2010年03月18日

日本バッシング(工場長)

昨日の「アバター」に引き続き、アカデミー賞関連でもう一つ。
「ザ・コーブ」という映画が、長編ドキュメンタリー賞を得ました。
これは、和歌山のイルカ漁を隠し撮りして撮影した映画で、
動物保護を訴えた作品のようです。
私はまだ見ていませんが、欧米では高い評価を得ているそうです。
一方で、和歌山の地元住民は「一方的な取材だ」と反発しています。
イルカを屠殺するシーンなど、残虐に思うシーンが多々あるようです。

まぁ、ちょっと和歌山の地元住民が悪者扱いなのは可哀想ですね。
ドキュメンタリー作品は、監督の意図があっての映像表現です。
ありのままの事実ではありません。
監督が、視聴者に対して意図する通りに思わせたい、
例えば、イルカが屠殺されることを可哀想だと思わせたい、
という恣意的な撮影や編集があって初めて成り立つジャンルです。
ありのままの事実を見せたいのであれば、
編集していない映像を見せれば良いのですから。
(しかし、つまらない映像になるでしょう)

そのような監督の意図があるにも関わらず、
「イルカを屠殺している和歌山の地元住民」=「悪い」といった、
刷り込みが起きやすいのは怖いですよね。
アカデミー賞を取った作品なら尚更でしょう。
世の中の全てを知りえることはできないのですから、不足している情報量の中で、
ドキュメンタリー作品の大きさ、マスメディアの力を感じます。

イルカを屠殺して食べることを考えてみると、イルカの場合は非難される一方ですが、
牛や豚、鳥は非難されることなく屠殺されています。
クジラやイルカは(最近ではマグロも駄目になるそうですが)、
なぜ他の動物と違って特別なのだろうとも思います。
「絶滅しかけている種だから」と言われれば、
「確かに数を制限して屠殺しないとね」とも思います。
(漁業法で制限されています)

ただし、「ザ・コーブ」という作品は、
「種の保存」というより屠殺の残虐さに非難が集中しているようで…。
それだったら、牛や豚や鳥の屠殺方法と比較しないといけないのでしょうけど、
それは監督の意図するところではないと。
もちろん、牛や豚や鳥が屠殺されるシーンというのはない(と思います)。
ただイルカが屠殺されること自体が、残虐だと。環境保護に反していると。
となると、監督の恣意的な主張のみが世界を席巻するのは、
和歌山の地元住民が可哀想な気もします。

ま、人の感情に訴えるのがドキュメンタリーですから、
論理的な話をしても意味のないことかもしれません。
プロジェクトXのように、取材される側がカッコ良く描かれれば、
トラブルも少ないのでしょうけどね。
今回は不幸にも、取材する側とされる側で全く違う価値観だったようです。

このドキュメンタリー映画「カーヴ」で、
世界の非難が集まるのは仕方のないこと…とは思いながらも、
日本人として和歌山の地元住民の肩を持ちたい気分ではあります。
何にせよ、まだ映画を見ていないのですけどね…。
(公開されていないし)

それにしても、トヨタといい、イルカといい、
海外からの日本バッシングが続くものです。
最近の日本は、外交が下手ですな。

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2010年03月17日

「アバター」を観て(工場長)

先日、本年度のアカデミー賞の発表がありました。
今年最も注目された作品は「アバター」でしたが、
残念ながら主要な賞は逃していました。
それでも、世界の映画の興行記録を塗り替えた超大作が
どれほどのものか観るため、映画館に行ってきました。

「アバター」は、3D映像という新しい手法の映像表現を取り入れています。
画像右の特殊な眼鏡を付けてスクリーンを見ると、
映像が立体的に、時には飛び出して見えます。
この眼鏡がどういう役割を果たしているかと言うと…
簡単に言うと、右目と左目の両眼視差を生み出しています。

人は一般にモノを見るとき、右目と左目で微妙に違うものを見ています。
(右目と左目をパチパチ閉じてみてください。)
3D映像は、本来の右目と左目で見ているものの微妙な違いを再現し、
立体的な表現を可能にしています。
特殊な眼鏡で、特殊な映像を見ると、
右目と左目で微妙に違う映像を見ることが出来るのです。
ちなみに、眼鏡をかけずにスクリーンを見ると、
ピントが合っていないような、ぼやっとした映像がスクリーンに映されています。

この手法は特に新しいものではなく、ディズニーランドなどでは、
5年以上前から似たようなアトラクションがありました。
ただ、ディズニーランドのアトラクションはフルCGのアニメーション映像であり、
人も映っている長編映画で3D表現を実現したのは、
今回の「アバター」が初めてかもしれません。
その意味では画期的なことだと思います。

…しかし、映画としては酷い作品でした。
粗筋は省きますが、ストーリーが極端な、いわゆる娯楽映画です。
3Dの映像表現が目新しいものだとしても、
映画として面白かったかどうかというと、「・・・」ですね。
きっと「アバター」は、映画で3D表現を見せること自体が、
何よりも先にあったのだと思います。

3Dと言えば、今年の春から3Dテレビが発売され始めるそうです。
世間一般に3Dが広まるかどうかはわかりませんが、
どのような番組が生まれるのか楽しみではあります。
数年後には、立体映像で溢れる世の中になっているかもしれません。
特殊な眼鏡を掛けずに、裸眼でも3D映像を楽しめれば、
普及も早いでしょうけどね。どうなることやら。
その時は、葬祭でも3Dを使った商品が出ているでしょうか。

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2010年03月16日

葬儀司会研修会in岡山2 (井手一男)

翌日の研修。
またまた津山駅から2両のローカル線に乗って、亀甲駅という所まで移動。
ただし、ハッキリ申し上げときますが、電車は1時間に1本だ。
驚いたかっ、ドゥリャーアァ!
通勤時間帯でこの有様ってことは、どう考えたらいいの。
私は時刻表を見て気が遠くなり、意識が薄れ、血の気が引いて・・・倒れかけました。

「津山」といい「亀甲」といい、どうも水に纏わる地名が多いぞ。
もしかしたら大きな川か湖か・・・何かあるのではなかろうか。
そんなことを考えながら亀甲駅を降りると、
駅前に「親亀の背中に子亀を乗せて、子亀の背中に孫亀乗せて・・・」
まさにその様子がそのまま再現された置物が飾ってありました。
(痛恨のミスです、写真を取り忘れました)

この駅にセミナー事務局の方が迎えに来て下さり、ここから5分で葬祭ホールへ。
昨年の11月頃新設されたらしく、まだ新しいです。

私の司会研修が3時迄、そして葬祭ホールの視察がそれ以降ということだ。
こんなに短い司会研修は初めて・・・と内心喜びつつも、
少ない時間でどのように凝縮して教えていくべきかに頭を悩ます。
その一つに、集まってくださった方々のキャリアもバラバラだし、
人材教育を計画的に推し進めるというのは口で言うより難しい。
ただ、研修に参加すれば事足りるということでは絶対ない。
総合的に学ぶというのは、例えば司会研修であったとしても、
それ相応の葬儀知識から学んでいかなければいけないはず。
その辺りの話をする時間が(雑談の多い研修なのですが)極端に少ないのだ。
しかし、我々講師は与えられた時間を精一杯使って最大限のパフォーマンスに挑戦する。
喉が枯れようが、過呼吸になろうが・・・知ったこっちゃない・・・ぐらいの気持ちだ。

そういえば祭壇にご本尊が安置されていたけど、そもそも各宗派のご本尊を
葬儀社が持っているということが出鱈目じゃないのか・・・なんてことも言った。
普段はきっと倉庫に置くのだろうが、倉庫にしまっておくご本尊なんか見たことない。
(当たり前だけど、本来それはご本尊ではありませんな)

私もホールを視察して驚いたのが、出入り口に分煙になっていない喫煙所があったこと。
これは今時相当珍しいなあ・・・私も数年前まで煙草を吸っていましたので、
その頃なら有難いが、今の世の中世知辛く煙草を吸うのも気を使う・・・
その環境の中でここは凄いと思いました、と同時に、半端ではない田舎だと。(笑)
田舎の良さと悪さとが混在しているのでしょう。
例えばさあ、田舎の藁ぶき屋根の玄関の土間でさ、ここは禁煙なんて言われてもねえ。
で、つい煙草の雑談になってバックヤードで吸うことをお勧めしたり、
そもそもバックヤードとは何なのかとか、喫煙に対するホテルとの比較をしたり。
煙繋がりで(無理がありましたが)、お線香の煙の話やローソクの灯りの話も・・・。
お線香の煙が、新仏さんの水先案内人のはずがありません、
だって直ぐに消えてなくなりますから、そしてその訳は・・・(秘密)
ローソクの灯りが智慧の光の訳がありません、本当の狙いとは・・・(秘密)
こんなお話を、時間内に沢山してきました。

司会の技術の話や、どうして巧く聞こえるのかといった話は順を追って説明しますが、
まずは自分たちで短い課題を体験してもらいます。
それを皆で評価したり、何故個人別に聞こえ方が違うのだろうと考えたり。
基礎からみっちりやることで、司会の全体像が見えてくれば「こりぁ難しい」となる。
しかし、直ぐには実現できなくても、何年かに分けて少しずつ学ぶというのは出来る筈。
その為の「ネットシステム」もあるのだから。

素人受けする「発声」とは。
文章には切り方のコツがあるとか、
進行アナウンス台本と、進行マニュアルは全然違うとか、
巧く弔電を読むための決まりを知っているか、など・・・。
理屈は聞くだけで納得だが、理屈を知ったからといって巧くはならない。
だが、理屈を知らないと、何故下手かもわからない。
理屈を知って、実践でトレーニングするしかないのだ・・・司会は、実技だから・・・。

最後の課題は数名の女性がチャレンジしてくださいました。
ありがとうございます。
次回は、もっと積極的に皆さんが参加されることを望みます。
頑張ってください。
大変お疲れ様でございました。

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2010年03月15日

葬儀司会研修会in岡山 (井手一男)

岡山県での司会研修会・・・喜んで受けたは良いけど県内は思ったより広い。
人口70万人の政令指定都市・岡山(駅)から、電車に乗ってチンタラ移動。
北へ北へと向かうその時間・・・何と1時間半以上・・・ウソッ!
鳥取まで行くつもりかいな。
しかも、2両のローカル線に乗るのも珍しや~。
旅番組と司会研修のバーターでも考えよっか。
---♪ぶらり途中下車、司会<県周>の旅 ♪♪---(嘘)


(岡山駅から乗り換えです)

「参ったなあ、こんな所まで来て日本語通じるかな、きっと鬼しかいねえよな」
「そういえば今は桃の季節、鬼退治には持ってこいだ」
(桃の実や種を投げつけて退治するのですよ)
「鬼の角、1本と2本と二つのタイプがあるけど、何の違いからそうなるの?」
「赤鬼と青鬼の違いは?」
「仮に色盲だったら、赤鬼と青鬼はどう見えるのかな?」
※「」内は心の声ですが、乗車している時間が暇なもので。
外の景色を眺めていても、長閑過ぎるのもどうしたものか。
おまけに駅間の距離が長すぎるし、これはゼッタイ政治がおかしいとか、
訳のわからんヤツアタリをしながら、オォっやっとビジネスホテルがある駅が見えた。
こういう時、長丁場って言う言葉を使うのでしょうね。
丁場というのは、宿場と宿場の距離のことで、それが長いのを長丁場と言ったらしい。


さっきから尻が痛い、それもそのはず新幹線にも乗ったし、西武線も山の手線も乗った。
何時間座りっぱなしだったけ?
尻は時間を記憶しないけど、座席の温かさは良く覚えていて、
岡山で乗った2両のローカル線が温かかったというより、少し熱い。
駅を出た時には、ズボンの尻から煙が上がっていた・・・ような気がした。

ここ「津山」は、私が住む「狭山」と似た地名のようだが意味が分からない。
本来「津」とは、
(1)海岸・河岸の船舶が来着する所。船つき場。渡し場。港。
(2)特に、船つき場や渡し場に対して、物資が集散し、集落が形成された所。港町。
とあるから、「津」+「山」というのが意味不明なのだ。
唯一考えられるのは、「物資が集散し、集落が形成された所」だろうか。
何せ津山城があったくらいだから。

県北の寒村「津山」に対して何でしつこく興味を持つのかというと、
横溝正史の「八つ墓村」のモデルになった昭和の大事件
「津山三十人殺し」が頭にこびりついているからだろう。
小説に出てくる村の名前も近隣の実在する地名から取ったもの。
そして、八つ墓村に登場する犯人は、頭の両側に火の点いたローソクを、
シルエットで見たら、まるで2本角の鬼の姿にそっくりである。
(うわっー、桃を投げつけても無理・・・)
「祟りじゃー!」(古っ)

今回、ここが研修の場所に選ばれた理由は、新設されたホールが近くにあるからだ。
現場で働くスタッフは、他府県へホール視察研修には出られないケースが多い。
だからこそ、年に数回行われる研修の際には、なるべく紹介してあげようということだ。
よーし、明日は研修の報告を。

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2010年03月12日

宴の後③(工場長)

あまり自分の結婚のことを書きすぎてもアレですが、
③ぐらいまでは続きます。

結婚式と言えば、「感謝」です。
今まで育ててくれた親を始め、会社、友人、仲間に対し、
一つの節目として感謝の気持ちで溢れる日です。
最後の挨拶の際は、来賓・列席していただいた方はもちろんですが、
お世話になった葬儀社の皆様の顔も浮かんでいました。

私達夫婦は、大学時代に付き合い始め、
社会に出てからは一度それぞれの人生を歩み、
昨年、再び巡り合って結婚に至ったという経緯があります。
MCプロデュースで働いた5年間があったから、
人間的に成長し、彼女にも認めてもらえるようになったと思います。
その間には、多くの葬儀社の皆様ともお付き合いいただき、
人として多くの勉強をさせていただきました。
自分の成長は、自分ではあまり気付かないものですが、
いつの間にか、皆さんに変えられていたように思います。
そういう意味では、自分の力で結婚したといういうより、
皆様のおかげで結婚できたという意識が強いです。

葬儀社の皆様とは、特にFUNETのサポートで、
お世話になることが多くありました。
どこにサポートに行っても、相手の方々は年上でした。
一付帯業者として扱われることが殆どですが、
私も気付かないような自然な形で、御配慮いいただくことも多くありました。
「大人の気遣いとはこういうものか」と、一つ一つが糧になっていた気がします。

また会社でも、同僚…と言っても先輩ばかりで、
同期といった横の関係はありませんが、
いつも上を見て、相手の言動を勉強することが多かったように思います。
特に、人に対する自然な気遣いは、
勉強になる方々ばかりに恵まれたと思います。

ま、今でも「ちょっと気の利かない」と言われていますので、
一人の人としてまだまだなのでしょう。
それに、同期や後輩がいないので、
逆に、同年代の人や年下の人と接する時は、右往左往してしまうかもしれません。
自分よりも年の若い人と接するときにこそ、
本当の優しさや気遣いというものが生まれる気もしますので、
そういう意味では、これから真価が問われそうです。

結婚して何が変わるという訳でもないのですが、
一つの節目として、感謝を申し上げます。
色々と良くしていただきまして、本当にありがとうございました。
そして今後とも、変わらぬお付き合いを、
どうぞ宜しくお願い致します。

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2010年03月11日

宴の後②(工場長)

昨日のエッセイで早速お祝いのお言葉、メールを頂きました。
本当にありがとうございます。
大晦日で結婚のことを書いて以来、お付き合いのある方々から、
機会がある毎にお祝いの言葉を頂いてきましたが、本当に嬉しいことです。
葬儀業界は情に厚い方が多いと思います。

一方で…というと悪いですが、
婚礼業界の方から「おめでとうございます」と言われても、
あまりピンときません。
ま、仕事で「慣れた感じ」を受けるからでしょうか。
葬祭の仕事で「おめでとうございます」は、滅多に言いませんからね。
それだけでも、貴重な言葉を頂いていると思います。

今回の結婚で、
葬儀と婚礼は似ている業種だと改めて実感しました。
装花や引き出物(返礼品)など、共通している業者も多いです。
実際にお世話になった花屋さんは、葬儀業界でも有名な企業でした。
また、価格があって無いような部分も似ています。
サービス業ですから、形に見えない価値があるのは承知していますが…。

今回、写真や装花、サービス料など、
打ち合わせで結構しつこく価格の説明を求めました。
(およそ内情を察せる為、嫌な客だったんじゃないかな)
例えば花の場合、各卓装花が3万5千円から3万円になることの違いの
説明を求めましたが、良い返答は受けられませんでした。
「花の量が減り、花の質も落ちます…」と言われても、
実際に量がどの程度減って、どのように質が落ちるのか。
それを教えてくれないと、比較検討することもできません。
しかし、説明は具体的ではなく、曖昧としていました。

加えて、装花にもホテルのサービス料が掛るものだから、
少しカチンときますよね。
一体、装花のどこにホテルのサービスが掛っているのか。
花を刺したり設置したりしているのは、
ホテル業者だったのかと勘違いしそうでしたが、そうではない。
サービス料に関して聞いて返ってきた答えが「日本の慣例です」でしたので、
この返答が非難されなくて何なのだろうと思います。
料理の支給に対してサービス料が掛るのは納得いきますが、
装花に対して掛るのは、理解に苦しみます。

記念写真も然り。
どうも、フィルムやデータを寄こさないのは昔からみたいですが、
1枚焼き増すのに○千円かかるというのは、どうなのよ。
料金の設定の仕方が、異常じゃないですか…。
説明を求めても、「人件費がほとんどで」という頓珍漢ぶり。
それなら、人件費を低く抑えられる「焼き増し」はもっと安い料金で良いですよね。
料金が高く設定しているのは業者の勝手ですが、
消費者に選択の幅が無いのは、不正競争のような気がします。

おっと、ついつい高い料金に対する不満が出てしまいました(笑)。
それもこれも、バックで実権を握っているホテル本丸と、
交渉をしないと事が進まないのですが…。
打ち合わせに出てくるのは、いつも付帯業者ですからね。大変です。

葬祭は不透明な価格をよく叩かれますが、
婚礼こそ濁っていると思います。
葬祭は、ホームページに詳細な価格が載っている企業も増えてきました。
婚礼は基本的に価格の説明が足りない。
内容の打ち合わせがまず先行し、それに沿って価格が最後に提示される。
説明も不十分です。

それに、葬祭業者は婚礼業者よりも情に厚い(比較的)。
式の様子の簡易な写真などは、無料で撮ってあげて、
後で(簡単スライドショーなどで)見せている所もあるのではないでしょうか。
サービスに対して上手に料金を設定できていないという悪い面もあるけれども、
出来るだけ顧客に満足してもらえるよう、工夫しているのだと思います。

葬儀の場合、サービス提供までの打ち合わせに時間が無いですからね。
その分、情が働きやすいのかもしれません。

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2010年03月10日

宴の後①(工場長)

終わってしまえばあっと言う間。
長かった準備期間がウソのように思えます。
今は「やりきった」という脱力感で満たされていますが、
これが悪い面も忘れさせてしまうブライダルマジックなんですね。
実際に、今のところ不満はありません。
大きなトラブル無く終わってくれたので、その点はホテルに感謝しています。

式の様子を振り返ろうと思いますが、当日の写真はまだ手元にありません。
新郎新婦は写真を撮る余裕が全くなく、
友人からも写真が送られてきていないので、
実は、私自身もまだ式の写真をほとんど見ていません。
(ま、式の最中に自分で撮っていても変ですからね)
今は記憶が鮮明なので、思い出しながら式を振り返っています。

以下、私の感想ですが、
全体を通して、個人的なクライマックスは社長の祝辞です。
昨日、石川さんが撮ってくれたビデオを見直しましたが、
改めて胸が熱くなりました。
友人の間でも、スピーチに印象に残るものが多かったという感想を良く聞き、
スピーチの好印象が式全体の印象にもつながっていると思います。
ちなみに、社長のスピーチを全て紹介しきれないのですが、
「ちょっと気が利かない」というフレーズがあり、
それを事ある毎に妻から言われるようになりました…。オー、ノー。

あとは、母親と退場するシーンも案外印象に残っています。
実際にやってみるまでは普通の進行の一つでしたが、
自然でさり気ない感じで、良かったように思います(自分で書くのも何ですが)。
準備期間中は、それほど深刻に考えていなかった場面でも、
意外にフィットするものがあると実感します。
ちなみに、一般的に行われるケーキカットはしませんでした。
いかにも結婚式でやっているからという理由で、進行を組むことはありませんでした。
それでも、母親との退場は想像以上に良かったと思います。
メリハリが利いていたのかもしれません。
緩急を付ける…とは言いますが、準備期間中は全力投球ばかり考えていて、
実際の式でもそうですが、たまに力が抜けた自然な流れがあると、
式全体も落ち着くのだと思います。

料理は、あまり堪能して食べていないこともありますが、
一口二口食べた印象としては、想定していた味ではないと思います。
(周りは美味しかったと言ってくれていましたが)
大量に作るので、試食会と同じようにはいかないのかもしれません。
それに、なかなか味の良し悪しは客観的に付け難いので、
食中毒を起こす以外は不満も言いにくいかなと思います。

最後に、司会の方は丁寧にやってくれていたと思います。
主賓席からの視線を意識していたかもしれませんが、
式の前日まで粘り強く取材もしてくれて、客席に多くの情報を提供してくれました。
妻は私よりも情報発信をするタイプの人なので、
言わなければいけないことが山のようにあったと思います。
それも自然にこなしてくれて、おおいに感謝しています。

とりあえず、思いついたがままに感想を書いてみました。
纏まりがないですが、また、明日に続きます…。

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2010年03月09日

関西へ司会研修に行ってきました その2 (井手一男)

昨日の写真では、全て10円玉と同方向からの写真だったけど、
堂内の見学時には、朱に塗られた太鼓橋を渡って真横から入る仕組みだ。

平等院鳳凰堂の阿弥陀如来座像やその周囲に巡らされた来迎図からも、
平安時代には阿弥陀如来信仰が盛んだったことが理解できる。
阿弥陀如来は、元来「アミータ」と言って現在のネパール付近で起こった
「アミータ信仰」が、中国で音写されて阿弥陀(如来)となったという。
阿弥陀如来を信じて信仰していれば、臨終に及んで極楽浄土へ導いてくれる。
そういう教えが平安時代には盛んになって、結果来迎図が描かれたのだ。
(注)私は来迎を「らいごう」と読むが、浄土宗の方は「らいこう」と濁らない。
来迎(図)については浄土教の教えで、臨終の際、紫雲に乗った阿弥陀如来が、
脇侍(きょうじ)と言って左右に従えているのは、観音菩薩と勢至菩薩。
雲の上に立って合掌しているのが観音菩薩、蓮台を持っているのが勢至菩薩。
(注)菩薩とは、如来の一歩手前の位である。
更に井手流に表現すれば、仏の位にリーチが掛った状態なのが菩薩という、
と言って偉い僧侶に笑われながら怒られたことがある。
「間違ってないけど、正しくない・・・が面白い」と。


(近くの橋の欄干から宇治川を)

鳳凰堂内の阿弥陀如来座像については昨日書いたが、
周囲の上部にある52体の雲中供養菩薩像については記述していない。
これも実物が平等院ミュージアム鳳凰館に展示してあるのだが、
驚くのはその仏教音楽の楽器の多様性だ。
見た事も無いような、強いて言えば楽器のようだけど、大体の音は想像できるけど、
実際にその楽器から奏でられる音を聴く機会が永遠に失われているのだ。
まるで絶滅した動植物のように、図鑑にだけ掲載されている感じである。
平安の時代に、のびやかに、柔らかに、豊かに奏でられたであろう・・・仏教音楽の調べ。
誠に残念なことだが、そもそも仏教音楽は日本音楽界の商業ベースに乗れず、
出版や録音さえ実施されていないのが実情である。
ましてや、平安時代の楽器なんて・・・
過去にも何度か書いたが、神道の結婚式でかけられる音楽「越天楽」、
雅楽の代表曲だが、この出典は断じて仏教音楽である。


(宿泊近辺のマップ)

私が宿泊した旅館は、眼前に美しく流れる宇治川を臨み、
岸の向こう側とこちら側には、世界遺産の宇治上神社と平等院。
ついでに宇治川では、時期によっては鵜飼が行われるという風光明媚な所。
この宿では、築地小劇場の小山内薫が結婚式を挙げたとか・・・。
少し古すぎるが、この発想になるのも工場長の挙式が迫っているからであろう。
私は、主賓の挨拶なんて経験がないし、格式高くも喋れない・・・困った。
あっそうそう、工場長夫婦は少なからず芝居と縁があったので思ったのだった。
旅館に泊まって、座布団の正面や表裏がきちんとしていたのは久しぶりのこと。
(貧しいので、高い旅館には滅多に泊まりませんから)
由緒正しい旅館であった。


(落ち着いた旅館のロビーです)

ぐっすり眠って翌日は司会研修会。
今年最初の研修会なのだが、詳細については記述しません。
ただ、京都という土地柄か、特殊性が滲み出ていまして驚きの連続でした。
また仏教に関して詳しくない所が東京と同じです。
東京もあらゆる宗派が混在しているからこそ、とても覚えられない。
状況としては、京都も似ているような気がしました。
差上を覚えるという意識がありません。
この点、地方へ行けば宗派が限定している地域が多く、親しみやすいのです。
分からないものですなあ。

今年もパワーポイントを使いっぱなしで行きましょう。
とは言ったものの少し反省をしています。
パワポを8時間使い続ける研修なんて、滅多にないよと言われたからです。
そこでハタと気付きました。
確かにその通り、ノーパソだって充電して6時間とかが普通ですから。
少し、今後の事は考えなければなりません。

研修に参加された皆様、お土産も宿題も沢山ありますから頑張ってください。
今後に期待しております。
K社長大変お世話になりました。
そして皆様、お疲れ様でございました。

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2010年03月08日

関西へ司会研修に行ってきました その1 (井手一男)

毎年、寒い時期は司会研修の仕事は一段落し
代わりにFUNETの新システム開発に力を注いでいた。
しかし、この冬はどうしたことか、暮れの12月にも司会セミナーの仕事が入り、
1月だけが唯一のお休みで2月に入ればもうセミナーが稼働している。
ありがたいことだ。(ただ・・・新システムを創る時間が)

私は日本人の原風景だと言われる京都に対して、
仏教を中心とする外来文化の集大成だと揶揄してふざけているのだが・・・
何故京都を茶化すのかというと、全国にある寺院の中で、
葬儀をやらずに食えるお寺、つまり観光中心のお寺が多いからだ
・・・だが、今回訪れたのはその京都。
しかも、セミナーとは何の関係もない宇治市に宿泊させてもらった。
この宇治という地域は、京都と奈良の中間地点にあり交通の要所として栄えてきたが、
清流宇治川が流れる風光明媚な土地としても歴史の舞台を数々彩ってきた。

宿泊地の近隣には、世界遺産・平等院鳳凰堂がある。
生憎の雨だったが、10円玉でしか見た事のない景色を眺めてこよう。
入館時の拝観料とは別に、鳳凰堂内拝観券を更に購入し早速拝観してみる。
時間は15分程度と決められ、堂内は写真撮影も写生(スケッチ)も禁止、
また国宝だから柱や扉絵などに触れることもできない。


(10円玉の図柄と同じです)

平等院鳳凰堂の特徴は、池の中にスックと建っていることで、
まるで極楽の蓮池に浮かぶ宮殿のように美しい姿を晒していることだ。
鳳凰堂が建つ湖面の岸辺には、玉砂利で州浜を敷き詰め優雅な趣を醸し出している。
案内人に誘導され、堂内へ入ると大きな阿弥陀如来座像が端坐していた。
これは古い、かなり古いと思うが、その周囲の壁と扉には九品来迎図
(上品上生~下品下生までの9パターン)が描かれ、
上部の壁には52体の雲中供養菩薩像が、
密集していると言ってもいいぐらいに懸けられていた。
修復したとはいえ、阿弥陀如来像の随分剥がれ掛けた金粉(メッキ)は、
古の時代にタイムワープさせてくれる雰囲気がある。
観光地に対して何となく持っている私の想像を軽く裏切ってくれるほど、
傷んでいるのが・・・とても良いではないか。
千年に亘る悠久の時の流れを感じるのだ。


(中央に薄っすらと金色に輝く阿弥陀如来の頭部が望める)

平等院鳳凰堂の「鳳凰堂」と名が付く理由は、
この阿弥陀堂中堂の大棟の南北両端に据えられていた鳳凰1対のせいだ。
下の写真では分かりづらいと思うが、これは復元されたものを乗せてあり、
実物の鳳凰は、平等院ミュージアム鳳凰館に展示してある。

1,000年前、平安時代・・・末法思想(注)が貴族や僧侶の心を捉えた。
それは貴族の没落と武士の台頭が見られる動乱期で治安の乱れも激しかったという。
何故流行ったかは難しい問題だが、僧侶も僧兵を出したりしたから、
おそらく世の中の乱れに乗じてだろう。
注・・・末法思想とは釈迦が仏教を起こしてからの1000年が正法(しょうぼう)
(500年とする考え方もあり)、次の1000年が像法(ぞうぼう)、
その後10,000年が末法といって、釈迦の教えが正しく伝わらなくなる。
これらは一般に仏教史観で「正像末」と言うが、一般の終末論とは違って
(良く間違えられるのがやっかいだが)、あくまで仏教史観である。

つづく

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2010年03月05日

いよいよ披露宴(工場長)

今週末が、結婚披露宴の日になってしまいました。
あと2ヵ月、あと1ヵ月と思っていたら、あっと言う間に時間が過ぎてあと2日。
披露宴に来れない友人からもお祝いが届いて、
いよいよ「その日」を迎えるのだな…という心持ちです。
まだ、特別な緊張感は無いのですが、
挙式が始まるとどんな顔して立っていれば良いのやら不安です。
最近はスポットライトを浴びることもないので、
変な緊張感が湧いてくるでしょうね。

緊張と言えば、婚姻届を書いた時は緊張しました。
間違えられないプレッシャーで、
一つ一つ例を見て、内容を確かめながら記入していました。
一方で、相方はサラサラと書くものだから、
結婚式も新婦の方は確りやってのけるような気がします。
私は、「は、い、ち、か、い、ま、す」と、
ロボット発声法で言っているかもしれません。

振り返ると、準備は大変でした。
(まだ、完遂していないのですが…汗)
その準備の大変さから解放されることで、
披露宴終盤に涙が出てくるのかもしれません。
装花は業者とセンスが合わないし、
料理は基本的に満足なのですが、ドリンクの品揃えが合わない。
引き出物、余興、席次表なども含め、
オリジナルに考えていくと打ち合わせにも時間がかかり、
準備に体力が必要なことを痛感します。
先週、ようやく打ち合わせは終わりましたが、
本番はこれからなので、まだ気を抜くことはできません。

披露宴をオリジナルで考える(オリジナルの披露宴を実現する)…といっても、
ホテル側は案外プランを持っていません。
既定のプランの内容も、オプション数(選択肢)が少ない。
数少ない提案の中で、私達の考えているものと合わなければ、
私達が独自に考えていくしかありません。
時間に余裕のない新郎新婦は大変でしょうね。
オプション(選択肢)を数多く持つということは、
それだけでホテルの魅力になるものだと痛感します。

料理に関して満足できたのは、こちらが要望したオリジナルの内容を、
ホテル側からの提案でほぼ叶えてくれたからでしょう。
可能な限りこちらの要望に耳を傾けてくれて、
多少無理もお願いしましたが、受け入れてくれました。
ホテル側の提案で実現できるからこそ、
「オリジナルの披露宴を実現する」ことに顧客が満足できると思います。

披露宴の準備は、ほぼ終わりました。
通常の結婚式の例に違わず、女性側に苦労を掛けっ放しでしたが、
良い披露宴になりそうです。(相方には感謝)
先ずは体調を整え、皆様を迎える準備をしたいと思います。

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2010年03月04日

記憶に新しい「おふくろさん騒動」について② (井手一男)

昨日の続き。

さて、その後の現実の進行(森さんはおふくろさんを封印しますが)とは別に、
作詞家が歌わせないと言ったら、歌手は歌えないのでしょうか。
結論から言えば、歌えます。
ただし、勝手にパースを付けたり、歌詞を変えたりはできません。
既存の歌詞や楽曲(メロディ)は著作物に当たります。
よって著作権者の許可が必要です。

ところが歌の世界はシステムが複雑で、一般に著作権は次々と譲渡され、
作詞家・作曲家から音楽出版社へ、そこから管理事業者へという風に、
プロの音楽は集中管理されているものです。
集中管理を行う団体を「著作権等管理事業者」と言います。
著作権を保有しているのは作詞家の川内康範氏ではなく、
著作権管理事業者ということになります。

つまり、管理事業者の許可さえあれば、川内氏が何を言おうと森さんは歌えるし、
もっと言えば森進一でなくても「おふくろさん」は歌えるのです。

ところがパースを追加したバージョンはどうか。
これは「編曲権」の問題です。
編曲権とは文字通り音楽のアレンジ権の事です。
この編曲権は、著作権等管理事業者にはありません。
一般には譲渡の対象ではありませんから、音楽出版社にありますが、
音楽出版社にも難しい部分があって、それは「著作者人格権」というものです。
著作者だけの人格的な権利で、誰にも譲渡はできません。
おまけに、著作者人格権の中には「同一性保持権」と呼ばれる権利があり、
簡単に説明すると「無断で、改変するな」と言える権利です。
結果として、パース付きの「おふくろさん」は誰も歌えません。

要するに、楽曲をアレンジするのは法律的に難しいのです。
音楽の三大要素は「メロディ」「リズム」「ハーモニー」と言われますが、
葬儀の式場で、勝手に改ざんしている曲を聞くたびにビクッとします。
何故なら、そのほとんどが(全てに近いけど)、
著作者本人の了解・許諾を得ていないのは分かり切っているからです。

世の中のカヴァー曲は問題ないのでしょうか。
だってカヴァー曲にアレンジはつき物ですから。
人気のある曲、スタンダードの曲は、多くのアーティストからも人気があります。
まずカヴァーされていると思って間違いありません。
「花―すべての人の心に花を」は156人、「涙そうそう」は101人、
私が学生の頃流行ったイルカの「なごり雪」は、
カヴァーしたアーティストの数だけで80人という人気ぶりです。

もし著作者から訴えられたら、全て法律的には通らないでしょう。
編曲権と同一性保持権の処理は無理です。
プロの世界では、仁義を切ったり、煩い人のケースは諦めたり、
基本的にはお断りを入れて出版社が処理をしているようです。
一応の配慮はあるのです。

もう一度言います。
勝手にアレンジするのはダメですよ。

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2010年03月03日

記憶に新しい「おふくろさん騒動」について① (井手一男)

またまた「著作権の世紀」―ー変わる「情報の独占制度」
・・・著者、福井建策(集英社新書)から。

音楽に関する様々な権利は非常にややこしい。
だから具体的に「おふくろさん騒動」について考えることで、
<音楽のアレンジに関する権利>というものについて考えてみたい。

始めに、【著作権】に含まれる11通りの権利を示すと以下のようになる。
①複製権
②上演権・演奏権
③上映権
④公衆送信権等
⑤口述権
⑥展示権
⑦頒布権
⑧譲渡権
⑨貸与権
⑩翻訳権・編曲権・翻案権等
⑪二次的著作物の利用権

・・・もうこれだけでも面倒くさい。
実際の【著作物】の例をあげてみよう。
①小説・脚本・講演など
②音楽(作詞・作曲・編曲
③舞踊・無言劇
④美術
⑤建築
⑥図形
⑦映画(映像作品)
⑧写真
⑨コンピュータ・プログラム
となる。

詳細はもっとややこしくて、例えばネット配信に関してだが、
著作隣接権というものは、出演俳優・ダンサーなどの実演家には認められている
・・・TVドラマでは狭い範囲で認められている・・・のだが、
劇場用映画の場合は認められていないとか・・・。(ややこしいよ)
※著作隣接権とは、著作権ではないが著作物と似た「情報」に認められる。

ざっと全体像が理解できた?ところで、おふくろさん騒動について。
森進一の代表曲「おふくろさん」は、猪俣公章が作曲で川内康範が作詞した。
歌詞の冒頭は「おふくろさんよ おふくろさん 空を見上げりゃ空にある 
雨の降る日は傘になり おまえもいつかは世の中の ・・・」
という有名な歌詞で、モノマネが大流行りである。
ところがある時点から、森進一が次のようなセリフを付け加えるようになる。
「いつも心配かけてばかり いけない息子の僕でした 
今ではできないことだけど 叱ってほしいよもう一度」
私はこの歌詞を聞いたことがなくて、you tubeで確認したが不明であった。
ただ、似たようなフレーズで歌う前に流す「曲紹介ナレ」があったのは事実である。
どうも出典は、複数の「曲紹介ナレ」から森さんが考えたのではないのか。
森さんが付けたセリフは、正確にはパースと言うらしいが、
歌の前に導入として心境を吐露するものだ。
ところが川内さんは気に食わない。
「俺の作った歌じゃない」と怒り心頭のご様子。(TVで何度も見ました)
森さん自身に再三抗議し、遂には「おふくろさん」は歌わせないときたもんだ。

えーっ! ・・・どうなるの?

(つづく)

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2010年03月02日

祭の後(工場長)

バンクーバー・オリンピックも終わってしまいました。
個人的には、真央ちゃんの悔しさ滲むインタビューが一番印象的でした。
残念でしたけど、本当に頑張ってくれたと思います。
最終的に、日本勢は銀メダル3個、銅メダル2個ですか。
少し寂しいですが、健闘した選手には拍手を送りたい気持ちです。

オリンピックについて聞かれた石原都知事の言葉が、
話題になっているようです。
「銅(メダル)を取って狂喜する、こんな馬鹿な国はないよ。
 国家という重いものを背負わない人間が速く走れるわけがない、
 高く跳べるわけない。いい成績を出せるわけがない。」

確かに、近年のオリンピック選手は、
「国家のため」ではなく、より小さな集団の「周りの人々」や、
「自分」のために戦っている傾向が強いように思います。
マスコミが、個々の先週の物語性に焦点を当てていることもあります。
観客も、国を挙げて応援しているというより、
個々に応援したい人を応援している傾向にあるようです。
フィギアスケート男子では、ジョニー・ウィアーの演技後に、
日本人女性がバラの冠を贈っていました。

もちろん、誰もが「日本に勝ってメダルを取ってもらいたい」と思っているでしょう。
ただ、「国家のためにメダルを取ってこい」とまでは思わない。
それが、今の選手に対する日本の応援の雰囲気のように感じます。
メダルよりも、全力を出して来て欲しいと。

ま、オリンピックを国家としてどう位置づけるかにも依るのでしょう。
国費を出して選手を送り出しているのですから、
『国家を背負って戦ってこい』という気持ちも、理解できます。
国家を背負って戦う場合、負けた選手が、
「メダルは取れませんでしたけど、全力は出しました。」
なんて言葉は、言えないでしょう。
「メダルは取れませんでした。すみません…。」
という言葉になるでしょうね。(昔は、そんなインタビューが多かったような)

今は、選手に対し、成績は強く求められない一方で、
「品格」は強く求められているように思います。
服の裾を出して移動していたスノーボードの選手には、
試合前にも関わらず強いバッシングがありました。
世論の様子を観ていると、選手の品格や人間性こそが、
「日本の代表」として問われているのかもしれません。
成績が良ければベストでしょうが、
競技を通して滲み出る個々の選手の内面にこそ、
「日本人らしさ」を求めているように思います。

メダルの色で選手を評価するのは万国共通ですが、
日本の目線は、「相撲の横綱」を見る目線に近いのかもしれません。

ちなみに、スキーモーグル銅メダルのシャノン・バークのはしゃぎ振りを見ていると、
アメリカ人は感情を気持ちいい程ストレートに出すなと思います。
金メダルを取った仲間を喜んだり、失敗した選手を慰めたり…。
国民性かもしれません。
日本人選手にはあまり見ないタイプでしたけど、
それはそれで気持ちいい印象でした。

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2010年03月01日

チリ大地震(工場長)

先月27日の未明に起きたチリ大地震。
マグニチュード8.8の激しい地震でした。
私が被災した阪神大震災がマグニチュード7.3でしたから、
どれほどの大きな揺れがチリを襲ったか想像を絶します。
まだ現地の情報網も混乱しているようですが、
多くの方の無事を祈っています。

日本も、翌日の28日に大津波警報が発令されました。
3mの津波予想でしたので、近年にない大きなものだったと思います。
実際は1m以内の津波がほとんどだったようです。
ただ、宮城県では一部冠水被害があったようで、
余震による津波も心配なところです。

震源地が遠方の地震では、津波が最も心配される災害です。
津波はその恐ろしさの一方で、人々の認識は甘いと言われています。
以前、防災をゲームを通して学ぶ試みに参加したことがありますが、
津波に関する教育の重要性を、強く訴えていました。

当時聞いた話を思い起こすと、
例えば、台風時の3mの波と3mの津波は違うということ。
台風時の3mの波は海岸に断片的な海水を吹きかける程度であるのに対し、
3mの津波は何キロリットルもの海水が一気に海岸地域を襲い、
自動車や多くの人を簡単に飲み込み沖へ引きずり込む力があります。
つまり、高い波の壁が襲ってくると。

上記は津波の映像ですが、
この規模の津波でも自動車を簡単に動かしてしまう力があります。
人間が津波に飲みまれると、立っているのも困難。
2mの津波でも、飲み込まれると命を落とす危険があります。
実際、2003年に発生した十勝沖地震は、2mの津波で被害者がでました。

今後も、余震における津波の心配があります。
沿岸付近の方は、津波に十分ご注意ください。

ちなみに、今回の津波情報の伝播に関しては、
twitterというインターネットサイトにおいて、
早く最新の情報が流れていたように思います。
twitter上の一般市民の情報に、原口総務大臣茅ヶ崎市市議員も反応しており、
有意義に活用されていた様子でした。
一般市民の声がこれほどスピーディに政治に影響を与えることは、
今までにない画期的なことだったと思います。

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2010年02月26日

著作権について考えてみた (井手一男)

私は「著作権」なるものについて、学校でキチンと学んだわけではない。
ただ何となくと言うか、「著作権とは」朧げに「こんな形のモノ」
・・・という適当な概念しか持っていない。
そこで、機会があれば勉強しなければならないとずっと思っていた。

先日、何気なく立ち寄った本屋で話題のダイヤモンド社の週刊誌が出ていたが、
手に取る気にもならず素通りし新書のコーナーを巡っていた。
(最近は、年のせいか読む本の傾向が変わってきている)
すると、一冊の気になる本と出合った。
「著作権の世紀」―ー変わる「情報の独占制度」・・・福井建策(集英社新書)。
一瞬、著者の建策という名前が【検索】と言う字に見えた。
ここまで来ると、一種のネット病かもしれない。
でも、これも何かの縁だと思い手にとってペラペラと捲ったらあらら面白い。
そこでチーン、購入ということになった。
著作権については、それなりに勉強になった。
その本の中から、興味ある記事を紹介したいと思う。
(以下、結構抜粋しています)

2006年、漫画家松本零士さんとシンガーソングライター槇原敬之さんの裁判。
槇原氏がCHEMISTRYに提供した「約束の場所」の歌詞の一部が盗作だと
松本氏に訴えられ、逆に槇原氏は名誉棄損(?)で猛反発。
槇原氏は「自分が銀河鉄道999を読んだという根拠を出して欲しい」と主張します。
この辺りは著名人同士だけにマスコミのニュースでも賑わった記憶がある。
それぞれの作品を見てみよう。
まずは槇原氏の歌詞から・・・

どれだけ時間がかかっても
夢を叶えるその時まで
あくびもせかす事もせず
未来は待ってくれていた
夢は時間を裏切らない
時間も夢を決して裏切らない
その二つがちょうど交わる場所に
心が望む未来がある
夢を携えて目指すその場所に
僕がつけた名前は「約束の場所」
(槇原敬之詞・曲「約束の場所」2006年発売)

一方松本氏の作品は・・・絵(漫画)は無理だからセリフだけで勘弁ね

時間は夢を裏切らない
夢も時間を裏切っては
ならない
知的生命体の
全てが
心の中に抱いている
信念である。
星の海を旅する者
全ても
そう信じている。
地球人と姿形は
まったく違っている
生物であっても
その想いに
変わりはない。
(松本零士「銀河鉄道999」平成17年2月15日ビックコミックスペリオール増刊号)

実は、二つの作品が偶然似ていたとしても著作権侵害にはあたらない。
著作権侵害を主張する松本氏側は、①槇原氏がオリジナル作品を見ていること(依拠性)、
②良く似た作品を作った(類似性)、という2点を証明する必要がある。
もっとも「見た、聞いた」の直接証明は難しいので、しばしば①の条件は
「疑わしき状況」で示していくことが多いそうだ。

銀河鉄道999はTVアニメで大ヒット、そして映画化までされたほどの人気作品。
槇原氏が見ていた可能性は高いと思われたが、
槇原氏は「個人的趣味により、銀河鉄道999は読んだことがない」と主張した。
実は私も銀河鉄道999を読んだことがありません。
勿論、作品は有名ですから知っていましたが・・・。
そして筆者(福井建策氏)は、銀河鉄道999のファンで繰り返し読んだはずなのに、
問題の「時間と夢」のフレーズは記憶になかったらしい。
その疑問は、ひょんなことから氷解する。
実は、松本氏が訴えたフレーズは、平成17年に新たに登場した新シリーズだった。
上記のセリフの下にあるとおり、増刊号だったのだ。
(松本零士「銀河鉄道999」平成17年2月15日ビックコミックスペリオール増刊号)
つまり、槇原氏の読んだことがないという主張は、にわかに信憑性を帯びてきた。
でも私は、自分も読んだことがないので、
端から槇原氏の主張を不思議だとは思わなかったが・・・。

そして2008年、東京地裁は松本氏に損害賠償を命じ、
控訴審で松本氏が槇原氏に陳謝する内容の和解が成立したそうだ。
しかし、ここで筆者(福井建策氏)は疑問を投げかける。
仮に、槇原氏が銀河鉄道999を読んでいたとしても、
「時間と夢」論争に関する、この程度に似ているたった2行のフレーズが、
松本氏に長期間独占できる権利(著作権)を与える必要性があるのか、ということです。
※以下2行のフレーズ参照
夢は時間を裏切らない
時間も夢を決して裏切らない


時間は夢を裏切らない
夢も時間を裏切ってはならない

たった2行の言葉で、この程度で類似性が疑われるならば、
今後の創作活動は非常に難しいものになると思う。
「夢と時間」という普遍のテーマで何か書くとすれば、著作権に抵触する可能性は大だ。
そういう意味でも妥当な結論だったと思うが、この項とても面白く読めた。

私は、葬儀ナレーションのオリジナルバージョンを、
駄作を含め数多くだしているつもりだが、
多少真似されたからといっていちいち訴えていたらどうにもならないはず。
松本氏自身も宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に<着想>を得ているのは間違いないはず。
<着想>を得る・・・その程度は問題ないと思うしかない。

因みに、槇原氏は好みのシンガーではない。

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偲びのコミュニケーション(工場長)

先日、「霊きゅう車使用無料に」というニュースの表題を見て、
葬儀社がどんなビジネスを考えたのだろうと思って見てみたら、
加古川市の施策のことでした。
葬儀において、今まで29人乗り送迎バスを市が負担していたようですが、
核家族化や少子化で斎場に行く親族が減少したため送迎バスの利用が減り、
実情に併せて、市の送迎バスの負担を霊柩車の負担に変えようという内容でした。
市の政策にも影響が出るほど、
葬儀の会葬者の数は減っているのかと感じた次第です。

都市圏の葬儀の会葬者が減りだしていることは、
数年前から葬儀社からも実情として声が聞こえ出していました。
今尚、その傾向は続いているのでしょう。
会葬者の減少傾向は、まだ底が見えない気がします。

会葬者の減少の原因の一つには、
地域の人と人との付き合いが減っていることが考えられます。
核家族化で、家族間の交流が減っている。
また、インターネットやテレビ、雑誌などメディアの発展で、
地縁や小さな地域集会の機会が減っている。
そのような社会的な変化が、会葬者の減少に影響しているように思います。

一方で、インターネットにおける「偲び」行為に関しては、
ネット人口の増加に伴って、増えているようです。
気になって調べてみたのですが、
例えば、先日亡くなった「藤田まこと」さんを2chで検索すると、
50個程のスレッドが並びます。
一つ一つのスレッドを見たわけではありませんが、
匿名ながらも「合掌」「お疲れ様でした」など、偲びの言葉が並んでいました。
案外、誹謗中傷は無いものです。

有名人だけでなく、個人のブログでも、
自らの「父の死」や「母の死」を書いているものがあります。
グーグルやヤフー等で検索すると、いくつかのブログがヒットします。
その中の一つは、筆者の親の死の臨終に至る状況や、
筆者の親に対する想い・偲びが書かれていました。
また、そのブログ記事に対して「心より、ご冥福をお祈り申し上げます」と
第三者のコメントが付いていました。

「偲び」や「慰め」のコミュニケーションが、
葬儀場に行くだけでなく、ネット上でも行われている。
今の時代、考えてみれば当然なのでしょうが、
実際に目の当たりにすると興味深いものでもあります。

インターネットの発展で、様々なコミュニケーションに変化が表れています。
「故人を偲ぶ」という行為も例外ではないようです。
葬儀場で出せなかった感情を、
匿名だからネット上ではき出せるということもあるかもしれません。
葬儀場というリアルな場所が、不要となることは無いでしょうが、
ただ、インターネット上でも偲びのコミュニケーションがあることは興味深く、
今後も気にかけておきたいことだと思います。

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2010年02月24日

スポーツとルール(工場長)

バンクーバーオリンピック、真っ盛り。
スポーツ(観戦)好きの私にとっては、退屈しない毎日が続いています。
上村愛子はメダルまで惜しかったけど、試合後のコメントが素敵でした。
高橋大輔は頑張りが良かったです。メダル取れて良かった。
日本人選手の活躍で感動するのは、試合内容はそこそこに、
そこまでの経緯(バックグラウンド)を知っているからこそですね。

さて、オリンピックはスポーツの祭典ですが、
スポーツには必ず必要なものがあります。
それは、「ルール」です。
ルールを知っているか知らないかで、
観戦の面白みも大きく違うと思います。
ルールを知らないと「がんばれ」と選手自身を応援するしかありませんが、
ルールを知っていると、勝つための技術や戦術が見えて、
別の楽しみ方が出来ると思います。

とはいえ、なかなか全ての競技のルールを知るのは難しい。
フィギアスケートを見ていても、私はジャンプの分類は未だつきません。
「トウループ」「サルコウ」「ループ」「フリップ」「ルッツ」「アクセル」…。
「3回転ループ」「ダブルアクセル」と解説者が言っていますが、
どこがどう違うんだか。
加えて、「3回転は2種類2回まで」という規定があったり、
訳が分からないですね。
美しく優雅であれば良いじゃないか…と思いますが、
それだけではスポーツとして成立しないようです。

ルールは出来るだけシンプルな方が良いとは思います。
サッカーなんて、ボールを手で触ってはいけないことと、
オフサイドがルールのほぼ全てです。
子供の遊びのサッカーではオフサイドさえありません。
それだけシンプルなルールで楽しい球技だから、
世界中で広がるのだろうと思います。

私は中学高校とラグビーをしていたのですが、
これは球技の中では最もルールが複雑な方でして…。
おかげで中々ラグビーを楽しめる人は増えず、
競技人口も減少の一歩をたどっています。
やはり、ルールはシンプルな方が良いと思います。

葬儀では、スポーツのルールではありませんが、
代わりに作法や様式があります。
日本でメジャーな様式は仏式ですが(仏式も宗派で分かれますが)、
一つ一つの物事に歴史があり、理由があります。
お経にも、一つ一つに意味があります。
私も勉強中の身ですが、葬儀に携わる者としては、形だけの作法や様式だけでなく、
その背景や歴史を知っておけば、また見方も変わると考えています。

一方で、お経の難解さを始め、仏式の弔いの様式は、
一般の人にとって完全に理解できるものではありません。
シンプルでないことに価値があるのかもしれませんが、
今の情報過多の時代、よりストレートで解りやすい内容でなければ、
あえて「知ろう」とする人は少ないのではないでしょうか。

そういえば、2年程前に開催された、
「ボーズコレクション」は、もうやってないのですよね…残念。
寺院が宗派を超えて一般人に歩み寄った、面白い試みだったと思います。
4年に1度くらいは、開催して欲しいですな。

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2010年02月23日

「葬式は、要らない」を読み終えずに・・・(井手一男)

これが、新聞にも広告が載るほどの本なのだろうか?
こんな本を一般の人が読んだら、騙されてしまうだろうに・・・。
本の帯には堂々とこんな記事が載っていた。

「日本人の葬儀費用は平均231万円。これはイギリスの12万円、韓国の37万円と比較して格段に高い。浪費の国アメリカでさえ44万円だ。実際、欧米の映画等で見る葬式はシンプルで、金をかけているように見えない。対して我が国といえば巨大な祭壇、生花そして高額の戒名だが・・・」

えっ? 何かデータがおかしいのかな・・・と思った。
最近米国へ行ったばかりだが、あまりにも違い過ぎる。
しかし、堂々と本の帯に載っているということは・・・買うか(しょうがない)。
買って見て読んで・・・分かった。(怒)
日本の葬儀費用231万円の根拠は、平成19年(2007年)に財団法人日本消費者協会が行った「第8回葬儀についてのアンケート調査」の結果による。
以下本文より抜粋しよう。
本文の19ページにある原稿がそれに当たる。

「231万円といえばかなりの高額だが、世界と比較してみても、それは飛び抜けて高い。時代としては少し前のものだが、1990年代の前半、アメリカの葬儀費用は44万4000円、イギリスは12万3000円、ドイツは19万8000円、韓国は37万3000円だった。浪費の国アメリカでさえ日本の5分の1であり、全体に一桁違う」

ちょっと待った。
日本の葬儀費用は2007年の統計からなのに、
対する米国などの葬儀費用は1990年代前半と言っている。
(違い過ぎる、おかしいだろう)
さらっと軽く言っているので、トリックのように普通の人には分からない。
その差は13年から17年程度あるということだ。
彼は、きっと最新のデータを持っているはずだ。
もし持っていなくても、調べれば分かる筈だし、担当の編集委員も調べられるはず。
本は最後まで読破していないが、恐らく彼が言っている(であろう)、
葬式に贅沢はいらないという趣旨は一利あるので残念で仕方ない。

私が去年、米国へ行った時に伺った話では、
葬儀費用は火葬と土葬とで差があるけれど平均60万円以上らしい。
しかも、最近は火葬率がアップし、より低価格になってきているということだった。
以前の平均単価はもっと高かったらしい・・・その辺りをもう少し詳しく言うと、
かつての米国は、業者側が不当に葬儀費用をつり上げているのではないか、
ということで消費者の不満が高まり、米連邦取引委員会(FTC)が、
業者間の説明責任を明確にするルールを導入して以後、消費者からのクレームが激減。
現在では、ジェネラル・プライス・リスト(GPL)の提出は義務づけられている。
つまり昔の米国は、今の平均費用60万円よりも高かったということである。

実際、米国から日本の葬儀業界に参入したある会社は、
セレモニーパック(通夜・告別式セット)という商品が、
1万円の会費を払って生前予約すれば85万円だという。
ただし、通夜の食事や返礼品、またお布施は含まないのだ。
この程度の価格なら、日本の葬儀社と対して変わらないではないか。
実際、この本の中でも触れられているように、四国の葬儀価格の平均は149万5000円。
この価格でお布施から返礼品まで含まれているのだから。

自分の論理を有利に展開する目的で、この不公平な資料の出し方はない。
(しかも彼は元、大学教授だ)
著者の名前「島○某」に記憶があるが、例のオウム事件の際、
オウムの肩を持ったことが原因とされ大学教授を辞職へと追い込まれた方ではないか。
ウィキペディアから抜粋しよう。(今日は色んな所からの抜粋ばかりでスマン)

島○が初めてオウム真理教について言及したのは、1990年7月刊行『別冊宝島』114号に掲載された「オウム真理教はディズニーランドである」という論文である。
1991年9月、テレビ朝日系列で放送された『朝まで生テレビ』で宗教問題が取上げられ、島○は麻原をはじめ上祐史浩などのオウム幹部らとともに出演した。その番組を踏まえて『週刊朝日』1991年10月11日号に「平成の『宗論』を読む」という記事を寄稿。オウム真理教は仏典の研究や修行に打ち込み、仏教の伝統を正しく受け継いでいる真摯な教団であると評価している。「オウムは必ず、仏典に立ち返って、自分たちの教えを説いている。オウムは最初はヨーガから始まったが、その後は、仏教の本来のスタイルに近づいている。日本の仏教は世俗化しているためにオウムが特異な集団に見えるが、むしろ仏教の伝統を正しく受け継いでいる。パーリ語の仏典を訳したりして、勉強している点も、それを裏づけている。とオウムを論評した。
松本サリン事件がオウム真理教によるとの疑惑が報道され始めた1995年(平成7年)1月25日、第7サティアンを単独取材し、『宝島30』1995年3月号に同施設が「神聖な宗教施設」とする内容のレポートを発表。
・・・云々。

ここは好きな出版社なのだが、編集委員は裏を取らなくていいのか?
疑問を感じたはずだと思うのだが、鈍感なのだろうか?
また真宗を学ぶ者としても、宗教学者とは思えない理論の展開があり私は頭を抱えた。
(それについては書きません)

最後に、一言。
「こんな本は、要らない」

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2010年02月22日

海外視察研修22 ニューヨーク~成田へ (井手一男)

我々は、タイムズスクエアの交差点で一度解散し数時間の自由行動となった。
タイムズスクエアはNY市のミッドタウンに位置し、
所謂ブロードウェイミュージカルの上演シアターが立ち並ぶ繁華街だ。
そしてこの街で何より目立つのはビルの外壁広告・ビルボードの設置である。
世界的な有名企業の広告が、一斉に掲載されている街だ。
NYの青空を背景に、ビルの壁広告を眺めながら歩くだけでも飽きない。


最初は集団で歩いていたけど、その集団が大きく二つに分かれ、
やがて小グループに分かれてからは、各自が三々五々に散って行った。
シカゴ、ライオンキング、メリーポピンズ、オペラ座の怪人など、
ブロードウェイミュージカルがズラリと軒を並べているし、
NYのお土産といえば、チョコレートのM&MやGODIVAやNoKAや
Kee’SやMarie Belle・・・。
しかし、アメリカのチョコの甘さには愕然とした。

通りにはストリートパフォーマンスの有名人、ネイキットカウボーイの姿が。
真冬だろうがおかまいなし、ブリーフにカウボーイハットとブーツ姿で、
アコーステック・ギターを抱えて演奏するようだ。
・・・とてもマッチョな体格でした。
因みに彼は、NY市長選挙に立候補したそうです。
(変わってます)

私は一人、目的地に向かって進みます。
残された時間は数時間しかありません。
目的地とは、パリの老舗ブランド・イブサンローランと、
その隣にある日本でも大人気の皮製品ブランド・ルイ・ヴィトン。
お土産と称して依頼された品物はここにしかないようです。
(日本でも買えるだろうが・・・)
しっかりとした研修旅行なのですが、家族は私が遊んでいると勝手に思ってます。
仕方ありません。

大柄な黒人のドアマンに店のドアを開けてもらい(初めての経験)まずはYSLへ。
ここは女性のオリジナルドレスがメインなのか、客は私以外全員女性。
「まずい雰囲気のところに来ちゃったよ」
と、心の声で言っていましたが、言葉が通じないので堂々と言っても良かった。
試着する女性が、ワイワイ英語で喋っていました。
私を担当してくれた店員も、黒人の男性でした。
が、妙にキャラがかわいいタイプで、目がキョロキョロと大きく、
小動物的などちらかといえば小柄な男性でした。
ドアマンのマッチョ(今日2度目)タイプとは、個性が真逆でした。

「エクスキューズミー」
「£☆◆¦\♨△◎▲※¢」
「分からんよ、あのね、ここで、3つ財布を買うから」と指をだす。
「スリー?」
「そう、スリー。 掏りのスリじゃないよ、長嶋の背番号の3」
「???」オーバーに両手を広げてるよ。
(洒落がわかるはずもないか)
「分かる?アンダースタンド」
「OK、OK!」指を丸くするのは日本と同じ。
「ガッツか・・・」
「・・・」
「何でもない・・・じゃ見せて・・・ショーミー」(何かおかしくないか)
よーく見てみると、彼はエディ・マーフィにも似てるような・・・

彼が笑いながら持ってきてくれた商品群の中から、いくつか選び購入。
買ったのはいいのだけれど、ウェイティングルームで延々と待たされ、
途中でペリエかなんか持ってきて、YOU飲んでろと言う。
「大丈夫かな」
「これはお土産か」みたいなことを、多分聞いたんだと思うけど、
当たり前だろう、俺が女物の財布使うか。
15分は一人ぼっちで待たされた。
カードの事も心配になるし、心細いよ。
やっと現われたと思ったら、紙袋にリボンなんか付けやがって・・・
これから隣のヴィトンに行くのに。
また大柄なドアマンにドアを開けてもらい、ホッとして店を出る。

次は隣だ。
ヴィトンは物凄く混んでいた。
日本人の観光客も多い。
店員も、いた!日本人見つけた。
日本語さえ使えるなら、と何不自由なく買い物して、トイレまで借りて一丁上がり。
終わったー、お土産終了。
この夜、近くの中華屋で最後の晩餐と相成った。
今、記憶が無いくらいに飲んだ。
それでも、メンバーの中に数人11月生まれがいて、事務局の方が祝ってくれた。
これがNYのラスト写真だ。

翌日、成田に帰国。
成田での解散式の時には、もう息子が私の横に張り付いていた。
「お土産目当てか?」

長かった海外視察旅行シリーズもこれで終了します。

追記
海外研修は意外と厳しかった。
想像していたよりもずっとハードでした。
が、丸8日間行動を共にした皆さんとは格別な関係を結べたと思っています。
地域(エリア)が違う人は、違う〈お葬式〉を執り行っているのが現実ですが、
それでも皆さんが共通していたのは、葬儀について深く考えているということです。
皆さんと一緒にいられたことも、また米国の事情を詳しくお聞きしたことも、
私にとっては大変勉強になりました。
そして通訳してくださったコーディネーターのH様にも大変お世話になりました。
このシリーズは終了いたしますが、私が「ふざけ半分」でレポートしたことにより、
ご迷惑をお掛けした同行者がいたならこの場をお借りして謝罪いたします。

皆様、本当にお世話になりました。
ありがとうございました。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 22:22 | トラックバック(0)

2010年02月19日

イオンの葬儀料金について・・・夢 (井手一男)

昨年、イオンの参入によって葬儀業界は注目を浴びているようだ。
世間の目が葬儀業界に注目しだして何年経つだろうか。
テレビ、ラジオ、新聞、週刊誌等、あらゆるマスコミに、
葬儀関係が登場しない日はない・・・といったら言い過ぎか。
少子高齢化の社会構造や葬儀に対する忌避感の薄れなどが影響しているとはいえ、
10年前、ここまで加熱してくるとは思わなかった。
イオンの件に関しては、マスコミはこぞって料金の透明化を喧伝しているようだが・・・
その中身が気になり、ホームページを覗いてみた。

イオンによると、お葬式にかかる【総費用】は
1. 葬儀費用 実際に葬儀を執り行う費用
2. おもてなし費用 参列者におもてなしをする費用
3. 別途費用 移動や火葬などの費用
4. 宗教費用 お寺などに支払う費用
これらを合算した総額が、お葬式に掛る総費用ということらしい。
つまり
<葬儀費用>+<おもてなし費用>+<別途費用>+<宗教費用>=【総費用】だ。

そして、1.<葬儀費用>について以下の6つのペースプランが用意してある。
29.8万円、39.8万円、59.8万円、79.8万円、108万円、148万円。
これで安いと思ったら大間違いで、これは【総費用】ではありません。
しかし、この時点でイオンは安いと勘違いする人がいるでしょう。
ベースプランですから、これに2. <おもてなし費用> 3. <別途費用>
 4. <宗教費用>が加算されますので、果たしていくらになるのやら。
さらにホームページによると、イオンがご紹介する「安心のお葬式」では、
<宗教費用>は含まれません・・・と出ている。
(じゃあ、安心できないだろうって)

白昼夢を見たのかもしれない・・・
じゃ全く適当に見積もってみましょうか。
取り敢えず、ベースプランは79.8万円で。
それにプラスすることの、<おもてなし費用>なんだけど、その内訳は「通夜返し」
「会葬礼品」「即日返し」「通夜料理」「飲み物」「精進料理」などとなっているから、
地域によっては全部必要だろうし、そうじゃない所もあるだろうけど、
通夜80人・葬儀40人として考え、トータルでざっと50万円(少ないかな)。
さらにプラスすることの、<別途費用>とあるから、「会館使用料」「マイクロバス」「タクシー」「警備員」「貸布団」「貸衣装」などと「ご遺体搬送費」「霊柩車」「火葬料金」「火葬場使用料」「控室使用料」などを合わせて・・・ざっと40万円。(イオンは葬祭会館持ってなかったよな)
そしてプラスすることの<宗教費用>これはざっと40万円(初七日込)
(恐らく少ないが、地域差は物凄くあります)。
さて、誠に以て私は雑駁な人間で申し訳ございませんが、
<総費用>は・・・チーン、204.8万円。
普通の葬儀社様と何も変わらないと思います、私は。
(もしかしたら、ちょっと高くつくかも・・・)

更にベースプラン価格の比較表があり、
それぞれ金額別に含まれるものが写真入りで紹介されている。
一見、凄く丁寧な感じがするのだけど、例えば59.8万のペースプランでは、
祭壇、遺影写真、棺や骨壷など20点が含まれるのだが、
それぞれの価格がどこにも載っていなくて、棺代はいくらなのか?
祭壇費用はいくらなのか? 遺影写真はいくらなのか?が不明である。
一つ一つの値段が知りたいのに、これでは価格の透明化とは言わないでしょう。

イオンは消費者のために、葬儀業界に参入したんじゃないのかな。
何にいくらかかるのかが知りたいのに、これでは不透明と言われても仕方ない。
一般市民の関心はそこにあるのです。
ドライアイスだって2回分とか書いてあるけど、3回目からいくらになるのか、
また一回のドライアイスの量は10キロなのか12.5キロなのか8キロなのか?
そもそもドライアイスの分量を表記せず、1回や2回という書き方がおかしい。
見積書に明瞭に記載されてないことを、葬儀業界は改正していかなければ、
という風潮があるのに、新規参入でこれでは逆だね。
電気屋さんだって単三電池8個で○○円て書くのが普通だよね。
(環境の事を無視してドライアイスを使うというのは、この際無視しときます)
紺猿の人間だって、あっ間違えた! コンサルタントの人だって、
きっと知っているはずなんだけどなあ。
オリジナル会葬礼状にしたって外注だし、電話受け付けにしたって外注だし、
葬儀そのものも外注だし・・・外注だらけでいいのかなあ。
それなら昔から都心で流行っているブローカーと何ら変わりがないように思える。
イオンが、身内を亡くした人を更に騙すような事はしないよね。

イオンが・・・そんな・・・まさか・・・
・・・という悪夢を見た。

恐ろしかった。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 09:00 | トラックバック(0)

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