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2011年12月12日

北斗星に乗る (井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

11月中旬、寝台特急北斗星に乗って札幌まで旅をした。
所謂、秋の家族旅行というやつだ。
当初はサンライズ出雲に乗って軽―く出雲大社の近辺を周ろうかと思っていたら、
とんでもない、今は寝台の人気が高く抽選でしか良い部屋が取れないとのこと。

・・・昔はそうでもなかったような記憶がある。
土曜ワイドの枠だったろうか「特急出雲寝台列車殺人事件」か何かで、
今ではすっかり中年になった少年隊の錦織君と、
若かりし頃の岡田奈々さんとご一緒に出雲で撮影した。
その時に東京駅から寝台車に乗車したことがあったなあ・・・

それじゃあ、カシオペヤに乗って優雅に北海道でいいや、
(どうせ俺は仏教徒だから)と、出雲大社をあっさり見限る。
ところがどっこい、カシオペヤは超人気で
これまた家族4人分の個室が取れるかどうか・・・と、
JTBのお姉さんは首をひねる、それもひねり過ぎるくらいヒネルのだ。
困った・・・あー困った・・・となるのを見越していたのか
「!!・・・実はですね」と来たもんだ。
寝台特急「北斗星」という、カシオペヤと同じルートを走る列車はどうか?
聞けば、少し旧型だけど(翻訳するに、ボロだけど)、
この北斗星だったら、この北斗星ならば直ぐにでも取れるのだと自信満々に言う。
「決まり・・・即決!」
すぐさま北斗星に切り替えた。
そもそも旅をするのにこだわりがない。
JTBのお姉さん、仕事完了。
(良かった良かった)


(というわけで、これが北斗星って、全然見えない)

実は、子供たちに寝台列車での旅を経験させたくて、
というのが言い訳で、親の方がノンビリ非日常の旅を楽しむ、
のが目的のような、違うような・・・。

北斗星は、上野から札幌まで16時間半で走る(多分)のだが、
我々は19時33分に大宮から乗車して翌朝の11時30分に札幌に到着する。
今の時代に何とノンビリとした非日常の時空間なんだろう。
しかも夜中に青函トンネルを抜けて北海道の大地をひた走ることになる。
(あっ帰りは飛行機ね、子供の学校があるから・・・無茶苦茶なスケジュール)
行きの行程だけは異空間の雰囲気を味わおうかと・・・。


(北斗星に乗車した記念、早朝通過した函館)

幼い頃、まだ九州の田舎の田んぼのあぜ道で友達とザリガニをとっていた。
そのとぶ川は線路沿いにあり、時々煙を吐きながら真っ黒い汽車が通る。
その度に、ザリガニの事も忘れ、恥ずかしげもなく大きく手を振った。
「おーい! おーい!」と。
誰か知り合いがいるわけでもなかったが、何故か手を振った。
たまに目と目が合うと照れくさくニヤッと笑ったが、それでも手を振った。

思えば、これは不思議な現象である。
列車だけの特色なのか。
長距離バスに乗車していても手を振られることは滅多にない。
タクシーに乗っても同じ事だし、飛行機では理論的に不可能。
待てよ、しかし船なら、見送りの人々との別れにテープが際立つ。
これは列車に対して手を振る行為ととてもよく似ている。
これが旅情というものだろうか。

分析すると、列車も船もその行先・行路(軌跡)が、
ある程度(数百メートル)見えていなければならない。
その間、ゆっくりと別れを味わうことが出来る。
歩く速度よりは早いのだけれど、ある程度名残りを残すだけの速度というか、
別れに漂う余韻が残らなければならないのだろう。
バスやタクシーでは、道路を走るだけに不可能である。
だって信号という不釣り合いな人工のモノが邪魔をするし、直ぐに曲がる。
そうか(と自分で勝手に頷いて)、これが旅情なんだ。
列車の旅や船の旅には、別れの「余韻」という旅情が残されているのだ。
・・・ということで、分かったような分からないような話の続きは、
明日以降ね。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2011年12月12日 08:30

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