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2007年02月21日

デジタルデータ (井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

ロビン・ウィリアムズ主演の「ファイナル・カット」を観た。
葬祭業界の人間にとっては、なかなか考えさせられる映画である。
近未来のSFスリラーとでも言うべきか。
生まれたばかりの赤ん坊の脳に「ゾーイチップ」と呼ばれる記録装置を移植し、
その人の全生涯の映像と音声を記録する。
ゾーイチップは、神経組織や筋肉組織に、何の抵抗感も感じさせない、
特殊な物質で作られていて、埋め込まれた人間が、それに気づくことはないという。
(法的には21歳で告知される…だったと思う)
そして死後、そのチップを摘出し追悼上映会を行うのだ。
(何やら、現在の追悼DVD映像と似てないこともない)

膨大に記録されたチップの編集作業は、専門業者がいて…
(これが主人公のロビン・ウィリアムズなんだけど)
全データから無用と思われる、例えば睡眠などを大幅にカットし、
残ったデータを更に10代、20代、30代、40代…と分類していく。
延々と細かな作業を繰り返し、人生を1時間30分程度に収めていた。
全てが故人の主観映像だけど、他人に見られたくない場面はたくさんあるし、
…考えただけでもぞっとするよね…余計な部分をカットして、
見事に遺族好みの「素晴らしい人生」に仕上げていく。

映画のストーリーはこれとは別に、ミステリアスに進行するんだけど、
正直言ってつまらない、駄作だと思う。
ただ「ゾーイチップ」という着想が面白いので、撮り直した方がいいかも。
気になる方は、レンタルDVDでどうぞご覧ください。

この作品では極端に描いてあるが、
死んでしまえば誰もが「いい人」で、「素晴らしい人生」という風潮に、
警鐘を鳴らしているかのようである。
共感できる部分も多い。

20年前、葬儀というセレモニーに故人のナレーションを導入したばかりの頃、
ある種の衝撃を持って受け入れられた。
それは当時としては、新しい演出方法の一つだったからだ。
…譬えブライダルからの横滑りだったとしても…
その後、賛否両論渦巻く中で、今では一つの演出法として確立されている。
(中味やクオリティはこの際無視しましょう)

今、追悼DVDなるものが、デジタル化された社会の中で、
技術的な裏づけを支えに実用化されて席巻し始めている。
遺影写真のデジタルデータ化は、すでに完了していると言って過言ではあるまい。

益々デジタル化されていく社会の中で、葬祭業界に大きな懸念がある。
ナレーションの雛形に、氏名と年齢だけを書き込んで読むことが、
どれだけ低レベルの司会演出であるか…と同じように、
遺族に借りた思い出の写真の編集を、スキャナで読む取ることから業者に任せ、
デジタルデータの提供だけを受け取る行為は、自分の首を絞めることにならないか。
薄っぺらな人生賛歌、死んでしまえば皆「いい人」に仕上げていく、ただの作業。
デジタルを扱えるようになろうとは努力せず、まるで放棄しているかのように。

社会の変化についていけない者が、たやすく生き残れるとは思えない…のだが。
「故人の尊厳を守り、遺族の悲しみを大切にすること」とは?
難しい問題だね。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2007年02月21日 09:30

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