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2006年11月20日

長崎での講演…前日 (井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

長崎講演は前泊のため家を出たのが午前9時、羽田までの所用時間が2時間。
羽田空港~長崎空港も2時間弱で、そこからバスで市内まで約1時間。
待ち時間も含めて5時間掛かり、午後2時には長崎駅前のホテルにチェックイン。
あー移動だけで疲れたけど、これでも近くなったと言うべきか。
4日前は博多に居ながら、そのまま九州に滞在するわけにもいかず、
一週間に2度、東京~九州間を往復することになった。
(ここからは、方言「ばってん」等の様々なバージョンを体験してください)
思えば、長崎の街を訪れるのは3年振りたい。
そこで夕方までの空き時間、市内をブラブラすることにしたとよ。
(ばってん)長崎市は坂の街やけん、自転車が極端に少なか。
同じ県内でも大村市へ行けばですね、
平野が広がりようけん自転車が席巻しとるばってん、
ここでは路面電車が庶民の足やけんね。



早速ホテルば出て、長崎市内を縦横に走る路面電車ば初体験。
路面電車は、昭和30年~40年代を感じさせてくれるもんね。
遅くて、アナログ的ばってん、レトロな気分になるから不思議たい。
きっと地球環境にも良かろう。
それにしても(ばってん)、
今どき何処まで乗っても一律100円とは驚きの安さたい。
聞いた話やけんど、20年位前から100円らしか。
乗り換えの際には、100円を支払いながら「乗り換えます」っち言えば、
乗り換えチケットを手渡してくれんさって、以後料金は掛からんとよ。



電停と電停の間は300メートルもあろうかね。
走ったと思ったら、すぐに停車する感じやけん。
乗車口は後方ばってん、前後どちらからでも客が乗り込んで来よんさー。
この逞しくてアバウトな感じが堪らなか。
降車口は支払いの関係で運転席横の前方と決まっとるらしか。
だけん、降りる電停が近づくとさ、乗客は前へ前へと詰めて来よんさー。
後ろから乗って、いつの間にか押されて前へと押し出されとっさ。
とても狭い車内ばってん、雑多な窮屈感よりも人の温もりが感じられた。
(ごめん、企画倒れ。無理して「ばってん」使い過ぎ…疲れたので方言中止)



まずは国宝大浦天主堂と、隣接するグラバー園を目指したが、
最後に訪れたのは、もう20年以上前になるだろう。
日本ガッカリ名所の一つ(笑)であるオランダ坂を登りながら、
随分、景観というか雰囲気が変わったことに驚いた。
ミーハーな土産物店が立ち並び、昔日の静けさはどこかへ吹っ飛んでいる。
団体旅行対応型に変身した街並みはつまらないなあ。
石畳の情緒も何も、静かなデートコースでなくなったのが残念。
あー若かりしあの頃が懐かしい…。
その昔、長崎では西洋人を「オランダさん」と呼んだらしく、
よって外国人居留地の石畳の坂を「オランダ坂」と称したらしい。
決して声を掛けたが留守だったわけではない(おらんだ…親父ギャグ)。



少し息が上がったところで坂の上を見れば、大浦天主堂。
日本に現存する最古のゴシック様式で、最初の殉教者26聖人を祀ってある。
なんちゃって仏教徒の私だけど、堂内に入れば荘厳な気持ちに。
異国に佇む異邦人の感覚か?
ジャパニーズDNAとは異質な建物の感性の違いに圧迫感がある。
十字架のキリストが悲しげに見えて仕方がない。
私はやっぱり仏像派かな。(下の写真はキリストではないですよ)



突然、大好きだった劇作家・北村想の脚本「寿歌(ほぎうた)」を思い出した。
これは地球規模の核戦争が起きて廃墟となった街からエルサレムを目指す物語。
ヤソ(やすお)と呼ばれるキリストらしき人物が主人公の一人。
時折り、夜空に燦然と輝く花火のように、
制御不能のコンピューターから打ち出されるミサイル群…。
そんな中、ヤソを含む3人の男女がリヤカーで旅を続け、
ラストシーンは放射能を浴びて汚れた雪が降り続く。
…そこはモヘンジョダロだった。
そしてこの日から、地球は氷河期に入ったというエンディング。
氏の同時期の作品「最後の淋しい猫」の主役を大学の劇研で演じ、
次に狙っていたのがこの寿歌という作品だった。
とうとう実現しなかったことが今でも悔やまれる。
「最後の淋しい猫」はノアの箱舟の大洪水がテーマだった。
東工大やお茶大の劇研のメンバーとの交流も懐かしい。
酒を飲んでは、朝まで演劇論で盛り上がっていた。
(お茶大の女優が結構生意気だったぞ)



大浦天主堂で堂々と合掌し、脇の小道からグラバー邸を目指す。
味気ないけど、この年になればエスカレーターと動く舗道の存在がありがたい。
今歩けと言われたら、絶対に杖は必需品かもね。



私が高校生の頃は、階段を登った記憶がある。
指定された順路通りに進めば、水と緑溢れる庭園の中に、
いくつかの洋館が点在し、異国情緒たっぷりだ。



鎖国が終わり、長崎で自由貿易が行われて成功した異国の商人が建てた住居。
昔と違い、不自然なほど綺麗に観光化されたのがとても残念。
しかも庭園内や通路の至る所に灰皿やベンチが置かれていた。
私は誘惑に負け続け、気がつくと煙を吐き出していた。
この小高い丘から眺める、すり鉢状の地形をした長崎は絶景。
遠くに望むのは、眼鏡橋に語呂がよく似た、女神大橋(昨年開通)。



坂本竜馬が立ち上げた日本初の株式会社「亀山社中」…後の海援隊…
との貿易相手が、このグラバー邸の主・英国商人トーマス・グラバー。
私が大好きな高杉晋作も交渉に訪れたことがあるらしいではないか。
だから邸内に入れば、恥ずかしながら鼻息も荒く、興奮を抑えきれない。


どこに座ったとね、えっ、竜馬は?…高杉は?
どこにも説明がなかぞ、同じ場所に座りたかー!
150年ほどタイムラグがあるばってん、間違いなく同じ空間に来たけんね。

高杉辞世の句。
「面白き こともなき世を 面白く すみなすものは 心なりけり」
こういうタイプ大好きだけど、師の吉田松陰の評価が興味深い。
君の詩の才能は久坂(玄瑞々)に及ばない。
理由は…君の詩には志がない。
(くー、松陰クソ真面目)
その高杉の都都逸。
「三千世界のカラスを殺し ぬしと朝寝がしてみたい」
別の意味で志はあるけどね。(笑)
ついでに竜馬もいっとくか。
「この世をば 我を何とも 言わば言え 我がなすことは 我のみぞ知る」
こっちも好いキャラクターだねー!



邸内の空気を胸一杯に吸い込んで…帰路に。
下り坂の途中には、出来たばかりの長崎県立美術館に立ち寄る。
館内を楽しむうちに時間が気になってきた。
これから向かう予定の長崎原爆資料館は5時半まで。
広島の原爆資料館は何度も訪ねたが、長崎はまだ訪れたことが無い。
原爆資料館では、いつも人間の愚かさに重い気持ちになる。
それだけにコースの最後にしたのが失敗だったかと不安が過ぎった。
急いで路面電車に飛び乗った。



原爆資料館には外国人の姿も多く、一様に言葉を失っている。
静かな館内に靴音だけが響き、それぞれが眼前の展示物に見入っていた。
被災の写真、爆風と放射能を浴び廃墟の被爆地に残された品々…。
その惨状の凄まじさに、湧き起こる怒りと悲しみ。
宗教や倫理ではどうにもならない人間の愚かさは絶望的だ。



そもそも国家とはなんだ?
それぞれの国の人が育む愛国心とは?
それは、郷土愛とは明確に一線を画すもの。
国家が有する、何とも愚かな我の部分だけが浮き彫りになっている。
ホテルを出た時から、こんな気持ちになることは分かっていたようだ。
核をテーマにした演劇「寿歌」を思い出したのも無意識のなせる業。
予想通り、暗く沈んでホテルに戻った。
暫し休息後、明日の講演の打ち合わせを兼ね、事務局の方と懇親。
長崎の夜の街へと繰り出した。



世間話をしていると、今年の台風の塩害で、秋に桜が咲いた場所もあるらしい。
葉が散ると、咲くように指令がでるのだろうか。
またお盆の迎え提灯の話題の時に、爆竹が付き物だという話は面白かった。
長崎のお盆は、さぞ賑やかだろう。
地元の葬儀社も、爆竹を様々な葬送演出で使えば良いのにね。
翌日に備え、ほどほどで切り上げホテルへ戻る。
明日は、講演のレポートです。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2006年11月20日 00:42

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