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2010年10月22日

雲洞庵の土踏んだよ・・・その2(井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

「雲洞庵の土踏んだか」というのは、結局、参道の石畳を踏んだかということだった。
それにしても歴史がある寺というのは、古色蒼然とした趣が漂う。
開山は、件の尼僧が現れたのが千三百年前というお話になっている。
そして参道の周囲に立つ石仏類の苔むして、物によっては不自然なほど傾き、
その色合いや風情が悠久の時の流れを感じずにはいられない<ゆったり感>があった。

だが、寺院の中は外から見た様子とは違い、割と近代的に創り直されていたようだ。
観光客を迎え入れるというのは、なるほどこういうことなのだろう。
さて、昨日の「長生きの水」や書院造の最高峰「大方丈の間」に続いて、
堂内にある逸話をいくつか紹介しよう。


(山姥)

「山姥(姥子様)」の木彫りが収められていた。
これは歯痛を治すと信仰されているらしいが、どうして山姥が歯痛の担当なのか不明。
面白いのは、当庵の女人成仏思想がこの山姥伝説に由来するのではと書かれていた。
だが、法華経の第十二品、提婆達多品(鳩摩羅什訳)では、
提婆達多はもとより、8歳の竜女の女人成仏を説くものだったと思うが。
つまり、法華経では女人成仏思想は既にあるのでは・・・記憶違いなら申し訳ない。
それにしても、山姥の形相の恐ろしいこと。

禅宗の寺だから座禅堂があった。
この寺は曹洞宗だが開祖道元の遺言を紐解けば、
「宗派を名乗ってはいけない」「派に分裂してはいけない」ではなかったか。
またまたケチをつけるようで申し訳ないが、どこかの本で読んだ記憶がある。
だが道元亡き後は、曹洞宗と名乗り、永平寺・総持寺と両本山に分かれ・・・。
まあいいか、日本の禅宗は座禅宗の略であり、曹洞宗以外にも臨済宗と黄檗宗がある。
特に大きいのは臨済宗と曹洞宗だが、その違いは公案の有る無しが顕著だ。
(その他、戒名の付け方や土民禅や只管打座など)
実は私、座禅堂に一度入ってみたかったのだ。
文殊菩薩に見守られながら、真の智慧に目覚めてみたかった。
(そんなフリがしてみたかっただけでーす)
座禅堂では、一人一畳の場しか与えられず、これが世界の全てであり、
このスペースで寝食を行い、座禅堂内では一切口を聞いてはならない決まり。
また全ての所作は、作法通りに叶わなければならないという。
体験してみて、導師の警策で背中を叩かれてみたい気がする。

宝物殿には戦国武将の古文書や涅槃図などが展示してあったが、
中に「おっ」と思うものがあった。
言語で書かれた経典の一部が保存されていたのだ。
とても小さな字で、サンスクリット語で彫られている。
貝多羅葉(ばいたらよう)に書かれていると記されてあった。
早速調べてみたら、貝多羅葉とは椰子などの植物の葉を加工して、
紙の替りに用いた筆記媒体であるらしい。
また貝多羅葉を略して貝葉(ばいよう)ともいい、東アジアで多く利用された。


(鼠足の前机・経机)

位牌の形には、猫丸型や春日型や菱角切型や繰出型などの名称があり今でも多彩だ。
一方、経机(前机)は、本来経典を安置したり読誦するときに用いる机である。
禅宗では経案(きんなん)とも言い、八足や十六足などの多足机、
また花形足などのタイプもあったが、時代の変遷とともに形が決まってきたらしい。
筆が落ちないように筆返しを左右につけ、四角の足が外開きに反らせた形が、
安定が良くて一般的になったという。
しかし、ここに安置してある経机(前机)の脚の形は「鼠足」と言い、その由来があった。
この寺を再建した際(500年前)、大鼠が出て来て修行僧を齧り殺す事件が相次いだ。
この成敗に豪傑の禅僧を遣わし、夜中座禅を組んで出てきた大鼠を一喝。
失神した大鼠は息を吹き返した後、反省して罪を償いたいと申し出た。
そしてこの経机の前足となり、煙と共に掻き消えたとさ。
この鼠は、この山中の洞穴・洞窟に住む「火車」という化け物だったそうだ。
信じるしか・・・ないか・・・。

もう一つ面白い話が・・・
千年前の中国は唐の時代の終わりから、
トルコ族を中心とした異民族支配百年の大戦時代を統一した宋国。
自分たちのルーツが不明になり、強烈な復古民族主義が起こり、
各地の有力者が先祖を祀るお堂を作ったらしい。
ところが今度は、宋国がモンゴル帝国の植民地になってしまう。
沢山の有力者や有識者が大挙して日本に亡命してくることとなる。
そして宋国時代の復古民族主義を日本にも広めたのだ。
当時の日本は鎌倉時代。
禅宗が盛んになり、各地に開山堂が建てられ、
それが庶民の間にも流行して仏壇の基となったのである。
孔子の儒教が急速に普及して四書五経などの学問が武家社会を中心に浸透します。
これが武士道の元になりました。

では。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2010年10月22日 08:00

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