもエコ(再生)な生活で、そして清潔な街並みを保っていたし、
街行く人々の礼儀も正しかったという。(当時の外国人の話)
バブルの弾けた後も冷静さを保った。
そして寺子屋で学ぶのが当たり前で、当時の識字率は世界1と云われている。

参勤交代にしたって、最初の数年は厳しいものであったようだが、
265年間も続く内、正直云って正室やその子供たちは、江戸が大好きになる。
今の東京みたいなもので、色んな情報や刺激があって楽しい暮らしなのだ。
参勤交代にお供する家来も道中の珍しい食べ物を食し、また昆虫を採取したりと、
あれやこれや楽しみを見つけ、それなりに楽しんでいたようなのだ。
本当に平和なのだ。

その江戸時代という長い間に、封建制度…これは下剋上とは真反対である…を、
徹底的に植え付け、武士道なるものを、儒教を中心に据えて取り入れた。
そして個人より家を重んじ、親を大切に、兄弟は仲良く助け合い、上司には逆らわず、
約束したことは必ず守る、というような道徳感は明治以降の日本人に繋がるだろう。

その明治以降、残念ながら平和が長くは続かない。
世界情勢の影響もあるのだが、江戸の時代・徳川の時代が良かった、
と云われては困る人たちがいた…と考えるのも…偏見?

結果、平和な世の中を迎えるまでに、数多の屍を必要としたのだ。
戦後70年…平和が続く今だからこそ、徳川の政策で見習うべき所は学ぶべきだ。
このセミナーに参加して、徳川家康のイメージがガラリと変わった。
狸オヤジなんかじゃなく、聡明で、人情に篤く、現代日本人の基礎を作り上げた。
そう云っても過言ではないだろう。

誰が「狸オヤジ」のイメージを植え付けたんだ。
そして信長には切れ者のイメージを、今日はあまり登場しなかったが
秀吉には、狡猾で、憎めなくて、明るくて…というイメージを。
教科書やメディアから吸収するイメージは、もう一度考え直さないと…では。


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投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2015年04月14日 08:24

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