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2009年09月25日

葬送文化学会「尊厳死について」②(工場長)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

人は死んだら生き返ることができない。
それゆえ、人の命を扱う問題は難しいのだと思います。

さて、昨日の続き。
尊厳死を考える上で重要な資料は、過去の判例です。
講演では、3つの事件の判例に関して説明されていました。
・名古屋安楽死事件
・東海大学附属病院安楽死事件
・川崎・協同病院事件
これらの判例に関しては、昔のエッセイで書いていました。
ちょっとした時事エッセイ【安楽死(尊厳死)問題】 (工場長) 2006年4月11日
詳細は、上記のエッセイを参照いただきたいと思います。

事件の内容は端折りますが、判例でポイントとなったのは、
「(尊厳死を行うにおいて、)本人の意思表示があったかどうか」です。
上記すべての事件で、本人の意思表示はありませんでした。

現在、尊厳死を実施する際、本人の意思表示は重要なポイントです。
しかし、例え本人の意思表示があったとしても、
尊厳死に対して慎重な立場をとる医者も多いようです。
というのも、現在の日本では尊厳死の法律がありません。
尊厳死に対して、明確なガイドラインのない状況です。
ですから、医者は罪(殺人罪)に問われないよう慎重になるそうです。

川崎・協同病院事件の裁判で、裁判長は、
「尊厳死の問題を根本的に解決するには、
 尊厳死を許容する法律やガイドラインの策定が必要」
と述べています。
日本尊厳死協会でも、法整備への活動を2003年から強めているようです。
尊厳死を社会に浸透させるためには、法整備が必要のように思います。
(ちなみに、諸外国ではオランダ、ベルギー、フランスで法整備が進んでいます)

尊厳死の意思表示は「リビング・ウィル」とも言います。
カタカナ語からわかるとおり、尊厳死の考えは外国から入ってきたものです。
先生の話を聞いて興味深かったのは、
なぜ外国で尊厳死という考えが生まれたのかという考察。
外国は狩猟民族で、狩った獲物に対して「権利の主張」が出てくる。
権利を主張する社会ができる。死に対しても、権利の主張が出てくる。
一方、日本は農耕民族で、「みんな」で協力して育て、「みんな」で食べる。
みんなのことを考える社会。だから、個人の権利を主張しにくい。
そう考えると、尊厳死という個人の権利を考ることは、
日本では馴染みにくいのでしょうね。

ただ、日本尊厳死協会の会員は継続的に増加しているようです。
日本尊厳死協会の歴史においては、特に、昭和天皇の終末医療時、
100日にわたる延命治療の後に、会員が急増したそうです。
昭和天皇が生まれた日は「昭和の日」となっていますが、
亡くなられた日は、「命の日」に相応しいのかもしれません。
(…どうも纏まりのない文章になってしまいました)


PS.
尊厳死ではありませんが、
命の問題(介護問題)として考えさせられた認知症の母親殺害事件(温情裁判)。

ちなみに、認知症は尊厳死の対象にはなりません。
そのことは、講演でも話されていました。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2009年09月25日 09:00

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