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2009年09月16日

音楽著作権について1 (井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

今年の葬祭ディレクター技能審査試験の模擬問題集に知的所有権の設問がある。
つまり、人間の幅広い知的創作活動について、その創作者に権利と保護を与えるもの。
土地や建物や金銭などの「有形」の財産の反対概念で、「無形」の財産に関する権利の
別の呼び方である。(特許権、著作権、商標権など)
今日はその知的所有権の中から、葬祭業務とは切っても切れない関係にある
音楽の取り扱いについて・・・主に音楽著作権について考えてみたい。

著作権利者に不利益を与えない為に、音楽著作権は守られている。
そして、音楽著作権を大事にすることは当然のことであり、とても重要なことだ。
ところが、どんなに良いシステムでも時には金属疲労も起こすだろうし、
時代の流れの中では歪な形になってしまうことも少なくない。

日本における音楽著作権の歴史は、不平等条約解消の目的もあって(ちょっと古いよ)、
1899年ベルヌ条約に加盟・・・ベルヌ条約は1886年にスイスのベルヌで締結され
著作権の無方式主義、内国民待遇を原則に、著作権保護期間は50年間とされている。
日本は1899年に加盟・・・同年、著作権法の施行も行われていたが、
著作権使用料の支払いという概念はなかった。(100年以上前だから、仕方ない)
その後トラブルが続出したため、1939年「著作権に関する仲介業務に関する法律」
が施行され、現在のJASRACの前身、大日本音楽著作権協会が設立されている。

トラブル続出とは、ドイツ人のプラーゲ氏が「録音権管理団体」の国際事務局代理
として東京神田に事務所を開き、英独仏などの国の音楽著作権団体の代理もつとめ、
管理する外国曲について高額の使用料を請求、または楽譜の差し押さえなどがあった。
NHKは彼との間で、ラジオで流す楽曲の使用料交渉がまとまらず、
1年間も曲を流せなかった時代があったらしい。
そこで著作権を担当する内務省は、「官民一体」で日本の著作権団体設立を急ぎ、
上記のJASRACの前身、大日本音楽著作権協会が設立され、
同時に、著作権の管理業務への参入は許可制とする「仲介業務法」を施行。
協会の申請は許可されるが、ドイツ人のプラーゲ氏に許可はおりなかった。
このような経緯の中、JASRACの市場独占は、
半ば国策のようにしてスタートしたと言ってよいだろう。

それ以降60年ほど続いたJASRACの市場独占、ところが2001年、
著作権等管理事業法が施行され、制度上JASRACの独占を認めなくなる。
音楽著作権の管理にも自由化の波が押し寄せ、これまでJASRACが独占していた
著作権の管理委託が誰でも出来るようになったのだ。
そこで、JASRACを批判される方々はたくさんいるので(個人的感情です)、
是非新しい委託会社を作って欲しいなあ・・・と思っていたら続々とできました。
例えば(株)イーライセンスは、浜崎あゆみ、倖田來未、大塚愛、KREVAなど、
(株)ジャパン・ライツ・クリアランスは、ミスチルやスピッツなどと、
メジャーなアーティストでさえ、管理団体が様々という現象が起きている。
坂本龍一の音楽著作権の取り扱いについての問題や、永六輔についてもしかり。
その他にも、音楽著作権管理事業を手掛ける団体は、ダイキサウンド(株)や
(株)アジア著作協会、(株)ジャパンデジタルコンテンツなどである。
つまり、現時点ではJASRACの市場独占は終焉を告げようとしている。
(※記憶違いがあったらごめんなさい)

音楽著作権に関する2001年以降の動きは活発で、
同時に葬祭業者が会館(ホール)建設ラッシュに入った時期とも重なる。
弊社も2000年の4月に、最初の葬儀専用BGM作品集(40曲)をリリースしている。
弊社は、独自に著作権を管理しているし、その後の楽曲についても全て同じである。
注意して頂きたいのは、著作権フリーで提供している多くのオリジナル曲でも
著作権自体は放棄していないので、利用する場合は承諾を得る必要がある。
もちろん、CDのパッケージの裏面にしっかりと明記してあるのだ。

明日に続く。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2009年09月16日 09:00

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