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2004年07月05日

音楽葬について その1 (加藤直美)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

7月4日 梅雨晴れ
先日2日間にわたって、違うご喪家の音楽葬の司会をさせていただいた。
私は葬儀の司会をはじめて以来、どちらかといえば無宗教葬、音楽葬の司会が多く、大隈重信候のお孫様のご葬儀を大隈講堂で司会させていただいた無宗教葬が一番心に残っている。仏式葬においても大型葬から個人葬に至るまで、その規模や雰囲気は、お亡くなりになった方が違えば全体の雰囲気や細かいことまで変わるのは当然である。それが無宗教葬になれば、その方の個性を表現できる範囲はさらに広がり、より故人らしい葬儀になることが多いような気がする。

その2つの葬儀は、一人は男性、70歳後半、晩年は仕事をリタイヤして趣味の花作りやお孫様にも大人気のおじいちゃんだった。多くの無宗教葬で行われる「お別れの言葉」で3歳のお孫さんが「おじいちゃん、さよなら・・」と泣きじゃくりながら告げる場面に私も涙が止まらなかった。故人の十八番の「昴」の献奏で、遺族はその面影を偲んだ。
もう一人は女性、80歳を過ぎても活発に、趣味やお友達との日々を楽しまれた。お嬢さんの仕事を支えお孫様の面倒を見、皆でコンサートにも足を運ばれた。その折によく聞いた「リベルタンゴ」「イマジン」の献奏。家の中でもよく聞いていた曲であるようで、その曲が流れはじめた途端、お嬢様やお孫さんは故人を想い涙していた。

あるカウンセリングの勉強会で高齢者のケアを学んだときに、講師の方が、「80歳の方の生活ケースを作成したとして、そのケースに当てはまる80歳が何人いるかはすごく疑問である」と言っていた。「その方の生きてきた歴史や思想が違えば、80歳が10人いたら10人のケースはすべて違うのではないか」ということだ。それはそのまま葬儀にも当てはまるような気がする。2人のお亡くなりになった方がいて同じように音楽葬をするとして、その方が好きだった曲、好んだ歌、生きてきた歴史の中で支えてくれた音楽がすべて違うはず。それを葬儀社側が上手にサポートしそれぞれが違う形の葬儀になれば、遺族にとっても本当に心癒される葬儀になるだろう。この音楽葬を司会させていただいた葬儀社さんは、「音楽葬」というプランを作り、お客様にもお勧めしている。さすがに全体の雰囲気や生の音楽の使い方を心得ていて、遺族にとっても「音楽葬にしてよかった」と思っていただける葬儀に仕上がっている。そこの葬儀社に常駐しているシンセサイザー奏者の I さんはその道のプロ、盛り上げるところや逆に目立たないように弾く心配りを得ていて、私も司会やナレーションがとてもやりやすかった。

これから無宗教葬の形はどんどん変わって行くだろう。故人一人一人の人生を表現しようと思ったときに、少なくとも最初から作られている進行表の中に、あてはめて行く作業ではないはず。音楽葬であれば「献奏」の他に「献唱」「献詩」「献合唱」などがあってもいいと思う。私も一度、偲ぶ会で司会をしながら「涙そうそう」を献唱したことがある。葬儀の中でもそれは可能だ。故人が好きだった詩を誰かが朗読してもいいし、歌詞カードを作り、家族や会葬者全員が一緒になって歌い偲んでもいい。

音楽には、「理屈や理論ではない人の心を全身から揺さぶる不思議な力」がある。世の中に音楽が嫌いな人はいない。歌うのが嫌いな人や音楽のジャンルに好みはあっても、音楽を聴くことが心底嫌いな人に出会ったことは無い。誰でもがその生きた時代に流行った曲や辛いときに励まされた曲を少なくとも1,2曲は持っているだろう。
その故人の葬儀で献奏としてのその曲を聴きながら、共有した時間や人生を振り返るといいうことは、残された人々にとってもその悲しみが癒される貴重な時間であると感じる。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2004年07月05日 00:51

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