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2004年11月30日

葬儀の司会現場という「修羅場!」(加藤直美)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

私はプロのMCとしての経歴は長い。
ナンと言っても「子供ショーの歌のお姉さん」として10代でのデビューだもの・・・。
うん十年が過ぎた。
その後、コンサート、結婚式、シンポジウム、竣工式、パーティー・・・。
戴いた仕事は大体をこなしてきた。
その私が、葬儀の司会だけは思うように行かず、はじめた頃はいつやめようかとばかりを考えていた。

葬儀の司会をはじめた頃は、都下の小さな司会者派遣事務所で、セレモニーアシスタント仕事の延長のような司会だった。
司会以外の仕事もしながら、火葬場案内もしながら、何となく喋っていれば良かった。
ナレーションだって「うちには必要ない」という担当責任者が多かったから、楽といえば・・・
そう、楽な司会だった。
その頃、司会以外の現場仕事をたくさん経験させられて・・・いや、させて戴いて、今となってはすごく感謝しているが・・・。

それから月日は過ぎて(まさかこんな展開になるとは思ってもみなかったが)今は、MCプロデュースの司会者として活動している。
MCプロに入って数年は、もっとも司会をやめようと思っていた時期だ。
なぜか・・・まずは、
①大きな葬儀の司会が多い中で、その時の担当者の力がまちまちであるということ。
ベテラン担当者は、全体を見渡して的確に指示命令を出していき、司会者に守備範囲以外のことで負担を負わせることが少ない。
一方で不慣れな担当者は、自分の目の前にあることしか見えず、そのしわ寄せをすべて司会者に寄せてくる(又は、司会者のせいにする)。
遺族、司式者、会葬者の狭間で、私は何年の命を縮めたかは分からない。
それから、
②葬儀は打ち合わせしたことがその通りにならないことが多い。
先が読めないということが私にはきつかった。
葬儀という現場で、司会者の私に予期しないナニが降りかかってくるのかが分からないという不安も多かった。
その度におっかなびっくりと小さな胸を震わせてドキドキものだった。

しかし今は、その担当者のレベルや現場の状況に応じて、行き渡らない部分をさりげなくフォローできる司会者になった・・・つもりだ。

つい先日地元の音楽祭の司会をした。
120名近い出演者と300人のお客様。
すべてがボランティアで運営されるこのコンサートは、ほとんどが「出たとこ勝負」。
一応打ち合わせもし台本も作ってあるが、進行や曲、出演者さえ急に変わることもある。
それを上手に切り盛りしながら、楽しく言葉を操りながら進めていく私がいた。

「一瞬先は闇」という言葉が葬儀にはよく似合う。
打ち合わせ通りに進むことが常識的な通常の司会仕事では想像もつかない展開が、
葬儀の司会にはよくある。
そんな修羅場をくぐるうちに、その場その場の突発的な問題を対処できる司会者に成長したのかも知れない。
それが難なく出来るようになっている自分にとても驚いたし嬉しかった。
「修羅場をくぐる」ということは、何をするのでも人を何倍も大きくするのだなあと改めて思った今日この頃である。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2004年11月30日 23:10

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