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2009年04月01日

父の転院 (加藤直美)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

今年に入って間もなく、二度目の脳梗塞で倒れた父は、
1週間ほどあちらの世界とこちらの世界をさ迷って私達の元に戻ってきました。
一時は、葬儀の事前相談をしたことは以前にも書きました。
後遺症は残りましたが、少しずつ、わずかではありますが、
意思表示も出来るようになり、家族もようやくホッとした毎日を過ごしています。

今年は実に、大変な年明けでした。
お正月の三が日は父の大変な介護で、記憶がありません・・・。
おせち料理も食べたかしらん?という感じです。
年賀状のお返事もままならず、「どうしようか・・・」と悩んでいますが、
今さら「早々と、お年賀状を・・・」なんて失礼ですよね・・・。
何とか考えなければいけません。
でも、そんなことを思えるようになったのですから、
本当に、父の容態は落ち着いたということです。
こうして少しずつエッセイも書けるようになりました。

最初に入院した病院は、急性期医療の病院です。
入院手続きの段階で、次に転院する病院のことについて説明がありました。
「そんな・・・殺生な・・・」とのどまで出ている言葉を飲み込んで、
母と私は心の準備をしました。
最初の病院は、実際には2ヶ月半だけ置いてもらいました。
容態は落ち着いたけれど、父のように回復の見込みがない患者は次の病院へ移ります。
自宅に戻すわけにも行きません。
母が倒れれば、私にも大きな負担が回ってきます。
私の家族も巻き添えにしての、先の見えない戦いの始まりです。



次への転院に向けて最初に紹介していただいた病院は、とても人気のある施設です。
なんと、そこに入るだけで、3ヶ月から半年待ちであることが分かりました。
ですから、そこに入れるまでの間を別の病院にお世話になることにしました。
その中間の病院を決めるまでが、また大変です。
家族の病院通いの地の利や施設、お値段、内容・・・。
色々と相談をして、ある病院に決めました。
そして今度は、その病院と面接が行われます。
しかし面接も、順番待ち・・・・・。
介護する父を抱えて、身も心も疲れている私たちは、
最後の力を振り絞るように手続きを進めました。
そしてようやく、ひとつの病院から向かい容れの連絡がありました。
しかしこの病院は、患者に対してのリハビリ施術をしない病院です。
もちろんそれは承知の上転院をしました。
ですから母と私は前の病院で、作業療法士の方にリハビリ方法を教わりました。
寝たきりの父にとって、毎日少しずつでも手や足、肩などの、
関節を動かすことは必要です。
今私も母も時間を作って、毎日父の元に通うようにしています。
父とは両手、両足をマッサージしながら、色々なことを話します。
聞こえてはいるようですが、明確な返事はありません。
でも、いつか意識がハッキリする日が来ることを祈りながら、
私たちは父の魂に語りかけています。
次の病院に転院できるのは、いつのことやら先が見えない毎日ですが、
今日、そして今、父にしてあげられることを見つけて、
共に過ごす時間を大切に使おうと思っています。



新しい病院はそれほど遠い場所ではありませんが、
慣れない道のりに、多少母は混乱したようです。
何回か一緒に通って道を覚えました。
病院までの道すがら、素敵な遊歩道が私達を迎えてくれます。
ほころび始めた桜に、心がなごみます。
途中にあの「石川遼クン」が在籍する高校が見えます。
屋上にゴルフ練習場があります。
スポーツをする元気な子供たちの声が聞こえます。
病院とは別世界です。



春がやって来ました。
父が倒れた頃は、「春までには退院して、家族でお花見をしよう・・・」
なんていう夢を描きましたが、現実は厳しいものでした。
父を介護する日々が、私の暮らしの一部になって来ています。
毎日の疲れ方にも慣れてきました。
私も健康に注意しながら、母を支えて頑張って行こうと思っています。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2009年04月01日 09:00

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