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2005年08月02日

ケーキ1個に泣いた若き日々(関谷京子)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

たまには過去を振り返るのも悪くない・・・そう思い
今日は、若き日の苦労話をしようと思う。

1982年、4月。
神戸から上京したての、右も左もわからぬ21才の頃を
・・・今私は思い出している。
最初に住んだのは大森で、少ない仕送りの中で
7畳一間5万円のコンクリートのシンシンと冷えるワンルームだった。
(両親にとっては大金だっただろうが・・・)
某音楽院に通うためと、海外演奏旅行活動の始まりの頃だった。

貧乏暮らしだったので朝ご飯は抜き。
音楽院では何故か女の子達は皆お嬢様ばかりで、
ランチは必ず外食に皆行っていた。
私も最初の頃は皆誘ってくれていたが、私がいつも断っていたので、
そのうち男子生徒ぐらいからしかお声はかからなくなった。
私のお昼は学校へ行きしなに
肉屋さんで揚げていた1個40円のコロッケだったのだ。
そうでもしないと一ヶ月経済上やっていけなかった。

帰りは商店街の青果屋さんで、
「その大根を四分の一に切って安く売って頂けませんか?」
と頼んだり、青いざるに盛られた野菜を一個だけ抜き取って貰って
20円とかで買わせて頂いたりしながら日々を過ごした。
そのうち青果屋さんのご主人が
「お嬢ちゃん、今夜も大根おろしかい?
仕方ない、タマネギも一個今日はサービスで付けとくよ」
なんて会話をするようになった。
何も聞かないけれど、そんな優しいご主人だった。
(この頃の私は今より10キロは痩せていた。う~ん戻りたい・・・)

そんな食生活の中で、ある日たまらなくケーキが食べたくなり、
涙ちょちょぎれんばかりに粗末な暮らしの中で
必死で貯めた300円を握りしめ、駅前のケーキ屋さんに走り、
確か280円ほどのイチゴのショートケーキを1個買って帰った。
そのケーキを食べるために、レモンもミルクも入ってない
インスタントの紅茶を入れようと、湯を沸かしたのだが、
沸くのが待ちきれずケーキにかぶりついたのを強烈に覚えている。
湯が沸くまでのたかが数分間が待てなかった自分が、
酷く哀れに思え、涙が一粒二粒とこぼれ落ち、
しまいには顔を鼻水と涙でグショグショにしながら食べたのを記憶している。

あれは私の人生の中で一番貧乏だった頃だろうか・・・。
それでも決して神戸に帰ろうとは思わなかった。
上京したての頃の、今では懐かしい思い出だ。

そうなのだ。
神戸にとどまってさえいれば、コンクールで賞をとったこともあり
演奏活動のギャラだって鰻登りだったし、生徒さんも何十人といた。
まして実家だったので、何不自由なく暮らせたのだ。
それを放り出してまで上京したのは、
より、大きな夢を抱いてしまったからかも知れない。

そのうち国内、海外と多忙きわまりなくなり
(そのツケはたっぷりとその後味わっているが)
40度近い熱があっても這うように仕事に行ったりと
身体を壊してまで仕事を続けた。
歯をくいしばって生きてきたのだ。

そして38才の時優しい夫と出会い、遅すぎる結婚をした。
あの若き日々を思うたび、ありがたや、ありがたや、
と、心の中で夫に手を合わす日々だ。
いつか、何かの本で読んだ文の中に、
“嵐のあとに必ず美しい花が咲く”という一節が、脳裏をふとよぎる。

私の好きな良寛禅師の漢詩の一節にこういうのがある。
“父を捨てし、他国に走り、辛苦、虎を描いて猫だも成らず・・・”
やはり庄屋の息子として不自由のなかった少年が、
家を飛び出し、僧を目指した良寛の言葉だ。

私も結局、某有名会社の方針に絶望し、
本来の夢だった方向には進まなかった。
そして、フリーになり26才の頃我流でピアノを半年間練習し、
(このときの無理がたたって頸椎にヘルニアを作ってしまった)
ピアニストとしての活動も始めた。

そして私、40才の時である。
ある病に倒れ丸2年間苦しみ抜いて、仕事から遠ざかっていた私に
43才の時、友人から(これが、かつて仕事を共にしたことのある石川さんだ)
舞い込んできたのが、この井手社長からの葬送BGM作曲依頼の話だった。

これがざっと私の東京での22年間である。
普段は、なるだけ過去は振り返らないようにしている私でも、
こうして思い起こしてみれば懐かしさに胸が熱くなり、よぎる思いも多々ある。

人生、平坦じゃない方が、たとえ世の苦哀をなめ尽くしたとしても、
人間、傷みも知り、思いやりや優しさもプラスされ、人として、
より深みや厚みを増すのではないか・・と最近つくづく思う。
懸命に生きていても、神様は決して100は下さらないけれど、
そんな意味のある贈り物を下さる。
今、そんな気がしてならない。

さてさて苦労話のついでに、私は今、ある二つの病と戦っているのだが、
(持病は他に数限りない)
これも神様が下さったものだから仕方ない。
義父がよく口にする言葉がある。
「神様がくれるってんだから、しょうがねぇべ。
病気でも何でも貰っとけ。アハハ」って。
その言葉を胸に、今頑張っている私だ。

<関谷自身の割り込み>
1夜ごとかっくらうビ-ルタイムが唯一の安らぎの時
2飲まなきゃ、こんな病だらけでやってられん
3いや、ただのビール好きなおばさん!
どれもその通りでございます。

先日初めてお会いした工場長の古家君に言われちゃいました。
「エッセイ、正直に書く人だなぁって思いました」って。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2005年08月02日 00:20

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