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2006年02月02日

「笑顔と言葉」のビタミン剤 (加藤直美)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

昨年の7月から、私は地元の中規模病院で、スタッフ体験をしている。
仕事の内容は、外来クリニック入口でのナースの助手、
外来玄関での患者様のお迎え、健康診断の方の院内ご案内、など、
誰でもが出来る患者様のお手伝いが中心だ。
そして週に1度、同じ病院内のホスピスで、音楽でのサポートをさせていただいている。

ちょうど1年前の今頃、この病院で、入院、手術をした。
学生の頃の盲腸手術、出産で2度入院した以来、
病気らしい病気はこれがはじめてだった。
怖さを感じないように気持ちをそらしても、手術はとても怖かった。
「全身麻酔」での手術は、もしかしたら、二度と目を開かないかも知れない。
私が初めて「死」を意識した経験だった。
終わってしまえば、1年も過ぎてしまえば、ナンということはないが…。

その入院、手術の苦しい日々の中で、
もちろんお医者様や薬による「西洋医学的治療」は、充分に受けた。
しかしそれだけでは乗り越せないものがあった。
私が必要と感じたことは、「人間としての心のぬくもり」。
私が何よりもほっとした瞬間は、看護師さんの何気ない笑顔、言葉がけだった。
慣れない病院生活、治療の日々、傷口の痛みなどは、私を心身共に緊張させた。
その緊張をほぐすのは、やはり「人」のぬくもりであり、
薬や医者の手当てだけではないことを実体験したのだ。

私は葬儀の現場で、多くのお客様をサポートしてきた。
そして今、葬儀スタッフの顧客満足を接遇講師として実践、研究している。
その私が病院にスタッフとして出入りするようになってから、
「葬儀の現場」という非常に狭いエリアから、
広く「ホスピタリティ分野の接遇現場」という視点で、
お客様とのかかわりが見られるようになった。

病院で患者様と接する中で、「生きることそのもの」にも、
人の悲しみが伴うことがよく分かる。
生きることには楽しいことも多い。そして生きることにはそれと同じくらい悲しみも多い。
病院の患者様からは、「私だって、病気になんかなりたくない」という心の叫びが聞こえる。
しかし自分の意思に反して、病気は降りかかってくる。
私がスタッフとして、病院のエントランスにいると、そのお客様である患者様は、
「病」と「それ以上に重い気持ち」をたくさん背負い込んで、玄関から入ってくる。
そのやるせない暗い気持ちは、たちまちその場の空気を作る。
そして患者様の全身から醸し出す「負のオーラ」に満たされる。
病院スタッフまでも、その「負のオーラ」にすっぽりと包まれている。無理もない。

病院では、患者様のマイナス的な態度で、私まで落ち込みそうなことが多い。
そしてこの雰囲気に私の身体はとても疲れる。
病院に行くと、健康な人まで病人のようになって行くのは、こういうことかもしれない。

だからこそ私は、患者様には「明るく」「やさしく」「丁寧に」接することを心がけている。
「笑顔」「大きく弾んだ声」「はっきりと話すこと」「ゆっくりと案内すること」
「待ってあげること」「その患者様にしっかりと向き合うこと」「その方のお名前で呼ぶこと」
私は接遇のプロフェッショナルという意識を持ち、その他大勢の患者様ではなく、
その瞬間、瞬間に、その患者様だけを大切にする。
私があえてそこまで意識をして応対すると、患者様は必ず何かの反応を私にくださる。
私をただのボランティアとしてではなく、一人の人間として扱ってくださる。
私はそれが、心底うれしい。「ああ、私の気持ちが伝わったなあ」と思う。

病院では、葬祭ホールのお客様には通用しない接遇表現も、
チャレンジするたくさんの機会がある。
満面の笑顔や、ちょっとしたジョーク、又は世間話・・・。
私は今、どんどんチャレンジしている。
そしてもしかしたら、葬儀のお客様には通用しないと思っているが、
実は充分に通用する接遇表現が他にもあるのかも知れないということ。
それを私は今、病院内で様々な角度から検証している。

ここでひとつ言えることは、心のこもった「言葉や態度」の投げかけは、
患者様にとって、「一粒のビタミン剤にも匹敵する」ということだ。
そしてこのアプローチは、葬儀のお客様にも十分に通用すると確信する。
私の一言で、目の前にいる患者様の緊張がほぐれて行く。
楽になってくれる。笑顔がこぼれる。言葉が返ってくる。
それが又、私にとっての「一粒のビタミン剤」だ。


<工場長の追記>

私も10年くらい前でしょうか、
手首を複雑骨折して全身麻酔の手術をした経験があるので、
加藤さんが手術前に感じた恐怖は共感できます。

ただ、私の場合は、主治医が特に気に掛けてくれた記憶はありません。
また、同室の患者さん(おっちゃん)が、私の手術日前日に手術を終えられていて、
病室で「痛いわぁ。痛いわぁ」言うので、参りました。

奥さん「あんた、そんなに痛い言うたら隣の人に笑われるわよ。
    (私のほうを見て)すみませんねぇ。」
私  「(顔面蒼白…)」
おっちゃん「そんな事言っても、傷口がズキズキするんやから。
      手術はするもんじゃないなぁ。」
奥さん「あんたがバイクに乗ってダムから落ちるから悪いんやないの(怒)。」
私  「(明日手術なんですけど…不安)」

この夫婦の面白い問答はこの後も続いて、
ある意味手術の恐怖がまぎれた部分もあって、助かりました。

私の場合、手術は無事に終わりましたが、
手術後に、特にしんどい思いをしたのを覚えています。
患部とその周辺が思ったように動かず(神経が戻るのに、少し時間がかかるのですね。)、
自分の意思通りに動かない肉体が、悔しかった~。
また、様々な箇所に管(チューブ)が入って、自分は「生物(モノ)」だなと思ったり。
傷口も、思った以上にズキズキするし(歯医者で神経をつつかれるような痛み)、
まいった~。

そんな時は、看護婦さんの優しい言葉に強く励まされたものです。
(本当に天使ですな。看護婦さんがモテるのも、よくわかる。)
言葉を掛ける、というか、暖かいコミュニケーションというものは、本当に有難いですね。
理屈抜きで。

ちなみに、同室した人(おっちゃん@警察官)とは、その後仲良くなって、
バイクを教えてもらいました。(それがきっかけで、バイク免許を取得しています。)

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2006年02月02日 19:54

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