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2006年05月19日

葬儀が終ってからの「悲しみ」 (加藤直美)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

主人の30年来の友人が亡くなった。
私も結婚する前から20年近く、友人として同じようにお付き合いさせて戴いた。
親しい友人の葬儀は、生まれてこのかた2回目になる。
まだ56才という若さで逝くということ・・・辛すぎる・・・。
その葬儀で私は司会を担当し、見知らぬ葬儀屋さんとの折衝を手伝ったので、
本当の意味で悲しむことは出来なかった。
初めて、親しい人や身内の葬儀は、手を下さない方がいいという体験をした。
(でも黙って見てはいられないのだが・・・)


友人司会であっても、私はプロ司会者。
様々な状況に対応するべく、気持ちは全ての自分以外のところに向く。
思い出を語り合い涙する・・・
親しい人を亡くした悲しみを乗り越えるための全ての作業も、
どこかでプロとして自分を律し抑える気持ちが働く。
そんな中、悲しみへのinとoffの感情に揺れ動く私にとって、
FUNETを使ったナレーションや、追悼文はとても心強かった。

主人も、バンド全体をまとめたり、弔辞でお手伝いさせて戴いた。
その弔辞も、形通りでない、本当の友人としての悲しみの吐露を原稿にまとめた。
こういう言い方は申し訳無いが、過去には嫌というほど、
形だけの、言葉面だけの、お付き合いだけの弔辞を聞いている。
心を打たない話は誰も聞きたくない。
本当に何を思うか、今の気持ちを正直に素直に、
どのように別れの言葉を言いたいかを主人に聞いて2人で文章にまとめた。
その文頭は「おい、○○男、ナンで、そんな所で眠ってるんだ」という言葉だった。
本当に思っていることが、どれほど人の心を打つか、真実味あふれる言葉になるか・・・。
人は、それに心打たれ涙するものだということを体験した。

56才というその若さゆえ、男女問わず涙している人が多かった。
故人はサックス奏者、ミュージシャンだった。
棺の周りにも愛用の多くの楽器を飾った。
そして多くの友人が楽器を持って演奏に集まってくれた。
私もボーカルとしてライヴ活動した頃の友人たちに数年振りで会うことが出来た。
まだまだみんな現役のミュージシャンだ。
フルバンド編成での献奏は、見事な音をしていた。
音楽葬としてこれほど心のこもった葬儀は私も初めてだった。
音に気持ちが入っているということは、こういうことなのだ。
主人もドラムをたたき見送った。
「ムーンライト セレナーデ」
「イン ザ ムード」
「タキシード ジャンクション」
「ティル」
「ジュ トュ ヴ」・・・・・。
故人が生きた中で出会った多くの音楽を献奏として、最期は「聖者の行進」で出棺した。
この曲はにぎやかな曲だが、元々は弔いの曲。
私は火葬場に向かうバスの中でその曲を聞いた。
「聖者の行進」がこんなに悲しい曲かと改めて涙が出た。
そして「死は、終わりでは無い」ということを感じた。
死は、新しい人生の始まりなのかも知れない・・・。
「聖者の行進」で見送られるということは、そんな感じだ。

通夜、葬儀、火葬、精進落し・・・。
二日間の一連の流れが滞りなく終わり、やっと私たち夫婦は肩の力を抜くことが出来た。
ホッとしたと同時に新たな悲しみがこみ上げてきている。
葬儀の中では、思う存分表現出来なかった悲しみの気持ちが、今、一気に溢れ出てきている。
しばらく私たち夫婦は、彼を思いその思い出に浸る、
悲しみからの立ち直りの日々(グリーフワーク)が続くだろう。
故人のためにも多いにその悲しみに浸ろう。
そして又、次に向かって歩いて行こう。
合掌

<井手の割り込み>
写真で見る限りですが…
お棺は、「取って付きの蓮華6.25」かな?
これが…「30万だって言うのか?」
んー、物凄いね。(原価知ってるだけに)

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2006年05月19日 00:10

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