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2005年02月06日

僧侶に感謝!(井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

何故お坊さんはあんなに威張っているのだろう?
そして葬儀屋さんは、何であんなにお坊さんにペコペコするのだろう?
ほとんどの遺族の方も、お坊さんに対しては似たようなものだった。
20年位前、葬祭の人材派遣に入ってから一番不思議に思ったことだ。

法話もそんなに面白くもないし、袈裟はそりゃ立派で高価な感じはする。
それなりの歴史というか、伝統も感じられるが、
私から見れば、ハッキリ言ってただのオヤジだし、
『そない米搗きバッタみたいにせんでも・・・』
と、ことあるごとに担当の先輩社員をからかっていた。

暫くして、私は何故かとんとん拍子に出世し、
(つまり人材のランクが上がり、ついでに給料も上がり)
司会や担当を任されるようになると、
件の社員と同じ事をしている自分がいた。
悲しかったと同時に自分に腹が立っていた。
正直、「金のため金のため」と心で呟きながら、
米搗きバッタの自分がそこにいたからだ。

当時の私から見れば、僧侶の態度が余りに尊大で、
何か葬儀社を見下しているようで、いつも嫌な思いをしていた。
そのうちギャフンと言わせたいと思っていたのは確かだ。

そんな時、ある葬儀で遺族の親戚筋にヤ××さんがいた。
担当の私に、何か揉め事が起こりそうな、確かに閃くものはあった。
そう予感みたいなものが・・・しかしまさかあそこまで、
自分の想像通りにはまることは滅多にない。

通夜開式前の打ち合わせで、やはり揉めた。
読経中は焼香をしてはいけないとか、
遺族親族は、常に正面を向いていて、弔問客に答礼しては駄目だとか。
挙句の果てに、翌日の弔電拝読も省略しろだの、
次の日は僧侶用にハイヤーを手配しろだの、
まあ、その内容には一理あるのだが、言い方と態度が横柄なのだ。
常に命令調で、私でさえ遺族がかわいそうになった。
ただでさえ悲しんでいる遺族に対して、
あの態度はないだろうと思っていた。
そんな僧侶の態度の不遜さに、それでも遺族は我慢していたが、
や××さんには耐えられなかったようだ。
あっという間に堪忍袋の緒が切れて、
『てめえ態度がでけえんだよ!おらっ坊主、埋めるぞこらっ!』
(逞しい-、埋めて埋めて今すぐ・・・心の声です)
『表出ろっ!こら、くそ坊主』
(くそ坊主だって、素晴らしい響き・・・心の声です)
一発、軽く頭を殴られた僧侶は途端にオロオロし、
担当の私は、一応形ばかりの態度で、
『暴力はお止めください、落ち着きましょう』
などと言いながらも、自分の立ち位置を考慮し、
や××さんの邪魔にならないように配慮していた。

逃げる坊主に追うや××。(七五調)
映画のワンシーンのようだ。
『カット』・・・止まるわけないか。

(井手の回想シーン・・・つまり井手の頭の中です)
かつて北のある駅で、ヤクザの立ち回りを見たことがある。
まだ雪が残る古びた駅舎から怒声が聞こえ、
転がるように男が飛び出したかと思うと、
その男を追いかけてもう一人の男がジャージ姿で登場した。
揉み合いながら刃物を振り回しているうちに、
小指に巻いていた白い包帯がほどけ、
まるで新体操のリボンの演技のように大きな弧を描く様子が、
光の関係で時折光る刃物と相まってとても美しく、
まるで映画のワンシーンのように印象に残っていた。
(この役、高倉健にやらせたいなあ)

(井手の現実)
気の利かない親戚の男性が、や××を押さえつけて、
それ以上の事件には発展しなかった。
しかしその葬儀は、読経中の焼香も、答礼も、弔電も許された。

この一件以来、この寺の僧侶は少しおとなしくなった。
ばかりか、葬儀社の担当に対しても態度が変わり、
『危ない人がいたら事前に教えてよね、お宅らが頼りなんだから』
などと発言するにいたっては、我が耳を疑ってしまった。

しかしこんな事は稀である。
そうそうや××さんを頼るわけにもいかないし、
まああまりお近付きにもなりたくないので、
普段の私の業務態度は、やはり米搗きバッタ生活だった。

私は納得しないで人様に頭を下げることが大嫌いだ。
そこで少しずつ理論武装を試みた。
最初は歯が立たなくて悔しい思いをした。
連敗街道まっしぐら。
ずいぶんと馬鹿にされた。

仏教心はまったく持ち合わせていなかったが、お経を憶えようと思った。
ただ単に負けたくなかったからだ。
録音テープを祭壇に仕込み、毎回隠し録った。
(聴いてみると、その滑舌の悪さには参った)
経本を買い漁り、昔懐かしい手作りの単語帳のように
(リングがついてて、くるくる回るタイプのやつ)
お経帳を拵え毎日ブツブツ言ったり、書いたりして、
読みと、意味とを少しずつ憶えていった。
わからない事を、打ち合わせの度に聞きまくった。
話に熱中し過ぎて通夜の時間を過ぎ、スタッフが飛んできたこともある。

また開式前に、導師は式場の経机などのチェックを終えると、
控え室へ下がるが、その際お経本などをセットしたままである。
これを見逃すはずがなかった。
導師控え室前に仲間を見張らせ、経本の奥付けから出版社を辿り、
何冊も購入した。

数年が過ぎる頃、私は自分の司会台に、
当日の宗派にとって必要と思われる経本を何冊も置いていた。
ほとんど司会に必要なきっかけは諳んじていたが、
プレッシャーを掛けるためである。
また時には聞こえるように、少し大きめの声で一緒に唱えたりしていた。
たまに僧侶が一行飛ばしたりすると、大きく咳き込んだりしたものだ。
また絶版になった経本を持っていると、
導師にコピーさせてくれないかと頼まれたこともある。

そのうち、
『ねえ井手さん、あの寺はどんな風にやってるの?』
とか、
『私の音程は気にしないでね』
とか言われるようになった。
実は、お経でも出だしの音が決められているものも多く、
私は調子笛で調整していたのだ。
(速度といおうか、拍数が決まっているものも多い)
数人でお経を唱えるときは、一度早くなるとどんどん早くなり、
一度遅くなるとどんどん遅くなる、まるで小学校の遠足の行列みたいだった。

東京は見本市みたいにあらゆる宗派が揃っていて、
そのことが大いに役立った。
異なる宗派なのに、同じお経の一説(偈文)を唱えることが
余りにも多いと感じ、出典を調べ始めた。
意地悪な質問も結構やった。
知っていながら偈文の出典を尋ねてみたりした。
相手のレベルを計るためである。
間違えたり、誤魔化したり、知らないと教えてあげたりもした。

いつの間にか、自分なりに仏教を学んでいたのかも知れない。
だとすれば、いじめてくれたお坊さんに感謝だ。

正座したまま足が痺れて、立てなくなった修行不足の坊主。
読経の途中で眠っちゃった坊主。
ロックンローラーのように長髪の坊主。
普段は耳が遠いくせに、お布施の話になると耳が良くなる坊主。
引導文を忘れてきて、読経が出来ないと涙声になっていた坊主。

いろんな人がいたけど、やっぱり感謝しよう。
合掌!

大袈裟(おおげさ)とは、よく言ったもんだ。


《FUNET会員の皆様へお知らせ》

現在、追悼文の背景画像を8枚アップしていますが、
左隅の全てのロゴを削除し、扱いやすく変更しました。
今後とも宜しくお願いします。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2005年02月06日 22:04

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